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鉄だという思想

まえがき

本筋に入る前に、なぜ題目に思考ではなく、思想と表記しなければならなかったか。思考と思想という言葉には如何なる違いがあるのか。何れだけの射程の違いがあると云うのだろうか。一般に思想と云う時、我々はあの悍ましかったヒトラー政権を思い起すのか?それともスターリンを思い起すのか?将又はたまた、それに追従してしまった国民の失敗を呼び起こすのだろうか?尤も俗的にも、この言葉の意味を捉えるならば、思想とは危険な物であるという感覚すらある。当然、そう云う危険な思想ものとは離れる運びであった。その代わりと云っては何だが、人々は思考するようになった。思考と云うのは、いま此処で私が披露しているように、れは危険であるか、此れは危険ではないか、と云うことを練って、繰り返し幾らでも考えることである。ここで一つ疑問が生まれる。ではお前は、また我々を危険に晒すつもりなのかと云う思考こと。慧眼な読者なら既に勘付いて居られるかも知れないが、余りにも思考をこね繰り回した為に、それもまた、と云うよりもそれ自体が危険だという思考に陥れば、思考は八方塞がり、袋の鼠だと云うことになる。若し仮にこれを思考の限界と名付けるならば、限界にある人間は、思考=行動という図式を頼りにする事は出来ない。思考は数々の潜在的な可能性を表へと裏返して往きたくなり、その瞬間に思想は生成される。ただ思い返して見れば、思考の段階では、明らかに危険なみちは、はなから考慮しない。確率の高い方はどちらかという段階で普通は悩む。そうして歩み出した径は、ある程度の思考の翳がある。元々思想はその性質からして危険である。云ってみれば、過去の最後の思考といま最初の実践との間隙に仲立ちするものならば、最も勇気が必要なのは、この時点、この場所である。地球上の何の時点、どんな場所でも本来的に云えば、危険そのものであるなら、我々は留まることの恐怖を預かり知って、断言する勇気を持たねばない。我々は批判される覚悟を、軽蔑される覚悟を、罵倒され、時に人格の総否定される覚悟を持って行かなければ。それだから思想は思考より偉いのだ。

思考、思想はその射程の範囲に依らずとも危険である話は済ませた。加えて冷静になって附言するならば、例えば、弱小同士の将棋の戦いを想像すると分かりやすい。駒の配置も、動かし方も覚えたばかりの初心者は滅茶苦茶な手を指す。その危険が危険であるとも分からずに、飛車を捨てたり、うっかりしたり、若しこの情況のまま成長する事が無かったとしたら、それは偶然的に生きている動物に寧ろ近い。しかし人間の人間たる所以は、我々を動物にはしなかった。棋士と云うのは、初心者は初心者なりにも、弱小は弱小なりにも手を考える。それは過去に犯した間違いを反省し、それで負けたのだということを思い起すと云うことだ。すると襲って来るものは何か?それは単に盤面上の駒が薙ぎ払われて行く恐怖だけでは無く、相手は私を何れだけ見透かしているのかと云う、間合いの恐怖を感じる様になる。実力のある者同士が対戦した時、相手は何れだけ修練を重ね、何れだけの手練れであるかを意識すれば、間違っても下手な手は指せない。そこに必然的に形式的な或る秩序立った拮抗した場面が現れてくる。将棋界に於いて最も権威的な棋戦である名人戦が、最も持ち時間が長いと云うことが、この事を象徴している様に思える。若しこの眦合いを止めて、剣先を顫えれば、端歩を付けば、本格的に戦いが起こる。そこで後悔しない筈があろうか。行動には責任が伴うのだから、尚更、拮抗しているのだから、その均衡を崩した時に、その現実の情況に善悪が伴うのは当たり前ではないか。凡そ百手の間に攻防し、凌いで寄せるためにはシビアな目線、この広い意味での厳しい目線と云うのが必要ではないか。では一般的な社会生活では如何だろうか。ここで私は良くある錯認について説明したい。いずれも独我的な情況である。再び将棋を例に取ってみるが、両者の実力に開きがある場合、相対的に実力のある者は、井の中の蛙大海を知らずと云うことになり易い。実力の劣る者は、実力の開きを正しく認知することが出来ない。つまり前者は正しく敗北したことがない。後者は敗着を知ることが出来ない。この様な情況は、私の呼ぶ所の思考の限界などでは無く、単純な我が儘である。相手の裏を取りに行く姿勢が無い所に、最早思想は生まれない。ここらで誤解なき様云っておきたい。ここで私は絶対的な正しさと云うことは口にしない。それは本稿では有り余る議論であるし、我が儘な論法を厳しく戒め、これを予防しなければならない。寧ろ、本稿では適当な意味として、日常言語レベルで進行して行くと思って貰って構わない。事実、我々には、意味として揺らぎのある言葉の方が幾分かリアリティがある様に思われる。加えて、錯認する個人や錯認した歴史上の事実を軽蔑するものでは無いとご理解頂きたい。というのも、本稿は公的を意図した思想文書であって、私的な生活とは取り敢えず一線を画している。公的な物が私的な物を論駁するには、論理の階層が違い過ぎる。ハンムラビ法典に依るならば、公には公を、私人には、私人で決着を着けるのが筋である。同時に我々は錯認した個人が存する現実の問題として、これを多様性の論理として認めなければならないのでは無いか。これは亦、ある視角からは閉じていく論理である事も。

