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2023消費録/男根的に

ぶりりゅ

タブレットスタンドの広告で、コンテンツ消費が「軽作業」に分類されているのを見かけて面白かった。
私にとってエンタメコンテンツの消費は純然たる現実逃避であるが、2023年の私の生活においては、逃避する先などどこにもなく、いや逃避する必要もどこにもなく、足をつける地や見上げる天やそれらの境界すら不確かなもので、無重力の宙を自分のやり方で泳いだり漂ったり、それで程よく汗をかきぐっすり眠れさえすればいいのだと、私の寝床はとおく地平線に重なるのだと、そういうことが見出された。つまりは私には、全てのインプットやアウトプットの潮流をひとすじに、Xのアカウントのように統合してしまい、例えばちょっとエッチなイラストなんかも本垢でアップロードすることが求められている、なぜならば私の持つ目標は生きることただ一つであるからだ。

映画♬

新旧作混合・2023ベスト10

❶首(2023)
たけし解釈・本能寺の変。
「映画観てゲー出るほど泣く」という体験を本年はし損ねたのだが(2020は『ハイ・ライフ』、2021は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、2022は『ハウス・ジャック・ビルト』でやった)、そういう存在を強く揺さぶられるような衝撃はなくとも、いろんな意味で心に残ったのがこれ。
楽しくて苦しくて哀しくてエロい。迷惑系メンヘラな信長の全身であらわす虚無感が素晴らしかったし、刀フェラはキスシーン史に残るべき画だったし、全キャラクターの生の強烈かつ魅力的なこと、それらがたけしの最後の一言で写真のネガのように脱色され際立つのに、微妙な救われのような慰みのような感覚のおりてくること……。てか忍者かっこよー。大森南朋かわいー。マジでいろんな視点から楽しかった、大好き。あとシンプルに、ビートたけしという人間がゲイセックスをサラッと描いたことのすごさ。

❷バグダッド・カフェ(1987)
旅行先で迷子になったマダムが地元の酒場にすみつく話。
首とは対照的に、全然なんも語る気にならない感じの良さ。細かい筋とか覚えてないのだが、生活感や人と人とのなんてことない触れ合いの、じんわり体を温めて染み込んでくる感覚がずっと残っている。みんないつもごめんね、ありがとう、愛してるよ。になる。基本的には気つけ薬としての映画が好きなんだけど(SF、ミュージカル、激しい苦しみ、等)こうして現実に優しく目を向けさせてくれる作品も大切にしたいかもと思った。『かもめ食堂』とか。あとこれ観てから色白の太った女の人をなんとなく目で追ってしまうようになった。それくらいうつくしいヒロイン。

❸ライトハウス(2019)
大晦日くらいに観た。上質な不条理。
裁かれたくて死にたいときに観ると裁かれて死ぬことができるのでおすすめ。

❹十二人の怒れる男(1957)
裁判員として集められた、出自も性格も思想も異なる男たち。みんなさっさと死刑にして帰りたそうなんだけど主人公が正義って、公正ってなんだと思う!? マジで全員で考えたくて。(M1のくるま)って事件の謎を解いていく。
保守派のジジイや高慢な広告マン、移民の時計屋など、いろんな人間の集まって顔を突き合わせて根詰めて話して、ほんの少しだけ人生を交わらせてほんの少しだけわかりあう、あの一瞬の尊さが、美しいミステリーの様式にびしっとハマって輝いてくる。めちゃくちゃ面白いし胸が熱くなる映画。判決が済んで、皆が広い階段をぱらぱらと降りてゆくエンディング、美しい。あと……、キャラクターも魅力的で、強がりな男性が挫折するのを見ると可愛くて嬉しくなってしまう方にも勧めたい。
ジャンルは全然違うけど、『サークル』(2015)や品田遊の小説『ただしい人類滅亡計画』にも同種の「話し合い」の感動が見出せて、どれも好き。

❺アウトレイジ ビヨンド(2012)
首を二回観に行ったあと、もっと、もっと! となり、こちらをシリーズ一気見した。
テンポのよい銃声とげんこつとカチコミと、かなり純粋なバイオレンス・エンターテイメントだけど、やくざ社会の駆け引きや権力争いがめっちゃ繊細に、中学生女子みたいなむずさで描かれていて、それも面白かった。北野武作品の独特な乾いた感じに完全にハマったので今年もいっぱい観たい。加瀬亮演じるインテリヤクザの死に様が鮮烈にエロかったので第二作のビヨンドを選んだ。

❻7月4日に生まれて(1989)
ベトナム帰還兵の一生を描いた名作。かなり本当のことが描かれているように感じた。ハッピーエンドにも見える結末も含めしっかりしんどくて、よかった。数年前に『地獄の黙示録』観て、あと西島大介の漫画『ディエンビエンフー』読んでから、人間性というもののためされる機会がそこにあったのだろうなと思いを馳せている。今年はちゃんと本も読んだりして掘り下げたい。

