見出し画像

『翠』 31

 忘年会当日、一〇分遅れで会場の居酒屋に到着した。

 当日は雨が降っており、傘など持っていても、役に立たないほどの土砂降りだった。濡れたスカートの裾が、ストキングに張りついて、気持ち悪かった。外から見た店の外観は、日本家屋を模したような、雅な装飾がされており、いかにも外国人が好きそうな、京都の料亭のような建て構えをしていた。おそらく、そういうコンセプトで建てられたのだろうが、模しているだけで、まるで三流映画に使われている映画セットのような、チープな作りをしているせいで、全体的に安っぽい印象を与えてしまい、店で提供している料理まで、不味いのではないかと思えてしまう。これならふつうの外観にしたほうが、まだ良かったのではないかと思えて来ないでもない。

 店を入ったすぐ脇にある傘立てには、すでに大量の傘が刺さっており、傘立てに傘が刺さっているのか、傘の束に傘が刺さっているのか、入りきらない傘が傘立てからはみ出している。雨の吸った傘を持って、受けつけに突っ立っていると、目の前をジョッキを抱えた店員の女の子が、忙しなく横切っていく。

「あ、あの、すみません……」

 とっさに声をかけ、店員の女の子を呼び止める。

「は、はい?」

「あの、今日一九時から予約をしている者なんですけど、矢代で予約入ってませんか?」

 早口で予約者の名前を伝えた。

「あ、えっと、ちょっと待ってくださいね……。これ置いて来てからでもいいですか?」

「あ、はい……」

「すみません。ちょっと待っててください……」

 そういうと、彼女は軽い会釈をして、ジョッキビールを抱えて、店の奥へと入っていく。

 一人受付に取り残されたわたしは、水滴の滴る傘を持ったまま途方に暮れる。傘から滴った水滴で、石畳風の床に水溜まりが形成されていく。正直、靴の中にまで、水が染みこんできていて、気持ち悪かった。脱ぎたくて仕方なかったが、代わりの靴など持ってきているわけもない。

 しばらく待っていると、さっきの彼女が現れ、「あ、お待たせしました! 矢代さんですね」と、受付のカウンターで台帳を確認しはしめる。

「あ、ありますね! すぐに案内しますね」

 そういってわたしを奥の宴会席に案内しようとするので、

「あ、あの……」と彼女を呼び止めた。

「へ?」

 急に呼び止められ、彼女がきょとんとなる。

「あ……、こ、これ……、ど、どうしたらいいですか?」

 そういって手に持っていた傘を差すと、「あーーーーー! ごめんなさい。気づかなくて!」と、大袈裟に彼女が頭をさげ、「あの、ちょっと傘立て入りきらないみたいなので、良かったらこちらでお預かりしますけど……」と、わたしに代案を提示してくる。

「あ、じゃあ、すみません……。いいですか?」

「全然、大丈夫ですよ!」

 元気よく彼女がそう言うと、わたしの傘を受けとり、受付の裏に傘を持っていく。

「じゃあ、ご案内しますね」

 改めて彼女がそう言い、わたしを奥の宴会席へと案内する。

 その際、数名のお客さんとすれ違ったのだが、店内の照明が薄暗いせいで、すぐ近くを通っているはずなのに、相手の顔がよく見えなかった。まあ、べつに見えたところで、何をしたいわけでもないのが。

 まるで迷路のような通路を、彼女の後ろを着いて歩いた。彼女は歩き慣れていると思うので、何も感じないかもしれないが、はっきり言って初見で、この入り組んだ通路を歩かされたら、間違いなく迷子になる。それにもし酔っ払ってトイレでも行こうものなら、なんとか店員に尋ねて、トイレにはたどり着くことは出来ても、元いた座敷に帰るなんて、ほとんど不可能に等しい。

 などと考え事をしていると、どうやら目的地の座敷に着いたらしく、彼女が急に目の前で足を止める。急に止まられたせいで、思わず、彼女の背中に、追突事故を起こしそうになる。つんのめりながら、どうにか体勢を整え、彼女のからだにぶつかる直前で、倒れかけたからだを引き起こした。

「こちらの座敷になります」

 そう言って彼女が、背後に立つわたしに笑顔で伝える。

「あ、はい」

「失礼します。お連れ様が到着されました」

 彼女が引き戸を開けながら、半身で中の人たちに挨拶をする。

 店員の女の子の肩越しに中を覗き込むと、開かれた引き戸の向こうに、見慣れた面々が顔を揃っていた。

 恐らく、遅れて来たのは、わたしだけだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?