人間の認識論的限界情況はその存在論的限界情況と通じている。つまり人間の存在要件(或る銀河内の地球と云う惑星で、この惑星の誕生から約46億年の間に起ってきた生態の現象的な変化の過程にある。遺伝子核を保護する形で細胞を持ち、その構成によって各器官、皮膚などからなる構成体、つまり身体を持ち、二足歩行をし、社会的生活をする。等々)は、人間の自我からなる数々の志向性、或る物質を見た時に駆り立てられる物を規定する。存在論的性格がこの際、列挙されている事、ここでは特にカテゴリごとにランクを規定しなかったのは、いくら列挙しても、樹形図を拡大しても良いが、始原的な場所へは辿りつけない事が約束されているからであり、その絶対的過去、絶対的未来が確信出来ない様な情況で存在要件を語る事は、存在者の性格を類比的に語ることが出来ても、存在そのものの形而上学的見地には立てない。これはヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の中で問うてる図式と然程変わりはしない。事実私は、人間の存在要綱を述べる際に「銀河」という単語から出発しているが、私はこれに対して如何様にも類比的な説明を試みることが出来るが、「銀河」と云う単語を説明し尽くすのに、私は一体幾つまで歳を重ねなければいけないのか。同様にして、「惑星」「の」「地球」「細胞」も語ることが出来ない。これは存在論的限界情況である。彼の前期『論理哲学論考』から後期『哲学探究』、これらの著作に関しての大転換は、以降の論旨とも深く関連する。つまり、彼は一度は哲学の問題は解決されたと思い、筆を置いたのである。”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”という大論理を失ってしまった人間が往々にして、二ヒリスティックな雰囲気を帯び始めている中で、その宙吊りになった人間、即ち存在論的危機的情況人間は、物事をどのようにして見るのか、と云う問いが発起される。ヴィトゲンシュタインの著作からは到底、そう云った脇目を振っている印象を受けないどころか、淡々としている印象さえ私は受けるが、彼を再び机に向かわした事情、彼のエクリチュールは如何だろうか?兎に角、ここで何を述べたいかと云えば、存在論と認識論は通じていると云うことだ。誤解してはならないのは、前期ヴィトゲンシュタインのように、存在論と認識論が通底していて、片一方を解けば、代数的に求める値が決定されて、もう片方も求まると云う錯認に陥らないことである。大事なのは、存在論と認識論は互いに独立した物であって、一方の世界の論理を他方に用いるのは、原則的には暴力的だと云うことだ。但し、限界的情況、詰まるところ暴力の発生する場に於いて、前述した様な拮抗した場では、実践的な情況になる。この実践的な情況を介して、思考の限界であるところの存在論的世界の微小変化は、同じく限界的な認識論的世界の変化に関係する。つまり新たな局面は限界的な個人、若しくはエゴイズムの最大の働きによって、自由であることを要請するが、夫々のエゴイズムを通過する過程で、或いはエゴイズムの総体である社会を疾走する中で、自由であることよりも不自由であることの方が良いことに気づき、奔走を止めてしまう。というのも、社会とは何か?これが最も単純な要素とその集合という素朴な概念で有れば、分かり易い、つまり民主主義的なイデオロギーに従って、例えば、或る政策に於ける投票は賛成と反対で数の多い方を採ろうと云うのは、合理的である様に思われる。個人は社会の裡の個人と云う関係を全く考慮しない要素自体として、合理的である。若しこのような人々が居れば、疾走感を失う事はない。日本においても、葛西善蔵、太宰治、田中英光などの破滅型私小説家は、社会との関係に何れだけ自覚的だったかは最早分からないが、エゴイズムの窮極的な地点で、散って行ってしまった人等である。何故、太宰治だけがマーケットに残り続けているか、別段、考慮に値する様に思われるが、ともあれ、人間の主体は気分ではなく、もっと他者の気分を考えている。社会の最小単位である個人が、社会を構築していると云う様な物的世界観の裡で、何れだけ蒙昧を啓こうが、神々しい理性の目から零れ落ちている物を拾い上げることは出来ない。では、人間はどのようにして社会的であるか?