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20240808 イラストエッセイ「私家版パンセ」0042 「認知特性」(見ることと聞くことは難しい)

 二十年近く、高校生や子供のジャズバンドを指導してきました。
 ぼくはどちらかというと理論派で、言葉で説明するのが得意でした。
 プロのミュージシャンの方たちが説明したことを、子供たちにも分かるように言い換えるのも得意で、重宝がられたこともありました。

 音楽のアプローチも、まず「サイクルオブフォース」を教えて、なぜ一オクターブに12の音があるのかを説明します。
 そして、12の調性があることを説明し、ダイアトニックスケール、ダイアトニックコードを説明します。
 12の調で全てのダイアトニックスケールを演奏できるようにならなければ、譜面を吹かせませんでした。
 理屈っぽいんですよね。笑

 ところがです。

 ある日、認知特性ということを学びました。
 人それぞれ、おおざっぱに分けると、聴覚優位の人と、視覚優位の人、そして言語優位の人がいるというのです。
 ぼくはあきらかに言語優位ですので、全てを言葉で説明しようとしていましたが、それは非常に偏った方法であることが分かったんです。

 基本的に人間は「言語優位」の生き物です。
 それが分かったのは、絵を描くようになってから。
 絵を描き始めて、自分が何も見えていなかったことが分かりました。
 どういうことかというと、わたしたちは普通絵を描く時、輪郭線を描きます。ところが実際の世界には輪郭線はありません。輪郭線とは、きわめて概念的なもの。換言すれば言語による認知に由来するものなのです。
 例えば、小学生の絵で、地面が茶色、女の子が地面の上に立っていて、横にチューリップの花があり、家があって、太陽が赤く描かれる、こんな典型的な絵があるでしょう。
 こんな風景はこの世には存在しません。笑
 これは概念を絵にしたものです。つまり、人間は幼いころから世界を概念として認識し、つまり言語によって世界を認識するようになり、本当にものを見なくなるのです。
 (この意味で日本画は極めて概念的な絵だということが分かります。)
 デッサンの練習とは、世界が陰影によって構成されていることを学ぶことに他なりません。あるいは、見えているように描くこと。いやそれ以前に、ちゃんとものを見ることを学ぶことなんですね。

 二十年近く音楽の指導をしてきて、今まで気づきませんでした。
 それは、多くの子供たちが音を聴いていない、ということです。概念としてのドレミファは理解しているんです。そして楽器と楽譜をそれと関連付けている。
 でも、自分の演奏も、他人の演奏も、全体の演奏も聴いていないことがとても多いんです。

 人間は絶対音感を持って生まれてくるといいます。
 しかし成長するにしたがってその能力は失われる。
 絶対音感があっては困るからです。
 リンゴ(低い声で言う場合)と、リンゴ(高い声で言う場合)はどちらも同じリンゴと認識しなければならない。声の高低で違うものを指すようになっては困るからです。
 つまり、音を概念化する、一般化する。これが人間の能力なんですね。
 養老孟子先生によれば、猫などの動物は、りんごが複数あれば全部違うものに見えているそうです。人間だけが、いろんなリンゴを別のものとは認識せず、「りんご」と認識する。一般化、概念化ができるからです。
 余談になりますが、ステレオタイプ化は良くないと言われますけれど、人間は本来、物事をステレオタイプにして理解する認知特性を持っているのです。
 例えば毒蛇と道で出会ったとします。「きゃー、毒蛇だ!」って逃げるのが正解。「いやまて、毒蛇とひとくくりにしては良くない。毒蛇にだって個性があるのだ。見かけで判断してはよろしくない。こいつは毒蛇の中でも良い奴かも知れない。」そんなことを言っていると噛まれてしまいます。笑

 音楽をちゃんとやろうとすると、人間の本性である概念化、言語化にあらがって、音そのものを聴く訓練をしなければなりません。
 ちょうど絵を描く人がデッサンを練習するように。
 先日、小澤征爾さんが若者のオーケストラを指導する映像を見ていたら、「まず耳を開けることから始める」とおっしゃっていました。それは、ちゃんとありのままの音を聴く、ということだと思います。
 ぼくの経験では、プロのミュージシャンはちゃんと音が聞こえています。だから、素人や初心者が音が聞こえていない、ということに気付かないことが多いんです。それで、指導している時に「なんかへんだな」ってなることが多い。

 さて、冒頭に述べた、視覚優位というのは、ちゃんとものが見える人のこと。子供たちの中には、訓練しなくてもモノがちゃんと見える子がいます。その子の描く絵には輪郭線がなく、遠近法が自然にあって、奥行きがちゃんと表現されています。
 聴覚優位は、音が聞こえている人ですね。ぼくの経験では、小さい子であればあるほど、音は聴こえています。歳を重ねるにつれて、聞こえなくなってゆくようです。高校生の中にも、「こんな風に演奏して」と口で言うより、実際に楽器を演奏して、「こんな風にやって」と言った方が分かりやすい子もいます。
 言語優位は、普通の人間が進化する方向性ですから、普通、教育は言語によって行われます。
 でも、本来はそれぞれの認知特性に合わせた教育法があってしかるべきでしょう。
 とにかく、人によって認知特性が違うということを理解していなければ、何も始まりません。自分の認知の仕方が全てだと思ってはなりません。

 絵を描くようになって、雲が白だけではなく、薄い灰色と濃い灰色と白の三色でできていることが初めて分かりました。
 バンドを指導して二十年経ってやっと、隣で演奏している人の気持ちが音に現れていることに気付きました。

 このことが分かっていたら、ぼくはきっと何倍も素晴らしい先生になっていたんだろうなーと、定年後の今、しみじみ思っています。笑

オリジナルイラスト 「雲って、三色でできてるんですよ」

 

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