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感想 「大正×対称アリス 猟師編」 〜「心的外傷と回復(増補版)」 ジュディス・L・ハーマン 著 と共に〜

 解離オタクが、好きな作品について主観山盛り、ときめきてんこ盛りで語ります。

 今回の作品はこちら!

 乙女ゲーム「大正×対称アリス」のファンディスク「大正×対称アリス HEADS & TAILS」。わたしはvita版をプレイしました。switchやPCでも展開があるようです。こちらの「猟師編」を取り上げます。

 そして、参考図書はこちらのご本です。

 「心的外傷と回復 増補版」
 ジュディス・L・ハーマン 著 中井久夫 訳
(本のみの感想については、改めてじっくり語ります!)

 専門書を読みながら、本作の萌えポイントをマニアックに語りたいと思います。

 ※以降、本作品(ゲーム本編及びファンディスク)のネタバレを含みますのでお気をつけ下さい!




「大正×対称アリス」 概要

 ここでざっくり、大正×対称アリスについて。
 本作品はいわゆる乙女ゲームです。ヒロインはあべこべになったおとぎ話の世界で、キャラクターそれぞれと恋をします。攻略キャラクターは、シンデレラ、赤ずきん、かぐや、グレーテル、白雪、魔法使い、アリス……童話モチーフになっています。皆、個性的かつ魅力的なので、是非本編をプレイしてみて下さい!
 今回取り上げるのは、このゲームのファンディスクにあたる作品です。いくつかパートがありますが、ヒロインの兄である『有栖諒士』視点で進行する「猟師編」に焦点を合わせます。ゲーム本編の真相ルートにあたりますので、ネタバレについても触れます! お気を付けください!

有栖諒士が示す、心的外傷との関わり方


 本作は、心的外傷(トラウマ)の治療における取り扱いを、丁寧に描写してあるところが魅力的です!
 猟師編の流れを追いかけながら、心的外傷や精神医療に関する部分を見ていきます。

少年との出会い

 医学部5年生の有栖諒士は、ある夜、湖で少年と出会います。少年と会話する中で、二人は親睦を深めていきます。
 ただ、少年は夜に一人で出歩いている状態です。諒士は、自分が少年からの謎掛けに正解できたら、湖に来るのはやめるよう伝えます。
 少年とのやり取りを繰り返し、遂に諒士は正解へ辿り着きます。
 少年は正解のご褒美として自宅へと諒士を案内しますが、そこにあったのは腐乱死体。少年は、死後随分経過した母の遺体と暮らしていたのです。
 諒士は思いがけず凄惨な場面に遭遇する事になり、遺体発見を通報し、弱りきった少年は病院に搬送されます。
 そして諒士は、少年の苦しい状況をもっと早く気付けなかった事を悔いるのでした。
(少年との会話などが素敵なので、是非ゲームでご覧下さい!)

患者として経験する精神科

 事件から二週間後。諒士は、事件の後遺症で食事を摂れなくなっていました。
 その様子を見た周囲から、精神科受診をすすめられます。
 精神科で診察を受ける諒士。
 会話の中で、医師は話します。

「他人から見たら、どんなちっぽけなことでも、その人にとっては大きな傷かもしれない。自分自身はちっぽけなことだと思っていたのに、実は深い傷であることに気が付いていない場合もあるだろう。目に見える傷ではないから、判断が難しい。適応能力というのも人それぞれです。もっというと、人によってストレスの受け方が違うんです」
「でも、君のような体験をすれば誰でも君のような状態に陥ります。それは異常事態に対する正常な反応です。ですから、そう気に病むことはないんですよ」

猟師編

 ここで「心的外傷と回復」の頁を開いてみます。

患者が外傷性症候群であると思ったならば、このことを患者に全面的に告知すべきである。外傷を受けた人は、自分の疾病のほんとうの名を知るだけでほっとすることが少なくない。診断を知り、それであることを確認することによって、症状の主人となる過程が開始するのである。(中略)さらに、自分がクレージーでないこと、外傷症候群は極限的な情況における人間の正常な反応なのであるということを知る。

「心的外傷と回復 増補版」244〜255ページ

しばしば、治療者は、援助を受け入れることはあなたの勇気を証明する行為であるというリフレーミング(問題の引き直し)を行う必要がある。自分の障害という現実を認めてそれを変えようとすることは強さの証拠であって弱さの証拠ではない。(中略)治療者は、この見方をはっきりと具体的に述べる必要があるだろう。それは、被害者に診断名を受け入れ、治療を求めるのを邪魔している羞恥心と敗北感とにメスを入れるためである。