マルクスは上部構造、下部構造という概念の中で唯物的史観を確立した。つまり上部の政治、文化を決定するのは、下部の経済的な機構であるとし、それから原始的な時代、封建制の時代、資本制の時代の夫々の構造の分析に当たる中でひとつ階級闘争というキーワードを発見した。この上部構造、下部構造という概念は、私の考える社会性と実は近い。つまり先から用いてる存在論的限界情況、認識論的限界情況という語は夫々、下部構造、上部構造と対応関係を示している。では何故、マルクスの用語をそのまま援用しなかったかと云えば、上下と云う語感から来る或る種の決定論的な響きを嫌った結果である。下部構造→上部構造→階級闘争(革命運動)という物語は、封建制の崩壊からの時代の激動を考えれば、直ちに起り得そうな物としては納得出来るし、魅惑的である。そして思想的な強度も十分である事から、実際に社会に影響を与えている。レーニンによるマルクス解釈や、戦後日本でも、50年代からの安保闘争、70年代あさま山荘事件以降は縮小していった学生運動もマルクスの思想は主柱になっているから、私の考えで云えば、彼は偉い人だと云う事になる。しかし思想は人々を煽情し、動かす事がある一方で、その論理自体は静かに止まっていると云う事は、再びその論理を援用しても、一度社会の働きによって歯止めを掛けられたのだとすれば、同じ論理では人々を動かせない。両輪の片方を、それも動的な物の全てを失う時には、思想は彼の立派な墓の様に、冷たい石像みを帯びていることだろう。しかしながら、『資本論』に於けるマルクスの資本の分析は、未だ通用する所がかなりあるし、その”危険さ”に注意して読み進めれば、十分な効果を望めそうである。実際に革命運動が見せた野蛮さと云うのは、実存主義的ヒューマニズムがマルクス主義に合流した事によって、浪漫的な英雄思想に転化された際のひとつの転倒した物語では無かったか。それは島崎藤村に見られる様に、例えば浪漫派から自然主義に転向していった文学の、或る種の転倒の様なものであり、若気の至りのような妄想が、或時、告白調の文体に様変わりして、その内容は自分が如何に不幸であるかを競う様な性質の物になる。そこでは性欲は減退しておらず、自分の不幸を垂れ流しにして居ながらも虎視眈々と性欲の捌け口を狙っているかの印象を受ける事もある。同様に当時の実存主義的な傾向は、自身が生産関係から外れている事の一種の不安症、若しくはヒステリー傾向であり、自身の関係を革命運動というゼロポイントに置いておく事で、その癒しを求めたのでは無いか。さて現在我々が転倒している事はあるのか?問い方を変えねばならない。なぜならば、転倒している者にとって転倒している物は正位置に映ずるかもしれない。問いの立て方は、我々が一番正しいと思う物、それが無くなれば困る物だ。モダニズムの延長にいる我々にとって、事物の正否の判定と云うのは問題になり得ないか、詰まる所、或るヒューマニズムに則って、それは多様的な人間像を垣間見る事によって、それは空間的な差異、時間的な差異を超越する視点を介在する事によって、事物を全て相対化する。我々はアーカイブを通して歴史上の大転換からトリビアまで遍在的に知識を獲得する事が叶った。先から述べている存在論的限界情況、認識論的限界情況も少なからず、相対的な物象化のラインに入り込まれた製品である。マルクスとの違いを述べるなら、上部構造、下部構造という一方向性のストーリーテリングでは無く、限界情況と云うからには、夫々は何の方向に対しても、矢印が伸びており、つまり増減の感覚に対しては敏感であり、質的変化に対しても敏感でありながら、或る実践的な連絡手段を保って、双方向的に連関している。階級闘争と云う言葉を私が用いないのは、人々は今では、経済的合理人ホモ・エコノミクスとして私的なバトルをする。アーレントが提唱する様な公的な活動は実際的だろうか。それらは「闘争」と云うには、過剰であるし、階級と云う事に関しても、マルクスが云う資本の無限の運動によって、資本家は消熄している。と云うのも、例え巨万の富を持つ経営者であっても、所詮は経営を任された労働者である。私的(経済・家政的)な領域を離れて、行為する事は出来ない。アーレント式に云えば、私有財産ですら無いのだ。巨大な資本はブルジョアすらも破壊して、事態を相対化させた。

