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私は発達障害という言葉が大嫌いだ。障害は個性であって人を照らす光にもなる

この世的に名付けられた 発達障害の括りに 
自分が入ってしまっている事に 
それが いけない 悪い 事のように
意味づけられているこの世のなりわいに
苦しんで 悩んだ事があった。

自分は「発達障害かも⁇」と思い 
「私って発達障害かな⁇」と尋ねると
保健師の友人に「貴女は発達障害よ‼️」と言われ
やっぱりそうかと思った

「変わっている」とか「個性的とか」よく言われる自分
組織で人と同じ事ができない自分

他者のやり方を見て
この方が効率的で理にかなっているのにと
自分流にやり方を変えれば 「組織を乱すな」
「何をしてるのか‼️」と激怒され
叩かれ 馬鹿にされる事も数知れず
問題児扱いされた

協調性がない自分
自分の関心のあるものを見つけると
脇目も振らずその場所にゆき 見たり触ったり
まるで子供だ。

空気が読めない人間そのもの。

とてもつもなく飽き性なのに
自分がやりたい 関心のある事は
まるで 闘牛の如く
まわりの事が目に入らぬ状態で突進して行く
それも 倒れるまで 思いが実現するまで 
納得するまでやり続ける。

ものに打ち込むエネルギーの出し方は 1か100
 
整理整頓はすごく苦手。

事務処理に人一倍時間がかかる
時間や数字が頭に残らない 入っていかない
時間をかけて 何度も繰り返してやっと頭に入ってゆく感じ

文字がすんなり頭に入っていかない
それも 何度も自分で言って
書いたりして やっと頭に入ってゆく
そんな私だから
人と同じリズムテンポで同じ事(仕事)ができない。
まわりの人からは 知的に低い馬鹿のように思われ
いじめの対象 ターゲットになってゆく。

言葉がすんなり入っていかないので
相手から暴言を吐かれも
ある事ない事を言われても
相手から言われた言葉に すぐに反応できず
言われっぱなし
ゆっくり その人が自分に向けた言葉を
噛み砕く内に 電流の悪い蛍光灯ように
時間差で 「なんで そんな事言われなければいけないの」と
怒りか込み上げた時には そこにその人はいないのです。
言われっぱなし。

このままではダメだと 発達障害である自分を全て受け入れて
自己分析した。直せないなら補うものを身につければ良いと思った。

耳が聞こえにくければ補聴器をつけるように
目の悪い人がメガネをかけるように
歩くのが困難であれば 杖を持つように

発達障害の負を補える 私にとっての
メガネや補聴器や杖 変わるものを探した。
私の個性 諸刃の剣を
負の世界をプラスにするために 
自分なりの手法を見つけ出した。

私は発達障害という言葉が大嫌いだ
なぜなら 障害者だと思っていないからだ
障害は個性なのだ
その個性を受け入れて プラスになれる
マイナスを補うものを 自分の生活習慣に組み込めば
克服できるだけでなく 十分社会貢献もできるのだ。
障害者ではない。

60歳まで 自分の個性 気質に悩みつつ
発達障害という個性を 障害ではなく
より良い個性として 自分や他者を幸せにする
個性として磨きをかけてきた。

育児相談で発達障害だと悲しみにくれて
相談に来られるママやパパに
「私も発達障害者だよ」と伝えると驚かれる 
発達障害者は 社会で適応できないと思い込んでいることから
苦しみ 悩みは始まっていて
そこから まずは解放してあげる事
「どうすれば 社会適応できるか?」とういう方法も
助言する

闇だと思っている世界から
闇だと思いこまされている世界から
抜け出した時 それが 光に変わる
自分だけでなく まわりまで照らす光となる

目が見えない
歩けない
手がない
足がない
目に見える障害も

発達障害や
時別な病気をもっている障害も
目に見えない障害も

誰が名付けたのか「障害」という言葉。
「障害」は「負」ではないのです。
諸刃の剣のように
普通の人には
見えない世界を感じ 気付き
メッセンジャー
人を光の世界に導く人
光のパワーに変れるのです

闇を知っているからこそ
光の世界にするために必要な事柄が
見えてくるのだと思うのです。





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