「心的外傷と回復 増補版」247ページ

 症状は『異常事態に対する正常な反応』であり、誰にでも起こりうることで、自分がおかしくなってしまったわけではないこと。
 気に病むことはない(症状は己の弱さの結果ではない)こと。治療を求めることに羞恥心や敗北感を抱く必要はないこと。
 医師は、それらを伝えています。
 診察シーンを続けて見ていきます。

 そう言うと、精神科医はカルテの処方欄に横文字を書き込み始めた。
「……薬ですか」
 俺の口調に不安を感じ取ったのか、精神科医は机にあった薬を見せて説明してくれた。

猟師編

 処方薬に対する躊躇いを描いているのが上手いなあと思います。ただでさえ初診で何をするのかわからない不安がある上、心の準備もままならないうちに薬を出されるとなると、身構えるものです。精神科処方薬は他の薬より効き方をイメージしにくいのも、不安要素としてあるかも知れません。
 机にあった薬を見せながら、医師は語ります。

「これは不安や緊張をやわらげるものです。副作用は眠くなったり、ふらついたり、人によっては太りやすくなったりすることですかね」
「依存性も低いので、肩こりなんかの治療にも使われています。私も飲んでいますよ。ただ、車の運転は控えた方がいいかもしれません」

猟師編

 しっかり薬を説明し、自分も飲んだけれど大丈夫、と安心させる。処方薬をまず自分で飲んでみて、感覚を確かめる精神科医もいらっしゃるようです。「心的外傷と回復」訳者である中井久夫先生もそうだったらしいと読んだことがあります。

 薬の説明をすることにも、治療上の意味があります。

患者のインフォームド・コンセントの如何は個々の薬物の有効性と同程度に予後を左右する。患者が単に〈症状が抑えられるから薬を飲みなさい〉と命じられるだけであるならば、患者はまたしても力を抜き取られることになる。もし、逆に、患者が自分が最善と思う判断に従って使ってよい一つの道具として薬物を提供されるならば、患者が自分には有能性と自己統御力とがあるという感覚は強められるだろう。この精神で薬物をさしだせば協力的な治療同盟関係が築かれる。

「心的外傷と回復 増補版」251ページ

 心的外傷(トラウマ)は、『無力化』と『他者からの離断』をもたらします。自己統御権、自分で自分をコントロールできる力を回復するのは重要なことです。
 受診が必要な症状があることを認める、という選択。
 治療を受ける、という選択。
 薬を使うという提案を肯定し受け入れる、という選択。
 『受診』『服薬』という行為が『自分で自分をコントロールする力』へと繋がるんです。
 治療の主役は患者自身で、その主体性を尊重しています。

求められているのは、全く(治療者だけの)一方的な行動ではない。当事者に対してその希望を尋ね、安全と両立する範囲内で選択肢をできるだけたくさん出すべきである。

「心的外傷と回復 増補版」206ページ



 その後、諒士は外来に通い、処方された薬を飲むことによって、徐々に元通りの生活を取り戻していきます。

「その後の状態はどうですか?」
「かなり良くなりました。きちんと食事をとれるようになりましたし、体重も元に戻りつつあります」
「良かったですね。薬はどうですか?」
「きちんと食後に飲んでいます」
「飲むと気分が落ち着きますか? 過度にぼーっとしたり、眠くなったりしませんか?」
「特には」
「そうですか。ちゃんと効果が出ているみたいですね。落ち着いているようなので、今度からは段々と薬の量を減らしていきましょう。飲みすぎると、依存したり薬に耐性がついてしまいますからね」

猟師編

 徐々に減薬していくところもリアルですね……。本作、診察場面が絶妙にリアルなんですよね。質問内容や会話が本当に診察場面っぽいです。

 諒士は自身が精神科にかかったことで、精神科への見方が変わります。そして、少年とのことを思い、精神科を専攻すると決断します。

少年との再会、主治医との別れ、少年の眠り

 精神科での日々を過ごす中で、諒士はかつて湖で会った少年と再会します。しかし、少年は諒士に人違いだと言います。
 少年はDID(解離性同一性障害)患者で、諒士が出会ったのは、別の人格だったのです。
 諒士は少年の治療に加わるようになり、主治医の退職によって、少年の主治医になります。主治医と少年の間に一悶着あるのですが、ここでは省きます。詳細はゲーム本編でどうぞ!
 更に紆余曲折あり、少年は諒士の妹の婚約者となります。(乙女ゲームとしての展開です!)
 少年は、諒士の妹と共に暮らすうちに、諒士の妹への羨望や、人格交替で自己コントロールができない不安を抱えます。そして、別の人格と対話したいと考え、過剰服薬。自殺未遂ともとれる行動に出ます。少年はそれをきっかけに、眠り続ける状態となってしまいました。
 諒士は妹に、少年に語りかけて刺激を与えることを提案します。
 諒士の妹は、眠る少年に語りかけることで少年の夢の中へ割り込もうと試みます。
 諒士の妹の猪突猛進暴走具合は是非ゲームにてどうぞ。