人間の限界的認識能力、若しくは判断能力について

デカルト的な観想を出発とする時、つまりあの有名な「我思う故に我あり」と云うゼロ地点を出発とする演繹法は、人間の或る認識的、判断的な限界を逃れることが出来ない。それは透徹した光速の思考が、宛らブラックホールに落ち込んで行く様なものである。つまり我々は、どのような論理を打ち出したとしても悉く退いて行かなければならなかった。我々が無前提性の哲学的行為を推し進めたとしても、その究竟的な場所で与えられる物は、もはや外的要因なのであって、このデカルト的コギトの図式も謂わば、その反省以前の素朴世界に認識を措く。そして我々が気を付けなければならないのは、この内的要因と外的要因の統合あわさる誘惑に簡単には乗らないことである。例えば、「太陽は東から昇り、西へ沈む」と云うのは、人間と天体の規模感の違いによって、さも太陽は絶対的な存在であると感じられてくる。が、実際には太陽にも誕生した時期があり、その原始的な時期を通過して来ていると云う点で云えば、太陽も人類も相対者ではないか。つまりそれ以前の銀河系の誕生が呼応しているし、宇宙が呼応してもいる。例えば、ここで私はミスを冒す。凡ゆる事物は相対的であると声高に発表する。実際生活上の朝夕の繰り返しの事実が、その相対性を疑似的な絶対性に押し上げる、つまり燦々としている時の太陽は直視不可能であり、その太陽が沈んで行く時には対岸から月が浮かんでくると云う円環運動の安定さ、その天体の遥かさから、私は実際上到達することの無い距離感覚に当てられて、ひとつ脳裏に或る地平が、屹度きっとどこまでも永遠に続いて行くのではないか、と云う予感を想起させる運びとなる。詰まる所、或る概念、認識及び判断は所与の観念性の純真たる精神から想起される事柄と云うよりも、それは如何せん反省を試みようが、実際上の物の感覚が入り込むと云うことである。然るにこれ以降は、感覚の分析に入りたいと思うが、精神性を解く鍵が物質性だと云う、逆に物質に精神を見ると云う双方向性の論理にあっても、これまでと同様に両者を内混ぜに議論をするつもりは無い。両者は個別に独立した事象として捉えるのが望ましい。と云うのもマルクス的な見地から見れば、経済的で個人的である下部構造のなり方は、精神性の次元で或る普遍性を獲得する。つまり夫々のエゴイズムの奔走の仕方を追う過程で、社会にどのような形で吸収されるか、どのような社会的人間になるのかと云う事を知る事になる。反対に物象化された人間を上部構造の側から見ていこうとすると、つまりこれはマックスウェーバーの様に、精神性(プロテスタンティズム)はエゴイズムを措定するという図式の理解社会学となる。が、今や人間の公的部門の矮小化に伴って、普遍性を共有出来ないのだから、時期を考えるべきである風に思われる。即ち限界的な公的精神は、ある実践的な情況を介して、私的な物への働きかけをしている。私的な物はこうして分析されるのである。ところで、人間の限界的認識能力、ひいては判断能力は以上で指摘した事柄だったか?始原的な場所への原理的な到達不可能性について、例えばカントの云う所のアンチノミー「世界は時間、空間的に有限である(時間的始まり、空間的限界を有する)」世界は時間、空間的に無限である(時間的始まり、空間的限界を有しない)」を思考する事ができる。このような逆説的な情況に陥る事を確かに”限界的”だと云ってしまっても良い。こうしたパラドクスは論理の帰結として捻れがあるから、それ以上の操作が無用に思われてしまう。それで良いだろうか?人間にとってのこうした大き過ぎる問題は、思考を宙吊りにしたまま帰さないと云う危険性がある。思考実験の類いは、所与から感覚的な物を切り離し、単純化する事によって事態の進行を阻む可能性がある。さてカントの命題と同様に、我々は「生と死」について考えてみよう。このような問題も普遍的で重要である事は確かだ。しかし人間にとって「死」とは何か?それは経験的な事柄では無い。生者である所の我々は「死」との確かな距離を測ることができない。その為「生」の価値を保留するしか無く、我々は見事に懐疑論者になってしまった。この手の問題を考える時、「生と死」を抽象して「有と無」、ここでカントの二律背反と合流した。どちらも思考の感覚的現象は似通ったものである。つまり思考する際、所与に対して肌触りのある有無の感覚を頼りにするが、所与に特有の実際的な性質を無視することで、論理を誑かしていると云う他ない。これが具体化を伴って、「りんごが有る」「りんごが無い」と云う問題であれば、「りんごを食べる」という行為が起る。又食べると云う使用価値に伴って、りんごに価値が生まれる。そこで例えば、共同体の外部(りんごが有る所と無い所の境界)に於いて交換が為されれば、我々は経済活動について考える事ができる。つまり我々が「生と死」について考えた時に足りなかった事は、生に於ける実際的な性質、生とは何か?生きている事によって価値のある行為を為すためには?労働対象としての個人の生産に於ける関係、消費関係から切り離した現存在の不安定さ。「生と死」をもはや聖性の視角から凝視していると、死の実態の掴めなさに、ある種の幻影、それは死と云う物語を消費する俗物の精神を看破する所の、たゆまぬ不快を引き入れる不安症の人物として映ずる。その段階で再び、スケプティシズムに陥るかもしれない。では、空理空論の感覚的次元の抽象に伴う懐疑的な反応を”限界的”だと云っても良いだろうか?本統だろうか?我々は実際的な限界性を論じる必要は無いだろうか?つまり冒頭の将棋の例に戻れば、我々は局面を厳しい目線で見ていると云えるのだろうか。我々は勝利する可能性へと歩んで行かなければならないのだから、負けが分かっている様な手を指す事は愚かしい事だと戒めなければならない。我々は勝負が決する事を悟るのでも無く、疑心暗鬼に盤面の前で立ち尽くすのでも無い。可能性を顕現せしめる様な一手を指さねばならない。その為の厳しい目線とは、相手よりも正しく局面を読み、相手よりも多く先の局面を見通さなければならない。そして対面する恐怖に打ち克って判断する能力を持たねばならない。詰まる所、これが限界性である。以降では、その実践的な思考について分析をする。