❼ バービー(2023)
見てて楽しかったし面白かった、フェミニズムを軽妙に巧妙に扱っててよかった。

❽バッドガイズ(2022)
楽しくてかっこいいワル♬の話かと思ったらマジで全然違くてマジでビビった。「善」に興味がある人は観たほうがいい。

❾イノセンツ(2021)
超能力に目覚めた子供たちの曇ってる話。サイコキネシスやテレパシーなど、超能力がマジでめちゃくちゃリアルに描かれててそのリアルさのみでもう最高、怖くてわくわくした。ドラマチックじゃない超能力の描写が好き。GANTZの坂田とか。

❿ 逆転のトライアングル(2022)
豪華客船が曇ってく話。現代はTriangle of Sadness (悲しみのトライアングル)で、劇中主人公の目元の雰囲気がそう形容されるのだけど、こっちのほうが詩的で好きだ。人や社会を許せないときに観たい。
全員船酔いゲボ祭りのディナーコースが最高だった。気まずい食事って、慣例や規範のむなしさが浮き彫りになるから好きだな。一昨年の『ザ・メニュー』もめっちゃ良かった。

ベスト6

読書メーター:konor!
↑フォーしてね

自分が世界を見つめるのに言葉を必要としていることを改めて知った年だった。
本年は殺人鬼とか腐女子とか知的障害のあるXユーザーとか夏油傑とかのことをフワッと考えてたな。

●オリヴァー・サックス『火星の人類学者』(1997)
異常に面白かった。脳神経科医の著者が出会った七人の患者の珍妙な症例を紹介する。色という概念をまったく失ってしまった画家や、1950年代に前向性健忘症を患ってから永遠にヒッピーでいる人や、チック症の外科医など。著者と患者の友人としての交流が前提にあるのが、病気というものの本質を語るのに大きく寄与している。
一番印象的だったのは脳の障害による色盲についてのくだり。健常な脳を持つ私たちがある色をある色として認識するとき、その色がその色だからそう見えてるんじゃなくて、その色の周りにあるものとか陰影とか、いろんな要素から私たちの脳がその色をその色とアタリをつけている。上述の画家はそのアタリをつけるはたらき、色に恒常性を与えるはたらきを失ったのだ。私たちが、あらゆることに恒常性を与え、そうすることで人間として生きていることを、色盲の例は象徴している。という話。マジだ! となった。全部嘘なのにねぇ! という気持ちに肉付けできる事実をまたひとつ得られた。面白い。

●平山夢明『異常快楽殺人』(1999)
面白いし本当だし、マジで傑作だ。無害そうなボケーっとした顔しながら、人を殺して皮を剥いで素敵な作品を生み出しまくってたエド・ゲインとか(今気づいたけど金カムのエドガイのモデルか! エドガイは、トラウマと独自の方法で闘い続け、芸術家として誇り高く散っていった大好きなキャラクターだ。鶴見はさ……、善人か悪人かとかじゃなく、美しく幸福な死を、それを必要とする人々に与えることができる存在であった、というだけなんだよな。大きな台風の目として彼を見るか、ひとりの傷ついた人間として彼を見るかは、はっきりと分けられることじゃないし分けるべきことじゃないと思う、鯉登が最後までそうしなかったように。(金カム今月いっぱい無料公開してる。全員読んだほうがいい))、こう書くと頭おかしーこえーおもしれーという印象になると思うんだけど、殺人鬼はどうして殺人をしていたのか、何を考えて何を感じていたのか、どんな苦しみとどんなやり方で闘おうとしてたのか、どうやって生活して、どうやって生きようとしてたのか、生い立ちや普段のふるまいや犯行の詳細な記述から、彼らの生々しい息遣いにぐっと迫ることのできる文章だった。てか、殺人鬼ておかしげに呼ぶの、やめようよ。鬼なんていないよ。お前らと彼らの間には何の違いもないよ。お前らとか彼らとか言うのもやめよう。俺ら。全員同じところにいるよ。呪術廻戦二期観た? なあ。皆痛いだろうがよ、生きてて痛いだろうが。皆闘ってるんだろうが。彼らを忘れたりするなんて、そんなことできるか? 夏油と五条は親友だったろうが。
コリン・ウィルソン『殺人の哲学』を続けて読みたいです。

●尾形亀之助『美しい街』(2017)
尾形亀之助(1900〜1942)の選詩集。亀之助は、ニア餓死自殺した詩人。部屋でボーっとしてたら、夜になった。終わり。みたいな短い詩をいっぱい書いてる。
『日本のアヴァンギャルド』という本の中で亀之助の詩が評されていたのを読んだ。「超・超現実主義(シュルシュルレアリスム)」みたいなことが言われていた。一周回ってふつうの景色なんだけど、そこまでにいちど全てがばらばらになった世界を経由している。静まり返った部屋に目を凝らすと、事物の輪郭はすべて、ぎりぎり溢れていないコップの水面のように微かに身じろいでいる。というような感覚を見出して作品を読むことができて、詩の批評を初めて面白いと思った。
でも、めっちゃ落ち着いてるときじゃないと、詩って読めないんだよな。半年に一回あるかないかくらい。書くのは結構いつでも楽しいんだけど。(好きな詩人といえば、最果タヒと尾形亀之助の二人きりだ。それ以外はほとんどまともに読めたことがない。)詩を読む/書く、の自分の中での非対称性に、ずっと整理がつけられていない。自分や自分の周りの人々の、読ませるだけ読ませて自分は読まない、という魂の形について、いつかなんらかのやり方でなんかどうにかやらなきゃいけないと思っている。ということを二年前にも詩に書いていた。『現代詩手帖』2022年1月号の投稿欄に載ったものを、ついこの間Xで評してくれていた人がいたので、思い出した。

