石さまざま

暇人はイマジンする 六畳一間のホモ・ルーデンス

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最近の記事

理想

理想をひとつ書きたい。私はこれから色々なことを書くだろうが思っていることはひとつだ。もしもそういう理想の土地へ踏み入れたならば、よく反省しようと思う。数えるようにするのではなく、よく顧みられるように。私はこの逃れたい嫌悪のためにわずかばかりの作家性を帯びて作文してきた。時たまにこういう想像をする。もし人間が不平不満から解き放たれたならば、物書きはなにを書くのだろうか。書くことはあるのだろうか。もし不幸にも私の予感が的中したならば、作家が生産しているものとは一体如何なるものであ

    • リヴァイアサンと私秘性 【人文学論考】

      われわれは知の形式を分類することができる。いかようにも分類することができる。哲学の系譜や潮流から言っても、様々な学派が存在するというのは、もはや自明であるかのように思われてくる。科学や宗教、文学、日常のあらゆる生活の中でも、まとまったカテゴリーを形成してきた。それらカテゴリーが人間の思考にとって役に立ち、反対に役立たなくなったものは、時代の選別を経て、時に廃止されやがて衰退の一途を辿るのだということを見てきた。錬金術師は化学者に代わり、小作農民は機械労働者へと変貌した。革命に

      • 鉄だという思想

        まえがき 本筋に入る前に、なぜ題目に思考ではなく、思想と表記しなければならなかったか。思考と思想という言葉には如何なる違いがあるのか。何れだけの射程の違いがあると云うのだろうか。一般に思想と云う時、我々はあの悍ましかったヒトラー政権を思い起すのか?それともスターリンを思い起すのか?将又、それに追従してしまった国民の失敗を呼び起こすのだろうか?尤も俗的にも、この言葉の意味を捉えるならば、思想とは危険な物であるという感覚すらある。当然、そう云う危険な思想とは離れる運びであった。

        • 亞聾啞者

          「咽が痛え」 それは恐らく、この冬の寒さの所為だろう。御負けにエアコンをだらしなく稼働させ続けていると、室内が段々と乾燥してくる。砂漠の様に水の足りない処で、しばらく身を動かさずに居れば、躰中のあっちこっちが痛むのは仕様がない。多分、就寝中に大鼾を掻いているのかもしれない。下手すれば、息の根が絶えているやも知れぬ。寝覚が最悪だった。胃が靠れるは、鼻は詰まるは、耳が鳴る。胡蝶の夢も、若しも蝶々が、瞼の掠れる視界に入り込んだならば、復た私は目を擦ってみるだろう。そういう風にして、

          文体論 造形思考 ② (上昇、下降、感動形式)

          吾々は、交叉点を通り過ぎてからは、狭い路地に当たって、そのまま歩き出した。石垣の段々高くなるや、少し下る坂道を、尚も分からず、突き進んだ。車の往き来につけては、隊列を乱し、整えて、それから一寸談笑して、落ち着いて、ということを繰り返した。それは少し気恥ずかしかった。目の先にある麓が、富士山のものかも判らないで行くのも、決まりが悪いし、径が曲がりくねっているのも、気まずかった。昨日、山中湖の近くの民宿に泊まって、吾々の他にも、大学時代のサークル仲間が兎に角、集まったから、全て一

          文体論 造形思考 ② (上昇、下降、感動形式)

          文体論 造形思考 ① (概説、反復、反対)

          <はじめに> 兼ねてから、文学における表現の理論を確立してみたいという一心であったが、同じくして、文章というものに決定的な意味を持たせるということの危うさとの間で、私は非常に悶々としていた。というのも、こうやって物を書いてみれば、私はあくまで物を書いているのであって、心なるものを書いているのではないという気がして堪らなかった。元々、表現に際しては、ただ一枚の紙の上で、事物が兎に角、静止していて、私はと云えば今も常に外の影響に曝されているというのに、それはしっかりと座している

          文体論 造形思考 ① (概説、反復、反対)

          ヴィトゲンシュタイン、レヴィナスに向けて

          私の読書傾向からしても、まず主要な文献を読了しないで、こうやって書き始めるということがある。このことがいかに致命的に、権威的なアカデミズムを軽視しているかということを知らせるだろう。つまるところ、私はもう既に誰かによって考えられたことを再び考えることになるかもしれないからだ。このことは、建築の様式からすれば、それまでの系譜が作り上げてきた土台に対して、自らの形式に従って、新たに建築物を隣接させようとする小賢しいものなのだから。時代の奔流の中で、かつて、このような様式を否定する

          ヴィトゲンシュタイン、レヴィナスに向けて

          精神現象学批判 草稿

          ここに、今から発言されることは、未だ、荒さの残る駄文と見做してもらって構わない。ただ、無用な文章をつらつらと書き上げることに何の意味があろうか。本文の形式は、何かしらの問いを常に孕んだ状態で、進行していく。問いの優位性とは、絶望してしまった精神が、一縷の希望を見出すためには必要不可欠な、そういった可能性の集合である。問い自体の重要さは、ハイデガーもその序文で提示しているわけだが、問いを発する時には、背後にすでに想定された答えを保有しているというのは、些か決定論じみてはいないか

