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2023/02/27 昼と昼と昼と昼

noteに日記を書く
というのがめちゃくちゃ久しぶりで
私は
まずなぜ
noteに日記を書くというのがめちゃくちゃ久しぶりなのかといえば
理由はいくつかあり
まずそれは

健康

去年の終盤あたりから、確実に健康に向かっている実感がある。私がここで健康と呼ぶものは、社会への適合である。ただひたすらにそれである。(言い換えればそれは、ヒトという社会的動物としての生命力の保持である。)社会への適合とはつまり、自分の置かれた社会的状況における断続的な幸福の獲得である。つまり、親脛齧り私文生(オヤスネカジリ・シブンセイ)の私にとっては、人間関係に満足し、学業にも満足し、経済的自立の準備に取り組み、将来への見通しを持ち、社会を生き抜くにあたってヒトの持つ宿命的な希死念慮と言えるあれに四肢を絡め取られ狂気の深淵に引き摺り込まれてしまわぬための精神的な拠り所をこの美しい脳みそより創り出し、人を愛し、人に愛され、人を助け、人に助けられ、歌い、踊り、歩き、走り、球を板で打ち、球を腕で弾き、たまに泳ぎ、たまに岩を登り、家に帰り、入浴し、冷たい夜風にあたり、室内に小さな火を灯し、落ち着き、本を読み、映画を観、手紙を綴り、深い眠りに就き、陽の光で目を覚まし、空っぽの頭で顔を洗い歯を磨き排便し、お気に入りの服の袖に腕を通し、閑静な住宅街に高らかな挨拶を響かせ、快晴の透明な空気を目一杯吸い込み梢の擦れる音の重奏に耳を傾けながら、薄い羽衣が無風に靡くが如く奥ゆかしく軽やかに最寄駅への道のりをゆき、また人を愛し人に愛されるため人を助け人に助けられるため、それの成就する唯一の場所に今日も足を踏み入れる、そういうことである。私は幸運にも、新しく親しくなった人々との関わりやそれに伴う私の精神の変容によって、健康に向かっているのである。なぜそれが幸運かといえば、私は健康になりたかったためである。なぜ健康になりたかったかといえば、健康であることは生きることの本質的な要素の一つであり、私は死ぬまでに一度、健康に生きてみたかったからである。さらに、健康でないことは苦しく、私はヒトとして、苦しみから逃れたいと感じるからである。
私がまとまった文章を書くときは大抵、不健康による苦しみに耐えるため、あるいはそれらから気を紛らわすためである。健康に向かっているために、まとまった文章を書く機会が減り、noteに記事を公開する機会も減ったのである。
さらに他の理由もある。

忙しい

忙しいピョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ピョエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜別に、別に忙しかあないのだろうけどもね、あなたがね、あなたがおれの忙しさをみてそんなん全然忙しかないや馬鹿にすんじゃあないやと仰る場合も想定し、当方は以上のように発言しております。
ご了承のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
破壊のSE

かれこれ十年弱続けているTwitterでは、「忙しい」という文言を数えきれぬほど目にしてきたが、その真の意味が近頃わかってきたように思う。身体的な忙しさと精神的な忙しさが同時に生じたとき、人はTwitterで「忙しい」と発言する。前者のみの場合、別にTwitterで言わない。後者のみの場合、人はTwitterで、少し遠慮がちに、ある種の姑息さをもって、モニョモニョ言う。 

上の段落の文章は全て適当である。

なんかわからないけど忙しい。2ヶ月で5キロ痩せた。自分の繁忙自慢が数字によってその妥当性を補強されることは何にも勝る快感である。
この忙しさを分解するにあたって、新しい人間関係の構築、それに伴うアイデンティティ・クライシス、転学部、就活の開始などいくつか要因をあげることができるが、その全ては社会への急激な適応という言葉にまとめることができる。私は今まで、社会への適合を切に望みながら、一方で絶対に社会に適応したくない、というコンプレックスを十年煮詰めたイジケやその二次障害と言える鬱で悶々とし、相反する二つの欲求の板挟みとなった結果、ずっと同じ座標に目を閉じたままで居たわけである。それが急に動き始めたのだから、忙しいと感じたり一気に5キロ痩せるのも道理である。
ではなぜ私がクソバグ自室から1ミリも動けないカスバグから解き放たれることができ、二つの欲求のうち一つを打ち勝たせ葛藤を打破することができたかといえばやはり、私を取り巻く環境の変化である。つまり、新しい出会いである。つまり、愛である。この人に愛されたい、この人に認められたい、この人に褒められたい、この人に一目置かれたい、この人に尊敬されたい、この人に畏れられたい、この人を楽しませたい、そして行き着く先に、この人を愛したい、そういった強い抗えぬ愛をこの萎んだ脳みそから引き出してくれる人、コミュニティ、世界を見つけることで、身体が動く。他者にとっての価値を能動的に生める。褒められる。脳がうるおい・ツヤ・ハリを取り戻し、綺麗な桃色となる。「健康に、生きること」そのものが、なにより重要で、なにより美しく、なにより尊いものであるかのように感じられてくる。
ウツヌケ。

反動は?健康被害は?喧嘩売った精神科医とのその後は?徹底的に調べてみた!

大まかにいえば、ウツヌケによって静かになっていました、という近況報告、覚え書きでした。
今が本当に人生で一番楽しい。そしてこの楽しさはまだまだ増長していくという確信がある。人生を楽しもうという潔い姿勢を二十歳にして初めて獲得。伸び代は無限。十七歳〜十九歳で得たいくつかの衝撃的な出会いを、私は一生忘れることがないと思う。

反動は、無いッス。でもアガってるときに動きすぎると鬱波のときキツいっぽいッス。鬱波がそもそも減ったので概してイイッス。健康被害は無いッス。食欲と性欲が少しだけ減ったけど支障は全く無い程度ッス。精神科医とは仲直りしたッス。

嘘の美しい星が見たい 嘘の美しい星が見たい

反動というか、後ろめたさのようなものはある。詩を書いたり絵を描いたり身体を叩いたり約束をトばしたりして、本来の自分を思い出すのである。薄暗い部屋の隅に、力無い、青白く醜く太った肉体で、静かに蹲りつづけている自分たちを、横目で認めるのである。
すると安心するのである。

おしまい

今後の予定としては、勉強を頑張り、創作を頑張り、就活を頑張り、可能な限り多くの人に対し社会的イニシアチブを取っていけるよう精進していくつもりである。
嘘嘘。
そんなことよりも大切なのは、料理や掃除を上手にやれるようになったり、新しいお店や新しい楽しみを発見したり、色んなことに挑戦したり、己の中の知の体系を盆栽のように育てウン十年スパンで穏やかな喜びを得たりして、生きることを直視しながら生きていくことである。

ウチの直近のTODO
□好きな本を読みまくる日を作る
□友だちと旅行に行く
□ケロロ軍曹とジョジョ読み返す
□太達のマイバチを買い、ロキのおにでフルコンを取る

善の実践に使います。