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声の主は数時間前に死んでいた

やばい日、自己、孤独

今日はやばい日だったので正気に戻るためにこれを書いている。

日記を書くことで自分の形が保たれる感じがする。普通に過ごしてて考えることなんかあーレポートやだなー無限にYouTubeとネット怪談みるかーくらいしかなく、こんなことじゃ自分が誰なのかまで忘れるのも秒である。自分が誰なのか忘れたまま生きていくことはできない。いやできるけど、難しい。なぜなら自分が何者か把握したうえで人と関わったり社交的なことをしないと社会から脱落していくから。

今日はほんとにひどかった。自分が何をしたくて何が好きでどんな人間になりたくて何を目標に今生きてるのかとか全部忘れてただ目の前の快楽をむさぼっていた。てか期末テストバックレた笑

やば。

私は誰なんだっけな……。都内の大学に通う十九歳。ツイッターに絵を上げている。雑誌に詩を投稿している。好きなことは漫画を読むこと、映画を観ること、服を買うこと、たんま~に友達と遊ぶこと。哲学や文学や自然科学について勉強したいけど勉強は大の苦手で、普段は気の赴くまま主にオタ活や二次創作にエネルギーを費やしている。社交的ではなく恋愛もあまりしたことがない。最近は将来のことを少しずつ考えていて、どうにか「正規」のレールから外れて家で適当に過ごしてるだけで金を得たいとはおぼろげに思っている。しばらくは真面目に自分の人生を模索したい。けど最終的には人間を辞めて世界の真理に到達するのが目標だ。

私って誰なんだろう……。パッとしてないことは確か。パッとしないやつって言うとめっちゃ悲しくなってしまうね。パッとしたい。パッとするっていうのは、社会というプラットフォームに参入するときにまとうアバターのことについて言っている。やっぱりアバターだと思うのだ、女子大学生十九歳趣味はこれ特技はこれファッションはこう、な自分って。部屋にこもって虚空を見つめてるときや、こうしてネットに文章を放っているとき、創作をしてるとき、ごはんを食べてるとき、お風呂に入ってるとき、自分は一番特別だ。けどアバターをまとったら特別じゃない。人の目を通して見る自分は本当の「私」が遠隔で操ってる人間という人形だ。私はほんとは人間じゃないと思う。いや人間なんだけど、人の目を忘れているとき、私は人間じゃなくても私だ。職業装い性別性格嗜好の、自己規定の必要なく私だ。

どちらを自己と呼ぶべきなんだろう。コミュニケーションの中のみに立ち上がる、人間の形をした像か?われ思うゆえにわれありのわれか?

前者なら、人々の行きかう中で歩いて話して笑ってる像だけがほんとうで、それ以外の私は空中にふわふわ漂っている空気のようなものだ。いや、私じゃなくて、人間の「ほんとうじゃない自分」がそこら中にふわふわ漂っていて、私もあなたも無いんじゃないかと思う。みんな、なんというか繋がっていて、私とあなたが地表ですれ違うのを上空からぼんやり眺めて、雲みたいに覆っている。

後者なら私たちは孤独みたいだ。あなたと目を合わせても言葉を交わしても抱き合ってもセックスしてもほんとうの私は別の、奥の奥のところにいるってことだろう。でもそれは言うほど悲しいことではない気もする。でも一番悲しいことである気もする。どうなんだ。おい。

やばい

最近自信を失ってばかりいる。できないことばかりでどうしようかと思う。しかしそれを勘定に入れて地道に人生をやっていくことを、みんな、やっているのだなあ……みたいな…一年生の感想も持っている。これからいっぱい自分や世界に失望すると思うけどどんどんその調子で人間になっていきましょう。死んだらどうせ全部わかるから(適当)

明日はテストバックレないようにはがんばる。いやでも、今日も明日も全く勉強できなくてノー勉でいかなきゃならなくなった場合は行かなくてよくね?どうせ落とすもん。気が向いたら行くって感じでいっか。オッケー。必修だけど、落としても来年やればいいだけだもん。いいよね。知らん。ほんとに知らん。大学受験のとき、勉強サボりまくったり出願忘れたり試験当日に辞書忘れたりして行きたかった大学に全落ちしてから、全部どうでもよくなっちゃった。本当にガチの最悪の一番後悔するやつを経験しちゃってから、自己防衛で、後悔することを自らやろうとするようになっちゃった。大丈夫?終わってない?まだ大丈夫か。大丈夫。ううん、大丈夫ではないね。もうすぐ成人だね。くだらねえ大人一直線だね。いいや。頑張って後悔するのが怖くて最初から最悪に飛び込んでく人生、そういう人生もいいでしょう。しょうがない。人生も思考も宇宙も、全部あらかじめ結果が決定している物質の反応の連鎖でしかないから。人間に自由意志ってないから。

嘘だ。助けてください。人権が欲しい。

善の実践に使います。