 結果的に、少年は目を覚まします。


精神科医として患者と向き合う

 目覚めた少年は、主治医である諒士と診察で会話します。

「彼ら(他の人格)には彼らの苦しみがあった。僕はその片鱗を少しだけ覗きました。だからこそ、僕達を統合するのは止めて欲しいんです」
「……それは彼らと話し合って出した結論か?」
「はい」
(中略)
 ここまで意志が固まっているのなら、俺が出来るのは、精神科医としてアリステアの出した結論に『それでいい』と保証するだけだ。
「お前達の中で結論が決まっているなら、俺も見守っていこうと思う。『猟師』はおとぎ話で、主人公を助ける重要なサブキャラクターだしな」

猟師編

 当事者を主役にして、安全と両立する範囲内で、選択をさせ、見守る。自分で自分をコントロールできる感覚へと繋げています。

「薬も……まあ、暫くは飲んでもらうが……他に特に異常は見られないし、近いうちに退院出来るだろう」

猟師編

 ……薬の取り扱いがまたもやリアル。
 ちゃんとしばらく継続する。
 安定したかどうか、期間おいて様子を見る必要がありますからね。すぐ止めると良くない薬もあるし。

 少年は諒士に提案します。

「あの、白雪も諒士さんに会いたがってると思います。二人さえ良ければ僕の身体を使って……」
 俺はその提案に首を振った。
「あいつの物語はちゃんとハッピーエンドになったんだろう? なら、俺は必要ない」
 (中略)
「お前の気持ちは嬉しいが、俺は白雪のことも好きだし、お前のことも好きなんだ。お前は目覚めたばかりで、しかも今まで抱えてきた精神的ストレスが一気に開放されて、気分が高揚しているようにも見える。今はお前が落ち着くことが一番大切だ」

猟師編

『白雪』というのは、諒士を自宅へと招き、母の遺体を見せた時の人格でした。つまり諒士とは知り合いなのですが、会うことをしなかった。

治療者は、治療関係の導入にあたって、患者の自己決定権を尊重し、そのために個人的興味を持たず中立を守るということを誓約しなさい。「個人的興味を持たない disinterested」とは「治療者は自分の個人的欲求の満足のために患者に対して権力を行使することを絶対にしないようにする」ということである。「中立的 neutral」とは「治療者は患者の内面で葛藤しあっているもののどれかの肩を持つことをせず、また患者の生活決定に直接指示もしない」ということである。

「心的外傷と回復 増補版」208ページ


 諒士は精神科医として、患者を主役としながらも、止めるべきところは止める采配をしています。

『患者の自己決定権を尊重し、そのために個人的興味を持たず中立を守る』ため、全力を尽くしているのがわかります。

患者の安全を最優先に考える

 少年の意識は戻りました。
 諒士は、妹とその友人を叱ります。

「とりあえず、お前らは後で説教部屋行きだからな。催眠療法とロール・プレイングの合わせ技か。本で見た知識だけで何とかなると思ってたのか? あいつに何かあったらどうすんだ! 下手したら、あいつの人格を破壊して二度と目覚めなくなる可能性だってあったんだぞ! 結果的にアリステアは目覚めて、一見ハッピーエンドといえなくもねぇが……もし、目覚めたとしても、あいつがあいつでなくなる可能性だってあったんだ。それこそ、お前らが望んだ結末じゃないだろ?」

猟師編

 お兄様の仰る通りです。
 トラウマを取り扱う際は慎重であるべきです。
 クラフトの「三分の一規定」を見てみましょう。

このような慎重かつ周到な構造化は覆いを取る面接それ自体の設計にも必要である。リチャード・クラフトは多重人格障害の患者を相手に仕事をしている人だが、この原理を「三分の一規定」と言い表している。「汚れ仕事」をしなければならない時は、面接時間の三分の一の間に口火を切るべきである。その間に始められなければ次回に延期するべきである。インテンシヴな問診は面接の中央の三分の一に行い、最後の三分の一は患者が気をとり戻し気をしずめるための時間に取っておくべきである。

「心的外傷と回復 増補版」291ページ

「三分の一規定」は要するに、面接時間配分として
 全体の三分の一で導入をやり
 全体の三分の一でトラウマを取り扱い
 全体の三分の一でトラウマを安全な場所にしまい、不意に飛び出してこないようにする
 ということです。