          精神現象学批判 草稿

          人間である私には、凡ゆる人間が見える

           黄昏時の彼の感情はこうである。街を覆ってしまう圧倒的な脅威に絶望する。彼は部屋の中にひとり臥していた。彼を宵寝に誘うもの、ひどく疲れてしまったその精神には、夕焼けの恩讐とも言える情熱を、直截に見ることはできないような気さえするはずだ。 「さて、この夕日を君は美しいと言うのかね。」 「美しいと思います。」 「少なくともその瞬間はあったように思います。」 夕日の美しさの一面、太陽が海の彼方に沈んでいく時に、持てる昂揚の全てを発揮する。線香花火が終局の間際に放つ、クライマックスの

          人間である私には、凡ゆる人間が見える

          詩的表現のすべて

          なぜある人は、わざわざ物事を難解に説明しようとするのだろうか。なぜ読者に、それも多くいる読者に応じる形ではなく、尤も困難を来たすような表現を用いるのか。 時に、物を当たり前にあるように素朴に書くことを、詩人は通俗的だと言うだろう。では、日常における言語表現と詩人のそれでは何が一線を画しているのだろうか。 話が変わるように思われるが、人々の欲求にアクセスするためには、何を欲求しているのかを探してはいけない。その人が断固として何を見ないようにしているのかを覗くのだ。 外界と

          詩的表現のすべて

          復活

          頬を伝う涙が綺麗な透明色をしているのは、なぜか。 私はそこに狂気や奇怪なことがあるからだとは思わない。涙を流すということは、ただ涙を流すことなのであって、そこに悲しいから泣くのだと意味を与えることはできない。例えば、何か大切なものを失ったとき、私は悲しいからと言って泣くことはないだろう。しばらくして肌に感じたその温度を、乾いてしまって軋むその感触に、後から涙を流していたことを知るのだ。 透明とは何か。部屋に篭っているときに聴こえてくる蝉の声のことか。季節が巡り、去年も蝉につ

          世界平和のために

          例えば、私が、時たまに感じる素晴らしい情景を独り占めしても良いのだろうか。それを共に見たくはないだろうか。 私が心の内で、不幸だと思ったとき、私以外の皆は幸せなんだと決めつけてもいいんだろうか。 私を私たらしめる生の煌めきは、あの川ではないだろうか。または、海の中、今も強く生きる魚の群れの一匹ではないだろうか。 私は今日も、飯を食い、誰かが建てた部屋の中で、のほほんと暮らし、将来的には、その魚の一匹を食らってしまうのである。同時に私が外へ出て行き、何かしらの仕事をすれば

          世界平和のために

          日記 

          快晴 満腹で多少苦しいが、体調はそれほど悪くない。 これまでの反省じみた文章を書く気にならなくなった。たまたま、一服しようと外に出てみたら、気持ちのいい風が吹いていた。部屋の中では淀んだ空気が循環していたので、反動を食らったかのように清々とした気分になった。とりわけ、外に出てからも、私の反省的な気質までは、治りはしなかったが、それでも非常に良い気持ちのする朝だった。 倦怠、やはり内省的な性質からくる哲学の運動、私は他者に関して、思いを巡らせていた。しかし幾ら逡巡しようとも

          男と白

          煙突が白い煙を吐くときに、エネルギーが充満し続ける内部から溢れ出したいとそうするとき、あれは一体何なんだ。 一個の物語が、始まりと終わりを断ち切るが、その内には、 煙草なら、どうだろうか。まるで私を包みながら、しかし上昇していく煙は、 今日の朝は、特別なことが一つあった。部屋から出ると、一面に白い雪が降り積もっていた。昨日の朝から降り始めたようだが、全体として暗鬱とする雰囲気と、身を縮こめる寒さにじっと部屋にいて、昨日一日、何事もなく過ごしたのである。 白い雪が演出す

          言葉 歴史 実存

          言葉には、私たちを幻惑させるような一面があると思う。一面とは言わずに、ほぼ全面的であるとさえ、私は最近思ってしまう。 ある男が発した言葉が一つの事物として、分離されるようなあの言葉は、例えば、「愛してる」と誰かが言ったとしよう。この言葉が、現実味を帯びるような文脈とは如何なるものだろうか。ひとつ、付き合い始めたばかりのカップルの例を 女が「ねえ、私のこと愛してる?」男が「愛してるよ」と言った。これほどに胡散臭い愛情表現があるのだろうか。きっと女は、続けて「ねえ、ほんとにそ

          言葉 歴史 実存

          奇形の月

          記憶のうちにあるとても美しい月を見たかった。その月は、はっきりとした輪郭はなく、なぜなら、その日は薄い霧の雲が空を覆っていたから。月の光が雲に反射して見事な円環を象っていた。元来、それは月の光というよりか、太陽が月を照らし、そして光は私たちの元へと凝視可能な月として表現される。あれは不完全な太陽だ。しかし、その月も太陽のように我々の大地に贈与をもたらす。私が、月に蠱惑さを感じるのは、太陽をじっと見つめることができないゆえの、しかしながら太陽を見つめていたいという欲求から来るの