好里

偏執ちゃんぽん日誌/詩

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最近の記事

全裸とも限らないんやが/大学

ドッア? 大学四年生が始まった。文学部へ転入して二年目、実質二年生と考えるとまあまあ妥当な感じでやれているんじゃないだろうか。もっと焦るべきな気もするが、楽しいし別にいい。ただ、この新学期、全然講義に出られていない。 起きられないのである。春休みのうちはなかなか調子がよくて、いろんなところへ行ったりいろんな人と会ったりいろんなことを始めたり、軽やかに動けることも多かったから、さてGPA爆上げ連打しちゃいますかと気合十分で臨んだはずだったのが、なんだか、春休みの最後の最後に若

    • 罪人はワニに食われて/17の神アイス

      今にしか生きていなくてつまらない。 少し前まではたとえば、とおく宇宙の果てにあるものを、一生かけて追いかけるようなつもりで生きていた。信じるものがあった。それは完全に喪われたわけではないがしかし、ベッドの傍の窓からこの部屋の濁った空気が吹き出してゆくたびに、魂がその末端から解けて消えてゆくような、あるいは二度と会えはしない大切な人をそれとも気付かぬままに忘れかけているような、そういう虚しさが、無理に寒い住宅街へ連れてこられたヤシの木たちの葉の数を数えながらこの小さく細い身体を

      • 2023消費録/男根的に

        ぶりりゅタブレットスタンドの広告で、コンテンツ消費が「軽作業」に分類されているのを見かけて面白かった。 私にとってエンタメコンテンツの消費は純然たる現実逃避であるが、2023年の私の生活においては、逃避する先などどこにもなく、いや逃避する必要もどこにもなく、足をつける地や見上げる天やそれらの境界すら不確かなもので、無重力の宙を自分のやり方で泳いだり漂ったり、それで程よく汗をかきぐっすり眠れさえすればいいのだと、私の寝床はとおく地平線に重なるのだと、そういうことが見出された。つ

        • 2023/11/06 日記、詩四篇

          斬っ裂く舞ってく轡で呼びたい呼びたい呼びたい! こんにちは、二十一歳です。ようつべで見つけて最近ずっと聴いてる曲が、実はチックタックでも流行っているそうです。先ほど四篇の詩を書きました、それはべつに詩と呼ばれずとも当然にそこにあるのですが、通じない言葉を使うのはもう飽きてしまった、青い光の中から声が漏れて出てくるのですが、それに従うことが一番楽なのだと気づきます、二十歳にもなればそれは気づきます、私は未だ人に正しく挨拶が返せません、それに流行りといえばですが、また美容院で、思

        全裸とも限らないんやが/大学

        マガジン

        • ⭐︎
          35本

        記事

          エルサレムぐっすり寝る紀行

          一日目  成田空港から22:30の便に乗り、ドバイまで十一時間ほど。エミレーツを使うのは初めてだったけど、機内食がおいしかった。夕食の肉焼きそばとチョコケーキで胃がもたれてしまい、朝食は食べなかった。機内食でよく出るあの丸いパンめっちゃ唯一無二でおいしくない? キュッとしてて柔らかくてほんのり甘い。いつも大切に持ち帰ってしまう。  隣の席には小六くらいの少年がいた。乗り込んだとき、窓際の私の席に座っていたのであの…そこ…と話しかけると私の百倍ハキハキと謝った。少しやるせな

          エルサレムぐっすり寝る紀行

          2023/04/01 朝から全部の話や焼きそばの話

          また寝坊してしまった。 先日、三月末締切の文芸賞の公募に初めて出してみようと思って短編を書き始めたのだが、これが想像以上に難しかった。プロットとかを一切作らずに行き当たりばったりで書いていた(なんで?)のもあり大苦戦し、結局締切の一日前に徹夜で7000字を完成させることになった。その日から絶妙に体内時計が狂ってしまっている次第だ。 つまりこの寝坊は容易に予期されたものだった。にもかかわらず昨日の私は意気揚々と「9:00には家を出る!」などと考えていた。 この認知能力の欠如は、

          2023/04/01 朝から全部の話や焼きそばの話

          2023/02/27 昼と昼と昼と昼

          noteに日記を書く というのがめちゃくちゃ久しぶりで 私は まずなぜ noteに日記を書くというのがめちゃくちゃ久しぶりなのかといえば 理由はいくつかあり まずそれは 健康去年の終盤あたりから、確実に健康に向かっている実感がある。私がここで健康と呼ぶものは、社会への適合である。ただひたすらにそれである。(言い換えればそれは、ヒトという社会的動物としての生命力の保持である。)社会への適合とはつまり、自分の置かれた社会的状況における断続的な幸福の獲得である。つまり、親脛齧り私

          2023/02/27 昼と昼と昼と昼

          2022/06/29

          学校に行きたくない。 体力は余ってるし(週休四日のお終い大学生だから)、人間と普通に会話できることから見て心も疲れてはいない。なぜ学校に行きたくないのだろうか。 1.勉強がやだ 課題をサボってる。本が読めない。できないことに取り掛かる怖さにまだ縋り付いている。 学校に行くと、嫌でも勉強のことを思い出す。だから行きたくないのではないか。 2.実は疲れている 近頃私の中では「ちゃんと生きよう、生活に向き合おう、苦しみを受け入れよう」というグルーヴが高まりを見せている。学校の

