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くらしを整える、知・徳・体のバランス。 Interview 徳谷柿次郎さん 後編

日本全国を飛び回っていた30代を経て、長野県への“移住”という選択を通じ、地域により深く繋がっていく面白さを再認識したという徳谷さん。後編では、自らを「体験主義者」と称する彼が、民家を受け継ぎ、畑の土を耕し、“未完成”のくらしを整えていく苦労と喜び。その先に見えてきた、ちょうどいいコミュニティのバランス。これからの未来に備えるべき価値観や知恵について。信濃町のご自宅でお話しを伺いました。

>前編は、こちら。
「より面白く、より深く。地域と関わるための“もう一歩”の踏み出しかた。」


― 現在は、信濃町と長野市で二拠点生活をされているのですよね。どのような頻度で行き来されているのですか?

徳谷さん(以下、徳谷):まず、長野市のシェアオフィス「MADO」に顔を出して打ち合わせをしたりするのが、週2〜3回。スナック「夜風」の営業もあるので、県外からゲストが来られたり、飲みに行くときは長野市へ出かけます。もともと住んでいた長野市の家も拠点として残しているので、寝泊まりはそこに。二階建て、畑庭付きで5万円と安い物件なので(信濃町の家とは別に)借りれちゃうんです。

― 信濃町と長野市の距離感も、程よさそうですよね。
 
徳谷:車で30〜40分の距離感での二拠点は、おすすめですよ。県外に出るときは長野駅から新幹線で移動するので、そのときは長野市の家に泊まれば朝もゆったりと出発することができて便利。街ならではの機能的なくらしもやっぱり好きなので、今のくらしはとてもバランスがいいなと感じています。

― 都市の便利さも、自然の心地よさも、どちらにもそれぞれのよさがありますよね。 信濃町のご自宅に出合うまでの経緯も聞かせてください。

徳谷:今の家に決めるまでに物件を三軒くらい見ました。一軒目は集落の中に位置していて。価格も安く、畑も付いていて、状態もよかったのですが、隣の家との距離が近いなと感じて断念。二軒目は、湖畔沿いにあってロケーションは抜群でしたが、建物がボロボロで。あと、除雪が入らないエリアだったんです。ただ、しっかりリノベーションにお金をかけたらカッコいいすまいになると思ったので、別荘使いができる友人に紹介。その友人が気に入って住みはじめたので、結果的に移住者を増やすことに貢献できましたね(笑)。

信濃町の徳谷さんのご自宅から見える風景。

― そして三軒目に出合ったのが、現在のご自宅。決め手は何だったのですか?

徳谷:日本の原風景のような山々の美しい景色が、しっくり来たんです。リノベーションに取り掛かる前に草刈りをしたのですが、電気も何もない中で手伝ってくれた友人と作業後に外で晩酌をしたことがあって。月が低い秋の夜、目の前に広がる稲穂が本当にきれいだったのをよく覚えています。

― 想像しただけでも最高ですね! リノベーションは、どのように進められたのですか?

徳谷:リノベーションは、ともに20代の若手建築士と若手大工のふたりにお願いしました。長野県内に住んでいて(徳谷さんが手掛けた長野市のお店)「やってこ!シンカイ」にも関わってくれていた建築士と、京都で知り合ったフリーの大工。ふたりともすごくセンスがいいので、ここで場数を踏んでもらったら面白いなと思って。最初は「3ヶ月でできます!」と言っていたのが、結局1年かかりました(笑)。除雪をしながらの作業だったり、いろいろと課題もあったのですけれどね。

この家は、もともと木材屋の社長さんが50~60代の頃に建てたそうで、とても立派な木材が使われていたのですが、風呂やトイレ、キッチンの使い勝手はあまりよくなかったので、構造も結構変えました。今は少しずつ手を加えながら、未完成をいかに楽しむかを味わっていますね。

― くらしながら、すまいの快適をアップデートしているのですね。

徳谷:リビングの土壁は、友人にも手伝ってもらいながら、みんなでつくりました。土壁は湿度や熱を吸収するので、冬場は薪ストーブの熱などを保ってくれて、蓄熱性が高くなる。そういった昔ながらのくらしの知恵を取り入れてみたり。大工の彼は今でもときどき来てくれて、農作業小屋を増設してくれたり、最近ではウッドデッキもつくってもらいました。