実践的な思考について

「10000+10000=20000」は如何にして計算可能だろうか。若し我々の裡に数え上げの機能しか無いとすれば、この計算は厄介な物になるかもしれない。しかし実際には「1+1=2」の演算に対して、後から「0000」つまり、「万」と云う単位を付ける如くして解くのでは無いだろうか。「3476+8767=12243」と云う計算なら如何だろうか?やはり我々は数え上げる様にしては、この問題を解く事はしない。大抵は筆算して解くだろうし、珠算に心得のある者ならその方法を使ってみる事だろう。さて、我々は二つの例を介して、人間の判断能力に於いて、数の大きさが問題になるのでは無い事を知った。寧ろこれらの例が示すのは、その数の位置関係に於ける複雑さを示している様に思える。後者の例の場合特に顕著だが、数直線の目盛り上、微妙な関係であるこれらの演算は、人によっては紙に書き出さなければ解けない場合もあるだろう。注目したいのは、筆算というメソッドの裡には、それぞれの数字の単純な対応関係、つまり位ごとに揃える操作が先ずあり、1の位から順に「6-7」「7-6」「4-7」「3-8」の夫々に演算を行う事で計算を楽にしている。この事から云えることは何か?人間は(特殊な例はここでは除くが)判断の限界を持っているので、紙上に判断の綜合判断として保存する。つまり「(3476+8767)×2=24486」を解く際には、「3476+8767=」の解答としての「12243」に2倍すると云う風にして結果を導き出す。ここで、「12243」が「3476+8767=」の結果だった事は廃棄され、因果の新しい芽として活用される様になる。高々人間の判断能力では論理を小定理、中定理、大定理と進めることしか出来ない。認識能力については如何だろうか?数字の「9」を認識する時、我々は如何にして判定するのか。例えば、紙の上に書かれた文字は、「9」の上部分の丸「⚪︎」が、少し小さい、若しくは潰れていたり、ペンの走りで掠れている。下部分の線「J」がカーブを描かないこともある「l」。これらに見る多様な「9」を我々は「9」と判定する訳である。何故だろうか?我々はこれに対して、プラトン的イデアを語るつもりは無い。真実の「9」と云う物が、叡智界にあると云うのだろうか。我々の魂はその叡智界の記憶を想起していると云うのだろうか。所与の「9」は確かに観念的に「9」と云うことも出来るが、紙上に書き込まれた「9」はその使用の意図を外れて使われる事が無い所に、具象化された一範例として、実在的な性質を有しながら存在する。この肉化された「9」の持つイデアールな記号的性質、つまりこの場合は、アラビア数字の「9」が使用の例を持って現れる。そこで雑に描かれた「9」の実在的形像は、使用には何ら関係が無いものとして捨象される。先に「9」の形像を部分的に解説するために用いた「⚪︎」も「J」も「l」も夫々が「9」の部分的なイデアとして在るのでは無く、また夫々自体の形像のイデアとして在るのでも無い。「I 9ave her the rin9」仮にもこのように書かれたならば、我々は真実の数字「9」という頑固な幻想を捨てて、使用例的に英字の「g」だと云うことを見繕わなければならない。さて、我々にはこのような疑問もある。これらの認識能力、判断能力を可能にする物は何かという事だ。引き続き数字の例を活用していく。「9」が「9」たる最低度の情報とは何だろうか?例えば、或る奇人が「6」と書いて「きゅう」と発したとする。我々は彼に対して、「それは”ろく”だ」という事を告げるが、彼は「きゅう」と発し続けたとする。またそれに対して今度は「”きゅう”はこうやって書くのだ」「9」と教えると、「ぴー」と発する。我々はたった一人の男によってゲシュタルト崩壊を起しそうになる訳である。この危険性とはつまり、或る共同体内に於いて許されてきた使用例を剥奪される事により、それは文字に鏡像的に写されていた社会性を破壊される事に、その文字の使用者であった個人の自己同一性も破壊されると云った事である。であるから認識能力、判断能力の担保となる物は、社会的人間のエゴイズムの限界である。我々は形像「q」と云う「9」を認めても、「⚪︎」「l」の組み合わせからなる形像「6」「b」「p」「d」を認める事はしないだろう。詰まる所、或る認識対象は社会の使用範例において、正規分布的に偏在しており、ベルカーブの中央で形像「9」に近く、中央から離れていくに連れて形像「4」に近い「9」や丸の潰れた形像「1」のような「9」が確認される様になる。当然ながら社会的生活に於いて使用にそぐわ無いこれらの「4」「1」等は、社会的求心力と個人的なレジリエンスの実践的な情況を介して、社会に吸収される形で結着することが多い。またこの意味において個人とは社会的な人間である。