          2022/06/29

          黒川という友人

          黒川というのは、私が初めてネットで仲良くなった友人である。その黒川にまつわることを書く。 ろくに絡んだことのない相互フォロワーがある日突然DMに凸してきて、「あなたとは仲良くなれる気がする」などと思い返せばかなり大胆な距離の詰め方をしてきたのが始まりだったと思う。当時、へえ、友だちづくりってこれでいいんだあ、と感心した覚えがある。この黒川の「アンテナに反応した人に突撃」という友だち生成レシピは、現在に至って大いに参考にさせてもらっている。 実際付き合ってみると相性の良いと

          黒川という友人

          オーダーメイド善

          昇っていく休み 春休みが終わる。そこそこ前後不覚な日々だった。人と会う予定を詰め込んで心身が疲弊し、数日間屍のごとく過ごしては、また何日か連続で出かけていくというのの繰り返しだったと思う。確か。覚えてる限りは。 そういうことなので、いつものように立ち止まってウジウジウジウジ考える暇が比較的少なかった。いや、立ち止まりすぎないように意図的に持っていけていた部分も大きいかもしれない。大きくはないかもしれない、小さいかもしれない。大きい気もするし小さい気もする。大きいかもしれない

          オーダーメイド善

          凹み༄

          生死今日は病院の予約があった。謎にめっちゃだるくて落ち込んだ。こんなに成長した気になっていたのに、近所に出かけることすらまだ満足にできないんだと思った。いや、予定通りに動くという行為は何歳になっても結構踏ん張ってやらなきゃいけないこととは思うが(人生とは走り続けることだ)、まだちゃんとしたタイミングで踏ん張ることが全然できるようになっていない。「自分ってできないのよ」って刷り込んで安心するのはもう本当にダサいし懲りたことなので辞めたいが、これはただ現状の整理として書いているか

          凹み༄

          推しが神だったらよかった

          無我★無我 ネトフリオリジナルアニメ、見る幻覚剤こと『ミッドナイトゴスペル』を観返してる。 ミッゴスでは、主人公が様々な星に赴き対談相手を見つけてポッドキャストを収録するという形でストーリーが進んでいく。 特に好きで何回も観ているのがエピソード5だ。それまでの話に登場したシミュレーション宇宙のアバターたちが収監されている監獄の星で、たまたま出会った囚人の輪廻転生の様子を追うという話になっている。囚人は実存の恐怖にとらわれていて、最初は怒りに満ちていて他の囚人や看守を殺した

          推しが神だったらよかった

          声の主は数時間前に死んでいた

          やばい日、自己、孤独 今日はやばい日だったので正気に戻るためにこれを書いている。 日記を書くことで自分の形が保たれる感じがする。普通に過ごしてて考えることなんかあーレポートやだなー無限にYouTubeとネット怪談みるかーくらいしかなく、こんなことじゃ自分が誰なのかまで忘れるのも秒である。自分が誰なのか忘れたまま生きていくことはできない。いやできるけど、難しい。なぜなら自分が何者か把握したうえで人と関わったり社交的なことをしないと社会から脱落していくから。 今日はほんとに

          声の主は数時間前に死んでいた

          ダイイングルーティーン

          覚醒 数か月ぶりに抗不安薬を服用してみて、かなり大きなアハがあったので記しておきたい。  最近じわじわ感じていたことが、「私の脳常に曇ってね?」だったのもある。気まぐれで服薬したところ、即効性のある薬効によりまさに霧の晴れるがごとくサッと不安が引いていった瞬間の、生きる力のみなぎり方たるや、もう相当感動的であった。何でもできる気がしたし、やりたいことがいくつも浮かんできたし、希望が溢れてきたし、一時間で一億ツイートくらいした。 それで思ったのだが、「善く生きる」(=生物

          ダイイングルーティーン

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          友だちほC☻ここに近況をだらだらと記すのには、なんとなく良い効果がある気がする。 最近気づいたのは、自分の中にわだかまっているものをこうして文章にすると多少考えがまとまり、人とのコミュニケーションの助けになるということだ。 どうしたらコミュニケーションが上手くできるようになるのだろう、どうしたら友だちが増えるのだろう、というのはここ一年くらい考えてきたトピックだが、近頃は以下のような解釈に落ち着いている。 人間は社会を作ることで生存してきた種であり、我々個人の中にある「善」

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          無限肥溜め

          1119 活力が底をつきかけている。四六時中気分が悪いのはそのせいだ。悲しみや苦しみを感じた時に「〇〇だから大丈夫」というふうに心を立て直すのに使う理論、信念みたいなものを見失っていて、すぐに取り出せない状況にあり、また腰を据えてそれを再構築する力が湧いてこない。つまり生きることへのモチベーションが枯渇しているといって過言でない。愛や信仰や好奇心などの原動力は人が生きるために持つもので、それらを持ち続けようとする自己メンテナンスへの原動力こそが「生きたさ」そのものなのではな

          無限肥溜め