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【失敗から、どん底再生中!】#6 安息の地を求めて                                

不安定で記事を書くのに
一か月以上の時間が空いてしまいました。フォローしてくださった方々、
お読み頂いている皆様へ心より感謝しております。

ありがとうございます。

私は現在60歳です。 会社倒産、自己破産を経て早7年が流れました。
震災もだいぶ落ち着いたと思えば、今度はコロナ禍です。
コロナ禍を経て、何とか生きています。


前回の話は

天へ祈りが通じて バイクで旅をすることができたところまで。


【旅を終えて】



すぐにドライバー業務でフリーランスの仕事に就くことができました。
しかし、請負業務ですので経費もかかり、
赤字の仕事もこなさなければならない状況でした。

食べていくのが精一杯でした。
フリーランスの仕事は職種によって異なるでしょうが、
ドライバー業は早朝から深夜までの業務です。

請負業には労働基準法などは適用外で、
年配者には結構厳しい状況の仕事が多いのではないかと思います。

【コロナ禍】

やっと仕事にも慣れたところで、「コロナ禍」が訪れました。
仕事は激減し、ほとんど仕事がない状況です。

この出来事は、破産し財産もお金もない私にとって致命的でした。

コロナ禍の間にバイクを手放しました。

公的支援も受けましたが、
経費のかかる赤字の仕事で、すぐに底をついてしまいました。

結局、家賃も滞納し、
部屋を引き払うしかない状況に追い詰められました。

子供達に相談しましたが、
自立した子供たちは破産した私をよく思っていないようです。

当たり前と言えば当たり前ですが、
震災からの会社の立て直し、仕事中心の生活、
寝ても覚めても仕事のことばかり考えていました。

従業員の生活を守らねばと、
会社を最優先にしてしまいました。
(この失敗は後に「ビジョンの法則」で少し詳しく書きます)

本当に大切な思春期に子供たちと一緒にいてやれなかったこと、
私は家族にほとんど何もしてあげられない人生を歩んでしまいました。

前妻は私を「偽善者」と呼びます。
私自身、何を言われているのか分かりませんでしたが
今思えばその通りです。

自分自身、破産後
PTSDのような症状で精神的に壊れていると感じていました。

「物事の状況が過去の致命的な状況とリンクして現状を把握できない」
私の頭の中は、
「借りていた部屋を出なければならない」という思いでいっぱいです。

家族も「住み込みの仕事を探せ」と言います。

【牧場での住み込みの仕事】

「もう一人で死に場所を探すしかない」と思いました。
そんな中、知り合いから
「馬を飼育するレジャー牧場が人を募集している」と聞きました。

私は以前から馬や動物が好きだったので、
これはと思い電話をしてみました。

「牧場には住居もあり、住み込みが可能です」とのことでした。

私は現地に二回ほど訪れ、住居があることを確認しました。

膨大な私有地。周りには何もありません。
鬱蒼としたブナの原生林のど真ん中にあります。
人里へは車で20~30分はかかる森の中。
とても素敵なロッジでした。
別棟にある居住スペース

「ここへ本当に住めるのですか?」と尋ねると、
先方はしっかりと
「大丈夫です。出来るだけ早く来てください」とのお話です。

私はそこで馬の世話をして一生を終える覚悟で、
必要最低限の生活必需品を残し、
それ以外は全て一人で処分。

ゴミ処理場を行ったり来たりし、
タンスや家具、家財道具、会社の大量の書類等、
全てを処分。

結局処分と準備に約1か月もかかりました。

処分している時はかなり辛かったです。

過去が頭をめぐり、
会社をやっていた頃のいろいろな思い出、
書類や文房具、パソコン。

思い出が蘇り自然に涙が
頬をつたいます。

使える文房具は売るほどあったので、それらは寄付しました。

【安息の地を求めて】

この題名は私の好きな
エリック・クラプトンのアルバムの題名でもあります。
1975年、中学の時期にこのアルバムが発売されました。

卒業時の寄せ書きに
「安息の地を求めて」と書いたところ、すぐに担任の先生に呼ばれ、
「なぜこのようなことを書いたのか?」と問われました。

私は「えっ?好きなミュージシャンのアルバム名です」と答えました。
先生は、違う意味での「安息の地」か、

はたまた私がこの世を去るとでも思ったのでしょうか(汗

幼少期、母親は私を家に残したまま二度と戻りませんでした。
父親は母が出て行った寂しさからか、
元々酒好きだった父はアルコールに溺れていました。

父親を見ていたせいか、私はアルコールを受け付けません。
当時の私の生活は今では幼児虐待で問題になるでしょう。

弁当も持たずに学校へ行きましたが、
不憫に思ったのでしょう、
私にいつも、おにぎりを握ってきてくれた。

思春期真っ盛りの私は周りの目を気にして、
強がり「いらねぇ~よ」と
受け取らないこともあったなぁ。

気が付けばこっそりおにぎりをカバンに入れて置いてくれたことも…

西野先生、俺は一生忘れません。

ありがとう。


話は大きく逸れましたが、
「安息の地を求めて」全てを捨て、
骨を埋める覚悟で部屋を引き払いました。

【牧場での生活】

馬にはすぐに慣れました。
「好きほど、ものの上手なり」かは分かりませんが、
二、三日で普通に一人で乗れるようになりました。

日本でも指折りの指導者です。
きっと指導者の教え方が上手かったのでしょう。

経営者に住居の話をすると、

「ゲストが夏場に使うから、あそこへはまだ住めない」と言われ

全て捨て、何度も確認をしたのにあの時は愕然としましたね。

幸いにも牧場を見つけてくれた親切な知り合いの部屋へ、しばらくお世話になることになりました。

給料は時給でしたが、観光牧場という業種柄、
長雨の影響もあり営業できない日も。

収入は予定の半分ほどで、食事もいただいている手前もありましたので、
それなりのお礼と考えておりましたが
お世話になっている方へのお礼も殆どできませんでした。

その後、
コロナの影響で経営がもともと傾いていた様で、
牧場は転売され、経営者が変わり、
住居の話も完全に無くなってしまいました。

そして私は余儀なく牧場を退社せざるを得ない状況となります。

結局のところ帰る所も無くなりましたので青森県でドライバー業に戻る事になります。

今振り返ると
「牧場は私にとっての安息の地」でしたね。

季節はちょうど二年前の今頃でした。

手前の黒い体におしりが白い馬が私の推しです!名前は「ドット」って言います😊
ドット彼女はあまり可愛いいお顔とは言えません。ストレス
からか目を見開きいつも固い表情です。でも大好きです。

いつもオドオドして、
あっちに行ったりこっちに来たり落ち着きがないため、
群れで一番の嫌われ者になってしまいます。

小さな馬に蹴られて、群れに馴染めないのです…。

サラブレットやこの子のように体が大きい馬は、
群れの中では弱いものです。

体の小さな馬の方が小回りが効き、大きい馬を蹴りやすいのです。

大きな馬は体を反転させて蹴るまでに時間がかかります。
だから、すぐに蹴られてしまい、負けてしまうんですね。

でも、走れば速いですよ!

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