未来学の不可能性

未来学とは何か?ということについて言及する前に、先に述べた社会的な人間について補強しておく必要があると私には思われる。先ず「系」について考えよう。この「系」とは、いわゆる「太陽系」の「系」と殆ど同等である。太陽を中心に構成された惑星群を総称して、「太陽系」と我々は指示する。このひとつの纏まり、繋がりの事を一般的に「系」と呼ぶ。端的に申し上げると、人間の思考の性格は「系」に依存する事なしには成り立たない類の物である。さらに云えば系外のことについて我々は考える術を持っていない。先にカントの例を用いたのは、その為であり、系の内側から外部の情況へと逸脱して行こうとするとき、つまりアンチノミーは、カントが云う所の場合は、世界系がその外界を感知できない、一般的には系内の物は系外の物を含まない。これが何を示すだろうか?思考実験の正しい使い方は、その思考の限界情況を示唆する。ここにカントの時代特有の存在要件がカントの思考を通じることで限界的な認識の枠組みを現実化させたと云う。カント自身を育てたものは何だったか?ヨーロッパの風土か?近世の雰囲気か?この存在論的要求がカントを駆け巡ることによって当時の最先端の認識として現働化されたと云おう。急のことの様に思われるが、ここで我々は社会的な人間への接続の第一歩として信号機を知らない原始人について考えてみよう。原始人において与えられた存在的な性格とは如何なる物なのか?コミュニティは?獲物との距離感は?死への距離感は?誰も天敵に襲われることなく食糧にありつくためには如何したら良いのだろうか?つまりこの要求が与える認識とは、動物的な経済圏である。その圏内から、我々の住む現代(彼らにとっての圏外)に移動したとき、信号機はどのように映るだろうか。この例題が与えるのは、信号機の持つ記号的な役割に交通という規則が遵守される様な社会性の人間を系内とする問題である。これは各時代の人間に適用してみるのが良い。さて実際に原始人がこの光景をどう判断するのかについて考慮されたい。当然ながら現代人にとっては、「赤=止まれ」「青=進んで良し」という意味的な認識をされるのが普通だと思われる。しかしながら実際的には、信号機は赤、黄、青をあるテンポで交代する、それも空中にぶら下がる様にして光る円盤である。この奇怪さを受け取るのは、信号機以前の人間である風に思う。さらにそこでは自動車もリズム良く、発進したり停止したりするのだから、訳が分からない。一定の社会的基盤を得た人間にとっては、この未来らしい光景も理解に足る事柄に映るかもしれない。とはいえ人間の身体条件は今も昔もそれほど変わっていないので、歩行者も運転者も気をつけて居なければならない。車で人を轢けば、簡単に人は死ぬ、だからこそのこの教訓であるが、原始人にとってこの教訓は遥かに意識されただろう。存在論的性格の時間的差異が注目された場合、原始人にとっては、せいぜい十数人のコミュニティ圏内で、味方か敵かという単純な図式だった物が、更にそれは見知った範囲で事足りていた筈であるのに、それ以上の高度な社会性を用する跳躍を見せた途端に、現代の我々の目に映ずるのは、奇異とした行動群の数々では無いか。ここで原始人にとって理解出来なかったのは、信号機のパターンに応じて車が動くという規則性の問題ではなく、寧ろそういう規則性には気づいていたかも知れないが、目の前の巨体が本統は襲ってくるのでは無いかという信頼のレベルの問題である。この時、原始人の認識能力の限界(原始的な社会系内)は、信号機の使用を認めない。すると系外の対象物は使用例を含んだ一定の事情を外れるので認識外の物となり、無意味な存在者となる。先に人間の判断力は高が知れている旨を述べたが、人間の限界である所の系内の問題を外部化する要因を説明する必要がある様に思われる。判断能力が限界であるとき、当然ながらその外的要因を受け取る事は出来ない。同様にして認識能力もその通りである。詰まる所、存在的与件が変化した際にのみ、たったいま講じる必要のある性急な問題として現れる。個人の行動という事についても、ある意味でいえば経済が働いている。私の考えでは、人間各私の存在、認識は常に限界的であるので、個人の引き入れる情況に対しては、決まった出力を返す。しかしながら、このエゴイズム圏内の人間は行動を変えていくだろう。何故だろうか?ここで経済に対して外部不経済が働いている事に我々は気づく。存在性格の変更は、限界的だったその性質からして認識的不和を巻き起こす。このことについて認識はアイデンティティにおける恒常性の働きとして、系外の対象を捕捉する様な運動が働く。と云うのも系内において限界的だった認識は、今や限界的では無い。自己の特定において存在の変更を認めないという事は、その性質からして既に特定的でない。例えば食事をすることの快は、空腹という状態を満たす性質のものであって、この事から個別的な生活の営みは保障されるのである。さて我々はこれに加えて、社会性を考慮に入れる物とする。個人の「快・不快」社会の「認める・認めない」の四つの事象を元にマトリックスを製作した。つまりこれらは社会的な人間の存在性格である。ここで云う社会の認知というのは、単に行政の執行、法律の制定等の個人にとって直接的な義務を指すだけで無く、社会的多数か否かというモラル、つまり民主主義的な決定を多分に含んだ概念である。これらを念頭に置いた上で、社会的な人間は自身の快楽と社会上の常識との間で均衡する点でその存在情況を顕にするのであり、そうした限界情況によって実際の行動を通して(外部不経済を含む)その認識的な情況になるのである。例えば孤児の場合は如何だろうか?その性質からして社会的多数とは云えない。集団多数にとっては実の両親が居ないことは系外の認識だからだ。そこでこの孤児は現実の情況として、民主主義的な決定から外れる訳だが、自己を特定する運動によって、集団多数の認識能力内ではもはや自己を引き留める事ができない、したがって集団認識の表象外部の対象物を把えるようになる。実は連鎖的に集団内部とその周縁の裡で自己を特定する運動が起ることから、エゴイズムは社会化される様になる。ここで私的に所有されていた財産は公共性を帯び始める。そしてこれらの公共物を使用する事でも人間は社会的に成るのである。さて当初の目標通り未来学について考えよう。元々の由来はアメリカの社会学者フレキルハイムが歴史の未来への拡張を主張した造語から来ているのだが、未来学と云うからには、未来を推論する学である。ここで学とは「logos」を由来とする言葉だと云う事を考えれば、バイオ”ロジー”、テクノ”ロジー”等は「学」の要件を満たしているだろう。「学」とは「ロゴス」というルーツを辿るなら、真実を明るみに出す必要がある。畢竟、未来を明らかにする物は未来学である。さて未来学与件の予言的性質、更には預言的性質を我々はどう考えよう?未来学の失敗は、未来が明るみになった時には分かる。つまり過去に未来だと云っていたことが、現在になったとき否応にもその正否を判定することになる。ノストラダムスの大予言は西暦2000年を境に滑稽な物として映る。この時起きていた現象とは、先から一貫して主張している様な、認識の限界ではないだろうか。我々は真理に到達する事によって、つまり預言者になることによって物事を理解しているのでは無く、フーコー的に云えば、エピステーメー(知の枠組み)が真理を発明する事で詐称するように物事を理解しているのである。社会的人間は一種の、若しくは種々のエゴイズムを成立させる条件として社会契約する必要があるが、その認識の限界は純粋な自我領域で為される神秘的な営為であるよりか、もはや契約した段階から本統の自分という物は無いのであって、系内の論理性が自身に引き受けられる情況に従って、系外の必要な対象物を把握する運動をする。そこで以前的な内容物は忘却されながらも、人間の限界判断能力に依存する形で論理を変更していく。我々はこの行き当たりばったりをシナリオと呼ぶだろうか?戦術或いはゲーム。