自分たちの手で仕上げたリビングダイニングの土壁。

― ウッドデッキの先に広がる家庭菜園も立派ですね。今は何を育てているんですか? ※取材は7月下旬に行われました。

徳谷:今育てているのは大豆、とうもろこし、さつま芋、ピーマン、ズッキーニ、トマト、ブロッコリーなど。自分が食べたいものを植えたのですが、いろいろありすぎて処理が追いつかず、大変です(笑)。来年はたぶん、種類を減らすと思います。

― たくさんの種類を一度にお世話するのは、大変ですよね。

徳谷:それでも夏野菜は、比較的育てやすかったです。ズッキーニとか、ボコボコ収穫できるとうれしくて! 逆に、ほうれん草などの葉野菜はきちんと間引かないと栄養が分散してダメになってしまうことを学びました。

― なるほど。日々あたらしい発見があって、都市のくらしとはまた一味違った刺激的な毎日を過ごされているのですね。

徳谷:そうなんです。生産する過程って、改めて面白い。食糧危機が訪れたら、野菜の値段ももっと上がるかもしれないし、自分の手でつくれる知恵を持っておかないと。土も毎日手入れをしていないと野菜は育たないし、何か起きてから急にはできないですから、今から準備しているんです。

土を耕すくらしは、編集者としてのこれまでの「答え合わせ」のようなもの。


家庭菜園で育てたブロッコリー。「育てるということは、食す責任が伴うこと。でも、農家の方々が見たら怒られるくらい収穫が遅くなってしまいました(笑)」と徳谷さん。

― その、危機意識を抱くようになったきっかけは?

徳谷:阪神淡路大震災、東日本大震災を経験したことは大きいですね。当時、僕自身はそんなに被害を受けませんでしたが、日本各地を取材していると、被災された方々のお話を伺うこともありますし、災害や食糧危機に備えて生きていったほうが、心身がブレない。「何が起きても大丈夫」という状況にしておきたいのが、一番のモチベーションになっています。それに、都市部でくらしている友人や僕に関係する人たちは何かあったら救いたい気持ちがなぜかずっとありますね。だから、地方移住をした僕がセーフティーネットを築いておこうと思って。

― 何が起きても大丈夫…! それを自ら先陣を斬って、体現されているのですね。

徳谷:体験主義者なんですよ。本を読んで知識を蓄えるのも面白いですけれど、体験してから読む本の方が実感を伴う。今までも農家さんを取材することはありましたが、自分自身がその生活を体験することで、現地を訪れた際にもっと相手の言葉を引き出せるのではないかと。だから、こうして自ら畑を耕すことも、僕が出会ってきた農家の方々がどんな価値観を以って農業に向き合ってきたのだろう? ということを、答え合わせしているような感覚です。

― いざ、実際に"体験"してみて何か気付きはありましたか?

徳谷:めちゃくちゃ農業の大変さを痛感しています。自給自足は夢の世界ですね。だって、200円で入手したキャベツの苗を、虫が付かないように700円もするスプレーで大切に世話して。やっと育ってきたと思ったら、下のほうが腐っていたり。とにかく手間とコストがかかる。でもこれ、スーパーに行けば100円とかで買えるじゃないですか。必要なときに、きれいな状態で保存性の高いものを手に入れられる。近代化された食のシステムは超合理的。その仕組みをずっと支えている農家の方々は、本当にすげぇなって。

この感覚を持っておくことは、これからすごく大事だと思っています。最近では、いろいろな方が未来を見据えてくらしを見直していますが、編集者として実践している人は少ないはず。
でも、編集の仕事をするならば、東京を軸に活動した方が絶対に効率はいいし、街の視点も持っておかないと客観的な記事がつくれない。それが、今の僕には(長野県に移住したことで)つくれなくなってきたように感じるので、「ジモコロ」の編集長の引退を決めた側面もあります。偏っている自覚がちゃんとあるので、若手チームの偏っていない世代に託す。

本来やらなくていい、余計なことをどれだけやるかが面白い。

― ご自宅のリノベーションを若手に任せるのもそうですし、徳谷さんはなんだか兄貴肌ですよね。

徳谷:つい自分でやりたくなっちゃうときもあるんですけれど、若手に任せた方がその子が面白くなる可能性がグンと上がるし、過去に自分自身がいろんな人にお世話になった分、そうやって人間関係を繋いでいけるのが一番いい。面白い大人と出会わせて、その子の人生が5年後、10年後に変わっていったときこそ、僕もまた新たな刺激を得られると思うので。

