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人生は、絵を描くようなもの。拠点を変え、多くの視座を得よ。 Interview 養老孟司さん | 後編

解剖学者の養老孟司さんに、地方にもうひとつの拠点を持つことで得られる未来への可能性をお聞きした前編。引き続き箱根の「養老山荘」にて行われたインタビュー後編では、子育てと自然の親和性や、多拠点居住がもたらす人間の“変化”についてお話しいただきました。

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「脳化」された現代社会にこそ、田舎が必要。

—— ここまでは地方での、いわゆる田舎くらしで得られるさまざまな可能性を伺ってきましたが、最近では、よりよい子育て環境を求めて、地方に拠点を持つケースも実際に増えてきています。

養老:子どもには、やっぱりそのほうがいいと思いますね。だって、子どもはほとんどの時間、遊んでいるんですから。外に出してあげられるところでのびのびと過ごせた方がいいに決まっている。

—— それまで都市で暮らしてきた子どもたちが自然環境に身を置くことで、どのような変化があると思いますか?

養老:まず、承認欲求を得られるチャンスを多く持つことができます。一次産業が盛んだった時代には、親のお手伝いをすることで褒めてもらえた。自然があるところでは、それだけ社会参加をする機会が多いんです。だから、ハッピーになれるし、勉強にもなる。
多くの人が、椅子に座って先生の話を聞いているのが勉強だと思い込んでいますけど、それは違います。自ら動いて、からだで覚えたことじゃないと身に付かない。まさに“身に付く”なんですよ。ところが、学校で身に付かないことばかり教えている。だから、子どもは嫌になっちゃう。

「養老山荘」の庭には、虫たちの住処となる木々が設置されている。

「役に立つ」ものばかりを求めないこと。自然の中には、無意味なものが山ほどある。


——「n'estate(ネステート)」のプロジェクトには、小さな子どものいる親でもあるメンバーも多いのですが、子どもの頃には、何を学ぶのが一番いいのでしょうか。

養老:そういう考え方をするから、いけないんです(笑)。何が役に立つのかは、時代が変わってしまえば変わってしまう。それこそ地震が来たあとは、どこかで井戸を探して水を汲んで運んでくるという力のほうが、うんと大事になりますよね。もっというと、そのとき何が大事なのかを見つけられる力が大事なんです。そういった力は、子どもを野山に放り出しておけば、身に付くんです。困ったら自分で解決するしかないですからね。

現代社会では、意味の世界がとにかく限定されてしまっています。いわゆる「役に立つ」ものばかりを求めている。都会のオフィスに行けば、よく分かるでしょう。無意味なものはひとつも置いていない。でも、野山を歩いたら、目に見えるものすべて意味がわからないものなんですよ。石も転がっているし、木や草が生えているけど、「これは何するもの?」と聞いても返事はない。

何もかもに意味を求めるから、気を病んだりしてしまうんです。その考え方が、そもそも自然じゃないから。自然の中には、意味のわからないものが山ほどあるんです。こういうことも、自然の近くで暮らせば見えてくるでしょう。

子どもは、自然そのもの。 “手入れ”した自然にこそ豊かな生命が宿る。


—— 自然の中には、たくさんの発見や学びがあるんですね。

養老:自然という言葉は、欧米と日本では感覚が違うんですよね。六角形の蜂の巣があるでしょう。あのような綺麗なパターンを見たときに、欧米人は「artificial」と言うんです。人工的だ、と。これは、我々日本人が考えている自然と違う。日本語で自然という漢字は「自ずから然り」と書きます。ひとりでにそうなる、と。日本人は、そんなふうに自然を捉えているんです。
 
だからスマートフォンやメタバースなど、世の中にはあたらしいものが次々と出てきますが、僕も無駄な抵抗はしません(笑)。なるようになるんです。その場所その場所で、そのときに合わせて上手にやっていく。じつは、それが得意なのが日本人なんですよ。

僕はこれを「手入れの思想」と呼んでいます。日本人が昔からやってきたことです。ここで、自分の思い通りにしようとすると「手入れ」にはならないんです。相手が自然なのだから、思うようにならないに決まっています。 子育ては、その典型ですよ。

—— 子育てにおける「手入れ」とは、どのようなことなのでしょう。

養老:子どもは自然そのものなんです。思うようにならないし、しっかりと見ておかないといけない。毎日毎日、親が「手入れ」を続けながら、上手にいい方に動かしていくんです。それが最近では、大人が自然に目を向けなくなったから、子どもの扱い方が分からなくなってきている。

でも、あれこれと考えなくても、子どもはひとりでに身に付けていきますよ。それこそ、キャンプでだって学べます。栃木県の茂木に30泊31日で子どもたちを預かるキャンプがあるのですが、そこには寝袋で寝るときの屋根はあるけれど、水場やトイレには山の中の階段を100段上がらないと行けない。意地悪でしょう(笑)でも、子どもはすぐに慣れてしまいます。なぜなら、比較の対象がないから。他を見たことがなければ、こんなものなんだと思って何なく乗り越えてしまいます。

人間は、変わることを嫌がるいきもの。その変化を受け入れてこそ、新たな景色が見えてくる。

—— 子どもの順応性は、親が思っている以上に高いですよね。むしろ、大人の方が早々に音を上げてしまう気がします(笑)。

養老:それを昔は修業と言ったんです。嫌なことがあっても、修業のため、自分自身のため、と思った。比叡山に「千日回峰」というものがあります。お坊さんは比叡山の中を走り回る。それ以外、何もしないんです。それが何なのかというと、誰かの役に立つわけでもなければ、GDPが増えるわけでもない。ただ、千日回峰を終えた人は「大阿闍梨だいあじゃり」という称号をもらえる。やり終えるまでの過程が作品なんですよ。たぶん、どんな人生にも同じことが言えると思うんです。

その点、今の若い人には自分自身が作品だという感覚はあるんでしょうか。死ぬまで自分を創っていくんだ、という。僕は(人生は)下手な絵を描いているようなものだと言っています。絵の具が悪いとか、キャンバスが安いとか、いろいろ文句を言いたくもなりますが、しょうがないんです(笑)。与えられたもので、一番いい絵を描くにはどうするか。それを考えるのが人生だと思っています。

—— 自分自身を作品だと思えるか。なんだかハッとさせられる問いかけでした。よりよい絵を描くために、人生の先輩としてアドバイスをいただけますか?

養老:それこそ、拠点を変えればいいんです。拠点を変えれば、自分を変えられる。決まりきった状況にいると、なかなか変えられませんよね。でも、拠点を変えると、自分を無理に変えようとしなくても、ひとりでに変わっていきます。

本来、人間は変わるのを嫌がる生き物です。自分が変わるというのは、死ぬことと同じことですから。以前の自分が死んでしまうような気がしてしまう。どういうわけだか、それが怖いんですね。でも、死なないんです。その変化のベースには(これまで積み重ねてきた)自分があるのだから。

じつは日本人は、そのことを平安時代にはすでに発見しているんですよ。『方丈記』も『平家物語』も書き出しはほとんど同じでしょう。「ゆく川の流れ」に「諸行無常」。すべては変わっていくものだ、という意識からまずは変えていくことが大切です。

—— 私たち「n'estate(ネステート)」のサービスが、その一助になれるよう、がんばりたいと思います。このたびは貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

養老さんと「n'estate」プロジェクトメンバー。「馬」と「鹿」の壁の前で。


都市に住まう利便性も。
自然豊かな地方ならではの充足感も。
「n'estate(ネステート)」で体験する、もうひとつのくらし。

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Photo: Ayumi Yamamoto
Interview: Toru Uesaka


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