2022/06/29

学校に行きたくない。
体力は余ってるし(週休四日のお終い大学生だから)、人間と普通に会話できることから見て心も疲れてはいない。なぜ学校に行きたくないのだろうか。

1.勉強がやだ

課題をサボってる。本が読めない。できないことに取り掛かる怖さにまだ縋り付いている。
学校に行くと、嫌でも勉強のことを思い出す。だから行きたくないのではないか。

2.実は疲れている


近頃私の中では「ちゃんと生きよう、生活に向き合おう、苦しみを受け入れよう」というグルーヴが高まりを見せている。学校の課題についても、サボるよりやった方が気持ちいいと認識できるようになったし、創作についても、以前のような単なる逃げ場ではなく体系的にやっていきたいアウトプットとして捉え始めている。
そう、いまだかつてないほど「ちゃんとしている」のだ。疲れるのも無理ないのではないだろうか。
疑問はなぜこのタイミングで疲労が出たのかということだ。
推測としては、三週間前くらいに週休四日お終い大学生になってから特に「ちゃんとしレベル」が上がった結果、その反動が今来たという感じか。ちゃんとするのに疲れちゃった。

ちゃんとできていないのか、ちゃんとしても疲れるのか

週三で大学に行き、それ以外は完全な休日という生活は、私にとってかなりちょうどいいものに思えた。ここ三週間の平均幸福度は今までの人生で一番と言っていいほど高かった。
しかし今、おもっきしサボってしまっている。この生活には持続可能性がないことが証明された。つまりまだちゃんとできていないのだ。
しかし、これ以上に自分に優しい生活があるとは思えない。楽単オンリー、無職、週休四日だよ。だから自分を変える必要があるということだ。適度に負荷を与え続けストレス耐性をちょっとずつ高める。
だるっ!!!!!!!
ちゃんとしようとするのってだるい。たまに疲れて全然ちゃんとしたくなくなっちゃうのも含めてだるい。いつになったらちゃんとできるのだろうか。それとも一生ちゃんとすることはできなくて、定期的にちゃんとできなくなってグデンとしてはまたちゃんとしようとするのの繰り返しなのだろうか。人生。

ま…

まあいいよ。まあいいとして今日は回復に充てよう。やらなきゃいけないことをやらないままだと安らげないので課題を一個やる。そんで、溜めてたものを観る。真・業スー無双2観る。そんで途中の絵仕上げる。できれば積読も読む。そんでダラダラしてお風呂浸かって早く寝る。そうしたら元気になるのではないだろうか。
ならなかったらもう全部やめよ。

脅しじゃねーぞ。
やめてやるからな。

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青い

善の実践に使います。