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昭和40年代、ドリフターズの思い出

いよっ!!かーちゃん、待ってました!


いよいよ旅日記が、始まったね~。

とーちゃんは、ひそかに期待していたんだよ。

だって、多分これ、
超すげー、1泊2日のオンパレードだから、
この旅行企画たてられるの、とーちゃんだけだから。

ただ、この旅行企画に、ついて来れるのも、
かーちゃんしかいない、とも思うのだ。

はやり病が、世界中で蔓延する前まで、
60回以上、毎月旅を続けてきたので、相当なものだと思う。

これからも、UP期待してるぜ!

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さて、今日は何を書こうかな?

そう、自分で言うのも何だが、
とーちゃんはたぶん、相当記憶力がある。
と、言っても、勉強とかそういうのでなく、くだらない記憶だ。

その記憶力を、勉強に活かしていたら、
文京区本郷の赤門をくぐっていたことだろう。

でも、残念ながら、そちらでは活かせなかった。
だから、今の、この人生を歩んでいる。

「それゆえに、今が、ちょー幸せなのだ!」と、思っていたりする。

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先日、ドリフターズの仲本工事さんが亡くなった。

実は、ドリフの思い出は、強烈にある。

とーちゃんは、たぶん5・6歳くらいの時に、
南武線鹿島田の駅近くにあった、ローカルな映画館で、映画を見た。
ちなみに今は、その映画館はない。

その時観たのは、「ドリフターズ」の映画だった。
間違いない、それを今でも記憶している。
まだ、メンバーが志村けんさんでなく、荒井注さんの頃である。

当時、近所のハナタレ小僧たちを、
近所のおばちゃんが引き連れて観に行ってくれた。
昭和40年代の、いい時代である。

ちなみに、荒井注さんのギャグで一番好きなのは、
何だバカヤロウ!」だ。←(これ、たぶん、昭和世代しか知らんだろう)

話をもどす。
映画館から帰ってくると、家族に、
その映画のストーリーを、最初から最後まで、すべて語っていた。
今考えると、家族から、
そうとうウザい子どもだと思われていたことだろう。


ドリフターズといえば、土曜夜8時にTV放送されていた、
「8時だよ全員集合!」が有名だ。
これは、30代後半くらいまでの人は、知っているのかな?

とーちゃんが小学生のころ、
父(えいちゃん)と、母(マミー)、中学生の姉、幼稚園の妹、
5人家族で、
「8時だよ全員集合!」の生放送を観に行ったことがある。

と言っても、今みたいなチケットではなく、
往復はがきで、観覧希望で送り、当選して、初めて観れるのだ。

な、なんと、それが当選したのである!

それは当時は、超・超・ちょーーーープレミアチケット。

長さんに会える、カトちゃんに会える、ブーさんに会える、コーちゃんに会える、志村にあえる!

ドリフ好きの子どもにとっては、

もう、鼻血ブー状態だ!!!

出典:谷岡ヤスジ先生の「鼻血ブーだもんネ」


当時、まだ若かった、えいちゃんとマミーは、
興奮状態のボクを含めた、3人の子供を引き連れて、
バスに乗り、電車に乗り、歩いて、
渋谷公会堂まで、観に行ったのだ。

今、考えると、凄いエネルギーだと思う。

ちなみに「渋谷公会堂」の、今の名前は「LINE CUBE SHIBUYA」というらしい。

時代は、変わったもんだ・・・。


そして、生放送が終わり、
今度は、歩いて、電車に乗り、バスに乗って帰宅する。

ドタっと、5人が畳にぶっ倒れて、眠りにつく。

昭和40年代とは、そんな時代だった。

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