― 野菜を育てること然り、後進育成然り。未来への種まきをされているのですね。

徳谷:利益だけを追求して、仕事を一辺倒にやっているのでは生まれない面白さがある。余計なことをやっていると、面白いものが思わぬ方向から飛んできたり、セレンディピティなできごとが発生するんですよね。

(徳谷さんが番組MCを務めていた)「Dooo」という、ウェブやSNSを活用した報道番組の仕掛け人で、TBSテレビの池田誠さんという方がいるのですが、彼が使っていた“徳のセンタリング”という言葉を大事にしていて。(徳谷さんが代表を務める編集チームの)Huuuuでは「いつ戻ってくるか分からない“徳のセンタリング”を上げる」ことをカルチャーのひとつにしています。

とにかく上げまくっておいたものが忘れた頃に返ってきて、それが今の仕事につながる、いい仕事になることってあると思うんです。それが東京なら人間関係の進展も早いのですが、僕たちが対象にしているのは地方、全国。一年に一度行けるか分からない場所にセンタリングを上げたとして、返ってくる保証はない。だから見返りは求めない。このスタンスで決断していくと、何事も躊躇なくできるんです。

信濃町に引っ越してからお迎えした犬のコム。「韓国語で“黒”って意味です。この子の存在が、アンカー(錨)のように、自分のほどよい行動制限の役割を果たしてくれている気がしています」

― そんな徳谷さんが今後、長野でやってみたいことは何かありますか?

徳谷:あります。あの、なんだかふざけてるように聞こえるかもしれないんですけど、2億円借りたいですね。

― おぉ、2億円ですか!

徳谷:きっかけは、秋田県の男鹿市で「稲とアガベ」というクラフトサケ醸造所をやっている岡住修兵くん。醸造所、食品加工所、レストランをつくって、一風堂監修のラーメン屋も開いて。今度はヘリコプターを飛ばしてオーベルジュをやりたいとか。男鹿市という決してアクセスがよくない場所で、どれだけの事業を短期間でつくれるかの勝負をしています。彼と会ったときに「柿さん、2億円あれば何でもできますよ」って血走った目で言うんですよ。「とんでもない“やってこ人間”だ…!」と思いました(笑)。

― 「やってこ!シンカイ」ならぬ、“やってこ人間”ですね(笑)!  でも、地域にインパクトを残そうという覚悟がひしひしと感じられますね。

徳谷:そんな岡住くんの姿を目の当たりにして「じゃあ、自分が2億円かけてやりたいことって何だろう?」と大きなお題にして考えているところです。例えば、ホテルは“編集”の究極のかたちでもあると思っていて。寝る環境にしても、枕や寝具、耳栓ひとつからこだわってみるとか。僕がわりとそうなのですが、編集者の素養として神経質で敏感なところもあると思うんです。だからこそ、差異に気が付ける。そういった側面は生かせそうだなと。

徳谷:はたまたオーベルジュなのか、ビルを借りて複合型の施設かもしれない。土地や建物との出合いの中で、お金を貸してくれたり、応援してくれる人がいるのならやりたいです。それしか、もうヒリヒリすることがないと思っているので。

― ヒリヒリしたいんですね?

徳谷:したいですね。自然豊かな場所で、犬を飼って、畑を耕して。今までできなかった生活がかたちになってきていますが、まだ40歳なので仙人化するには早すぎますよね(笑)。

今後は、僕が生業としているウェブや紙の編集という仕事ももちろん続けていきますが、これまでとは違った事業モデルを考えて、若手や移住者との関わりや雇用をもっと増やしたいとは思っています。別に、社会のためになるとか大義のためではなくて。
 
― そんな未来を、徳谷さんご自身が見てみたいから?

徳谷:見てみたいし、それを実践されている先輩に全国で出会ってきたから。自己決定で選んだ土地でウェルビーイングを追求しながら、面白く、大きな挑戦に立ち向かえるのは40代が最後かもしれない。自分のエンジンをちゃんと自家発電で動かしたいんですよ。今年は30代を走りきった分、ちょっとペースを下げながら、一度ニュートラルな状態で「次、どうしようかな?」を考えているところです。


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Photo: Ayumi Yamamoto


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