量の理論

しかしながら、我々の目に映ずるのは人類の発展してきた歴史であるし、とても原始的、封建制度的な身のこなしは旧時代的な悪手であるように感ぜられる。このことを再三説明するつもりはないが、それがモダン調の限界なのである。しかしこのことが云えよう。将棋用語を用いれば、定跡の整備、戦術、手筋の整備、形勢判断能力等のこれらツールを獲得している。それに伴っては実践に耐えうる、つまりは対戦に際しての、将棋なら将棋の、チェスならチェスのゲーム性に敵う相手が現れたのである。相対化された時代において、かつての過去的な物は、その成功、失敗に依らず、その行動自体の因果順序を追っていくことでメモワールに収容される。フーコーを引用すれば、

「諸々の制度、諸々の手続きと分析と考察、計算、そして戦術からなる全体=「統治性」は人口を主要な標的とし、主要な知の形式としては政治経済学を、主な技術的道具として治安装置を持った、複雑ではあるが固有なこの権力形式を行使する事を可能にしている。」

Michel Foucault『統治性』より抄録

このことは、歴史上において様々な出来事がある中で、大きな歴史と小さな歴史に独立していた事象を引き合わせる物の様に思える。フーコーが統治性というキーワードの中で強調するのは、事物の配置ということである。この配置の手法によって組織の末端、人口ならばその個人にまで関係する様な網羅的な管理体制を敷くこと。君主体制の中では、「共通の善と万人の救済」という神学的法律体系で動いていた物を、統治性はひとつの目的性「ふさわしい目的に導く為の正しい配置」を動力とする。その目標と手段が引用文にある。共通の善モデルにおいて我々が見失い易いのが、小さな歴史である。ナポレオンが歴史の大見出しになる時、そのテクストの行間にもならない人物の実際上の歴史を我々は知り得ない。しかし事物的な配置が認めるのは、その本筋とそれに関係する幾つもの細々とした微妙な手応え、詰まる所それは、樹形の様に先細りしながらも網羅的に進行していく関係も考慮に入れることである。このことを可能にした物は何だったか?量の理論とは何か?フーコーは人口の問題としてこれを受け取った。つまり引用文にある政治経済学とは、大きな歴史と小さな歴史を関係づける知の枠組みとしての物である。人間の判断能力では、現代の厖大な人口の全てと関わりを持つことは不可能だから、統計学上の数値として人々を計算することで配置を行う。フーコーの統治性の所以は人口の増加に伴って、家族モデル、主権モデルの統治の汎用が低迷し、矮小化することで「家政=エコノミー」から「経済」への移行を見せるという図式である。このように量は厖大な量になる時、我々の目には質的に転化した物として映ずる。思考は系内で循環している場合、これは量的な感覚である。思考においてモデル化されていない事物を操作することは困難を極める。その為、先に挙げた筆算の例と同じく、大きな数を扱う為には方法論がいる訳である。さて量の問題はメソッドの開発に貢献するだけで無く、また途方も無い量それ自体が系外の対象となり得るのである。つまり我々がここで課題とするのは、アルゴリズム的に計算可能な問題は如何なるものか?という計算可能性に踏み込む。例えば、人体の細胞数は一般に10^15〜10^16程度であり、中枢神経系は10^10程度であるが、これほどのオーダーの数の細胞を夫々に関係づけるような高度で複雑なシステムを生物体は図らずも持っている訳である。これは一例だが、どれくらいの数、どのような複雑さなら計算できるか?計算可能だが実時間上不可能である場合、計算不可能だが解を持つ場合等々の、実務的なサヴァールを我々は強く意識する必要がある様に思われる。

