「狸の匣 | マーサ・ナカムラ」 いま、ここに、自分の足で立っている詩
2022年が終わろうとしています。最近はSNSなんかで自動的に自分の投稿をまとめてくれたり、評価が高かった投稿を順に並べてくれたり、自分が今年聴いたり読んだりした本を並べてくれたりと、とても便利で客観的であります。
けれども、時々そんな自動処理の狭間にあって、うまいこと位置づけできない物事もあるものです。
例えば、最近(と言っても2021年末だから約一年前)に読んだマーサ・ナカムラさんの『狸の匣』(思潮社 2017年刊)は、めっきり詩を読まなくなっていた私の目を覚まさせてくれるような作品でした。
この作品、そしてマーサ・ナカムラさんを知ったのは、盛岡のインディペンデント書店“BookNerd” の店主によるポッドキャスト「コーヒーもう一杯」の最終回。その中でこの詩集の一篇『東京オリンピックの開催とイナゴの成仏』が朗読されたことがきっかけでした。(このポッドキャストは音楽も語りもとてもよいので、毎回楽しみに聞いていました)
店主早川さんのあまり抑揚のない淡々とした朗読もどこか心地よく、その部分だけ何度も聞き返していました。
詩の朗読に耳を傾けるという体験自体、自分には新鮮だったのですが、プロではない多分普段そういう習慣もない早川さんがリスナーに向けてその詩を読むということは、本当に純粋にその詩の素晴らしさを伝えたい、またその詩にのせて自身の想いを伝えたいという思いを受け、決して上手いとは言えない朗読ながらも心を打たれるものがありました。
詩というより短編小説とも言える、マーサさんのいい感じにぶっ飛んでる世界に度肝を抜かれ、ユーモラスな切り口、読ませるリズムに自分の中に眠っていた「詩を読むこと」の喜びを再び目覚めさせてくれたように思います。その前にそんな風に感じたのはもうだいぶ前、きっと宮澤賢治以来かもしれません。
「天狗」「山女」「狸」「鯉」「イナゴ」など、日本古来の妖しい民話のようなモチーフと現代語感が融合し、マーサさん独自の世界となっています。ふわふわした恋愛や、感傷的な女子の私情の詩からはかけ離れた、痛快とも言える、しっかりと自分の足で立っている詩で、なんだか頼もしい印象を持ちました。
マーサ・ナカムラさんについては、正直あまり多くのことを知りませんでした。以下に簡単な経歴を。
類をみない彼女の世界に、詩・文学の自由を清々しく感じ、今後の彼女の作品もとても楽しみになりました。
新しい年の始まりに、新しい感覚の詩篇を、まだの方は是非。