詩を書き始めてから半年くらいのやつだと思う。今とは書き方が違う。ほぼインプットが最果タヒのみのため、ほぼ最果タヒのパクリとなっている。(初めて読んだ商業詩は最果タヒで、それをきっかけになんとなく自分も書き始めた。それだけ最果タヒの言葉が身体に馴染んだということなので、ずっと好きなんだと思う。内容はわかったりわからなかったりするけど、言葉はいつでもめちゃくちゃ好きだ。知らぬ間にめちゃくちゃパクってるかもしれない。)内容について言えば、このころはいっぱい書くことがあったなあ、とぼんやり覚えている。詩という表現に出会って、生まれてはじめてやっと人に伝えられることが、アイデアとしてそこらに転がっていた気がする。今は自分なりの書き方をじりじり探求できていて楽しくはあるけど、何を書きたいのかよくわからないかも。
自分に必要なものを読んで、必要なものをつくっていきたいと思う。そのためには、静かな部屋でボケーっと一日を過ごすことも大事だな。個人的には、最果タヒを読むときの、なによりも先に言葉の震えが伝わってくる感じと対照的に、尾形亀之助の詩の世界は、ゆっくりと空気ごと降りてきて部屋を満たす。瞑想の指南としても悪くない。たとえその先に衰弱死が待っていようとも。

その他

そう、夏油傑ね。『呪術廻戦 懐玉・玉折』アニメ観て結構深刻に落ち込んだのも心に残っている。というか、まだちょっと悲しい。いや、夏油が行ってしまったのは「あったこと」なのだから、悲しみが消えることはありえない。悲しいことがあってしまった、それは絶対に覆らない。過去は変わらない。悲しみが薄らぐことがあっても、悲しいことがあってしまったことは絶対に変わらない。何ができたんだ? とずっと考えるし、その度に、何もできなかったという結果だけは確かなのだ、と思い続ける。
↑アニメの話でこんなことなるんだ。と思った。自分でビビった。いない人のない話で。
↑いない人のない話と自分の人生を同期するの、宗教っぽいよね。オタクと宗教の類似性については一年前くらいにアップした日記にも書いた。玉折はその秋、私にとっての神話になったのだ。

web漫画をめっちゃ読んだ。課題ヤバいときとかに一日中読んでた。そのまま干からびて死ぬのかと思うくらい。漫画描きたいなと思って描かなかった。早くしないと寿命で死ぬし今やりたいこと以上にやるべきことってないなと思うわ。やっぱり。『裏バイト』が一番好き。2ちゃんねるの怖い話とか、禍話リライトとか、ネット怪談も結構読んだ。今年はエロとホラーを探求するのだと決めている。今月は早速、ゆで卵をしばらく食べたくなくなるバタイユの『眼球譚』や、ふたなり異世界バトルファンタジー漫画『ローゼンガーデンサーガ』などドハマリな読み物に出会うことができたし、『ボーはおそれている』もとても楽しみ。あと怪談を聞きにいったり、オカルティックなアクティビティ(肝試しやこっくりさん)にも今年は挑戦してみたい。(こっくりさんは一度試したが、来てくれなかった。付き合ってくれた皆、ありがとう。)

今年もいっぱい消費して、動いて食べて書いてつくって、生を研磨し、男根的に、自然のままに、命を燃やして生きていきたい(2024/01/22、『ゴールデンカムイ』と『ダンジョン飯』と『ローゼンガーデンサーガ』に脳が揺れている者の感想)。急にアレだが、私はやはり、総合的には、どちらかというと、強いていうならば、どうしようもなく、生きたいのだ。どこでどのように生きてゆくのかはわからないが、必ずそこには観ることとつくることがある。現実逃避なんかじゃなくて、それが私の現実なのだ。死にたいとか言ってる場合じゃないというか、死にたいとか言える余地は初めからこの部屋にはなかったのかもしれない。少なくともXのアカウントはもう一つしかない。

なんで夜より朝の方が寒いの?

いま隣の部屋から聞こえてきた、弟の母への問いかけ。
マジでなんで?

漫画やYouTube、ゲーム、音楽などにも触れたかったが、書き疲れたので、母のつくった夜ご飯をいただいて寝る。

今年もおすすめのコンテンツがあれば、ぜひ教えてください。

善の実践に使います。