 トラウマが治療の枠外に飛び出すと、大変なことになります。数日寝たまま起き上がれないとか、逆に数日起きっぱなしとか、激しい鬱とか止まらない焦燥感とか。過覚醒、侵入、狭窄、全部一気に溢れ出す。24時間ずっと、いつ危険に襲われるか待ち構え、臨戦態勢になる。恐怖で日常生活が破綻する。自分は穢れた存在だから息をする資格はない、未来なんて考えられない、耐えられないから今すぐ死のう、みたいな状態になる。自殺リスクが爆上がりする。その状態で野に放たれるんだから、まあ死にたくもなりますね……。
 苦しいから治療を求めるのに、そこで際限なく死にたくなったら、どうすりゃいいんだって話です。

パンドラの箱を閉じられない者には、パンドラの箱に触れたり開けたりする資格はない。

新庄透子

 ……すみません書き手の主観入りました。
 実体験から言うと、本当にこれに尽きる。
 トラウマの扉を満足に閉じることができないなら、扉を開くべきではない。
 DIDなんて全身にダイナマイト巻き付けてるようなもんなんだから、ひとつトラウマか爆発したら、次々に爆発して木っ端微塵になるんやぞ。

 妹の行動は、諒士に言わせると『催眠療法とロール・プレイングの合わせ技』。
 これって、この作品の核なんです。作品としての仕掛けそのものだし。
 でも、そのやり方を猟師編で否定している。
 諒士(精神科医)の立場から見たら、危険極まりない行為です。精神科主治医としては、患者を護るために、ダメだとするのが正解なんです。
 諒士の妹がやった手法に近い療法が全く無いわけではないです。ただ、それを取り扱うのは、本を読んだだけの素人(諒士の妹)ではダメです。危険だから。専門家としての知識と技術と経験を持ち、患者の安全を保証し、責任を負える者でないといけない。

 おとぎ話の世界、夢の世界を否定して、現実世界に立ち戻る。
 猟師編らしい、と感じます。


人格統合への考え方

 諒士は妹から、解離性同一性障害の人格統合について尋ねられ、こう回答しています。

「一人の身体に一つの魂、一つの人格。正しい人間の在り方だ……と、前の主治医は言っていた。……DIDは脳の障害じゃない。本人にとって堪えられない状況を記憶や意識を分離することによって、心の安定を保ってきたんだ。無理に統合しようとすれば、その安定が崩れかねない。それに、もしお前が『お前は交代人格であって、この身体の本当の持ち主じゃない。今すぐお前は消えるべきだ』といわれたらどう思う? それは死ねといわれているようなもんだろう。それぞれの人格はそれぞれ独自の考え方を持ち、価値観も違う。今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えれば、余計な混乱を招くだけだ。(中略)本人達の役割がそれぞれ決まっていて、必要な情報を伝達しあい、互いに納得した上で住み分け出来ているのなら、それはそれで社会に適応しているんじゃないかという考え方もある。……俺は交代人格の完全な統合が最善だとは思っている。だが、無理強いはしない。結局のところ、本人達がどうしたいかによるな。まあ、今はあいつの環境を落ち着かせることが最優先だ」

猟師編

(私・スタンディングオベーション)


「人の弱さを知っている」という強さ

 少年の中の人格「白雪」が、諒士を家に招いた際の台詞を引用します。

「諒士は療士の仕事に向いていないと言っていたけれど、俺は向いてると思ったよ。諒士は無神経だし、お節介で、鈍感だけど……芯が強く、人の弱さを知っている」

猟師編

治療者としてトラウマに向き合う際の、あたたかい眼差しを感じる作品


「猟師編」は、治療者としてトラウマに向き合う際の、あたたかい眼差しを感じる作品です。
 患者を尊重し、そっと寄り添い、見守る。
 制止が必要な場面では、ちゃんと止める。
 有栖諒士は、きっと良い精神科医になる。
『猟師』はおとぎ話で、主人公を助ける重要なサブキャラクターだから。

 是非、「心的外傷と回復」を片手に、ゲームで物語を味わってください。


『主人公を助ける重要なサブキャラクター』として


 トラウマやPTSDを専門職として取り扱う方は、「心的外傷と回復」を是非、最低一周は読んでいただきたいです。治療者が陥りがちな状況、クライアントに寄り添う眼差し……知っていれば、立ち止まり防げることもきっとあります。(DIDを扱う専門職の方は、パトナムとハーマンで二刀流をオススメします…!)

 治療者側も人間です。自身のエゴが入ることもありましょう。時に誤り、時に後悔することもありましょう。しかし、クライアントを主体にし、自分に何ができて何ができないか、どんなスタンスでいるべきか、何を進めて何をセーブするべきか、常にベストを考え、見守り寄り添う、その姿が垣間見えるなら、それは信頼を育む礎になるかもしれません。

『主人公を助ける重要なサブキャラクター』
 その意味と役割を再確認するのに最適な一冊です。

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