20240929 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」027 ガルシア・マルケス「百年の孤独」
まさかこんな日が来るとは思いませんでした。
「百年の孤独」がベストセラーになる日が来るなんて。
もっとも、訳半世紀前に日本で初めて出版された時も、熱烈に歓迎されたのではありましたけれど。
ぼくがこの本を知ったのは、1980年にNHKで放送されていた「マイブック」という小さな番組でした。斎藤とも子さんという、可愛らしい、同い年の女の子が、大作家先生たちをお招きして、おすすめの本を紹介してもらうという番組でした。
斎藤とも子さんのひたむきな表情に、大作家先生たちは嬉しそうに、そして熱心に自分の好きな本について語るんです。今になって思うとそこがまた微笑ましくてね。
大江健三郎さんは、「ハックルベリーフィンの冒険」を紹介されていました。富岡多恵子さんは、たぶん「銀の匙」だったかな。
ぼくはこの番組で紹介された本は、結構読みました。
それで、ぼくの大好きな作家、阿部公房さんが紹介していたのが「百年の孤独」だったのです。
それにしても、高校生の女の子に「百年の孤独」とはね。手加減のなさが、すごく良いですよね。
ぼくはこの本が読みたいと思ったのですが、なんと、母の本棚にありました。母は読書が趣味だったんです。
ページを開くと、そこは目くるめくイメージの世界でした。物語の枠組みは、一つの町に暮らす一家族の百年の歴史です。
歴史と言うと、普通政治や戦争などの大きな出来事ですけれど、例えば、「ひいおじいさんは餅を喉につまらせて死んだ」みたいな些末なエピソードが無数につみ重ねられています。そのエピソードの一つ一つは風変わりで、しかも現実と幻想、魔術の境目がなく、その上神話や伝説の世界も共存しており、その全てが現実と同じ地平で語られているんです。例えば「ひいおじいさんのいとこは、カラスと人間のあいのこで、空が飛べた」みたいな。
しかも、一口で言えるようなストーリーがありません。ストーリーの構成がある場合、「この先どうなるのか?」という興味で読み進めるのですけれど、そういうものがないんですね。
「百年の孤独」は、一つ一つのエピソード、イメージをそのまま味わう、という読み方になります。ミステリ小説のように、犯人を知るために読む、結末を知りたくて読む、のではなくて、読むこと自体に喜びがあるんです。
巨大な作品だと思います。大江健三郎さんはこの本に触発されて、四国の山奥の村の神話的世界と現実を融合させた「同時代ゲーム」を書かれました。小説(物語)の可能性を広げた歴史的名著だと思います。
今、エンタメの世界は、最初の1ページで、それが誰のどんな物語かが分かり、結末までぐいぐい読者や観客を引っ張る力のあるストーリーが求められています。
それとは対極にあるのが「百年の孤独」だと思います。
この本がベストセラーになって、読書の楽しみ、読むこと自体の楽しみを多くの人が感じてくれればとても嬉しいです。
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