サイエンスフィクション

これまでの章と違って、この章は実験的な内容になると思われる。と云うのも、私は学者でも無ければ、哲学者でも無く、物を書くのは嫌いでは無いが、評論家、小説家と云うわけでも無い、只のお兄さんだからである。だから書きたい事を書くのである。さて昨今の将棋において切り離せなくなったAI、このAIは多分野に架かり、その業績を確かな物にしている風な印象を我々は受ける。将棋で云えば、藤井聡太八冠はAIを上手く活用し、その実績を勝ち得ている。他のトップ棋士や若手棋士も当然のように使いこなし、今では昭和の将棋は通用しないとまで云ってしまえるのでは無いだろうか?しかし誰が、AI栄華時代のこの光景を想像したろうか?十数年前まではAI将棋というのは棋士に勝てると思われていなかったのだから。本来ならば、その”コンピュータらしい”と揶揄されていた当時の棋譜を添付するのが丁寧な仕事だと思うが、その手間は省かせていただく。現代において”AI的”な手というのは、畏怖の感情の籠った、「その手は人間では指せませんよ」という類のものである。この十数年の時を経てAIに何が起こったのだろうか?過去の対局の局面を読み込んだコンピュータは、読み込むと云っても、画像認識的にこの局面において勝つことが多いのか、負けることが多いのかという統計的な数値として読み込むのであって、人間棋士のように「この手を指したからにはこの手を指す」という意味を感じながら棋譜を読むことはしない。情況が変化したのは、強化学習AIの出現によってである。つまり過去の厖大な対局を読み込んだAIは、AI同士の対局を行う中で、その精度を高めていった。人間棋士が寝ている間も寝る間も惜しんで将棋のことを考え続けたAIは今や無敵である。人間の棋士の強さを測る指標として「平均損失」という言葉があるが、その定義はAIの指し手からどれだけ離れているかというものである。いまやネット中継の画面上の方には評価値が置かれていて、将棋を始めたばかりの初心者は勿論、アマ強豪の玄人に至るまで、その評価軸を気にしないでは居られない。佐藤天彦九段はこの現状を「評価値ディストピア」だと表現しており、将棋のある一面において可能性を閉ざすかもしれない旨を述べている。実際に棋士の中にはAI的な最善手を指すことよりも、次善手やそれ以降の手でも、相手が人間なら自分の土俵に引き摺り込んで戦えるということを掲げる棋士もいるのだ。プロ棋士がディストピアとまで称したこの情況に将棋界は動揺をせざるを得なかった。羽生善治九段はあるインタビューで「棋士にとって将棋を指すことの意味は本来考えられなければならなかった。AI将棋の発展によってまさにその棋士の存在が問われている。」と受け答えしている。では棋士とは何だろうか?同様にして人間にとって人間的行為とは何だろうか?この事について我々は考える必要があるだろう。そこで私はひとつの空恐ろしい空想を描き上げることが出来る。フーコーの云うようなアーカイブ政治の実現についてである。もはやそこで統治するのは人間では無い。つまり評価値が政治を配置するという出来事を想像する。私は元来SFがあまり好きでは無い。と云うのも、いわゆるディストピア物は、読者を煽り過ぎているきらいがあるし、寧ろそこで描かれるべきは人間の本質である様に思われるのに、作者の意図と空恐ろしい雰囲気が全面に出ていると、そこに住まう実際的な人々の営為が翳になって見え辛くなってしまうように感ぜられる。という理由から余り煽情的ならないよう注意したいと思う。私の考えでは、AI時代の存在論的限界情況が認識に作用するのだから、AIを認めるという自己特定性の下で、AIに対する認識も限界的になってくる。その際あくまでもAIは社会的な通念上、正規分布のいずれかの範囲をマークする。つまりAIに対する認知が広まっている如何の情況自体が次の存在要件に関わる訳だから、この社会に対するAIの信頼が増長しているいま、AI産業の減衰は考えづらい。同時に考えなければならないのは、AI圏内の問題であるばかりか、その他の関連性が低い分野の隆盛についてである。つまりメタバースや、巨大IT群のビッグデータ等に対する見立てが本筋であるならば、運輸業界や文化産業、将又個人に対して、行政に対してということが思わぬ影響を与える可能性は非常に良く考えられよう。さてこのような思考をAIが代わりにシミュレーションしてくれるのだとすれば如何だろうか?それは将棋AIのように過去の対局のデータから統計を打ち出し、更には様々なパラレルワールドにおいて個人の可能性の末端までも映像化するならば、我々に残されている物とは何だろうか?人間の全てが政府的になり、その為に実は中央的な政府は無く、個人の発する情報自体が公共物であるような社会を我々は想像することができる。それが完全では無い場合も、私の見立てではこのような完全管理共産主義は信用ならない物であるが、発明としては面白い。近代人の末端として、私もフーコーと同じように真理は発明される物として考えるので、この統治性は実践能力において人間誰某の追随を許さぬほど、思考的に高度で複雑な計算をする。そこで我々は人間的行為を行う訳だが、それは政府的人間として行うのである。はて、SF的な熱い視線を送ったところで、当然ながらこれは未来学の不可能性の最たる例のような妄想であるのだから、キリの良いところで止めておくのが筋だと思われる。最後にAIと経済学の親和性の高さについて述べて、それで本文を終ろうかと思う。我々は経済学の性質についてよく表した言葉を知っている。マーシャルという経済学者が ”Cool heads but Warm hearts.” という文句を残した。私はこの文句が “Warm hearts but Cool heads.” ではいけないと思うのだ。冷静な頭、そして熱い心という語感が与える人物像は、良くも悪くも、陰気臭い経済学者面をしている訳である。本来的な意味で云えば、マーシャルも続けているように、「周囲の社会的苦難と格闘するためにすすんで持てる最良の力を傾けようとする…(中略)…そのような人材の数が増えるよう最善を尽くしたい」社会科学に通じる者は、単に自然科学者でも、単に人文学者でも芸術家でもならないのであって、その障壁を越えねばならない。ではどのようにして越えようか?そこに私の命題が現れる。AIは論理の鉄面皮を我々に見せている。しかし経済学という知の形式を手にした彼は、小さな歴史の隅にまで手を差し伸べる。その過程に熱い心を見るのは可笑しなことだろうか? ”Cool heads but Warm hearts.” この順序が大切なのである。

あとがき

本稿を記すにあたって、その成立過程はシナリオ的では無かった。その為読者にとっては読みづらい文章になってしまったことだろう。そこに反省の余地は大いにある。実は『鉄だという思想』は題目以外は何も決められて居なかった。私はそこから小説を始めても良かったし、詩やエッセイを始めることも出来た。しかしながら、その所為と云っては何だが、発生過程から本文の終了までに起った論理の展開の仕方は、如何なる完成された書物にも無い、人間の生成におけるアルゴリズムの過程を見て取れる物になったのでは無いか。私が文章において読者を誘うように巻き込んで思考していたのは、私自身も如何なるか分からない難攻不落の旅をしていたからであり、読者諸君はその旅仲間であったと云えよう。私はこの旅路に胸がいっぱいである。さて心からの感謝の気持を持って、そろそろ筆を下ろしたいと思う。では、左様なら

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