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【禅語 Zen Words】看花老不知(はなをみるもの おいをしらず)Those who see flowers never grow old ’hanawo mirumono oiwo shirazu’
看花老不知(はなをみるもの おいをしらず)美しい花を愛する人は、いつまでも老いることを知らない。という意味の禅語です。
ところで、そもそも「老いる」とはどういうことでしょうか。
普段私たちは「老いる」という言葉をどんな時に使っているでしょうか。
私の場合は、単純に年月を経ることや、身体の機能が衰えていくこと、あるいはそういう変化にともなって精神的にリスクを避けがちになることなどについて、「老い
【禅語Zen Words】一雨潤千山(いちう せんざんをうるおす)A single rainfall moistens a thousand mountains ‘ichiu senzanwo uruosu’
一雨潤千山(いちうせんざんをうるおす)
ひとしきりの雨があらゆる山を潤す。
熱せられ乾き切った地に恵みの雨が降りそそぎ、潤いを取り戻して、植物が生き生きと蘇る。爽やかな夏の情景を表した禅語と解釈されています。
私はこの禅語にふれると、酷暑の夕立を思い起こします。
強い日差しに一日中晒され、あらゆるものが熱せられ乾き切った酷暑の夕方。
みるみるうちに空に黒い雲が立ち込め、さっきまでの日差しが嘘
【禅語Zen Words】莫妄想(まくもうぞう)Don’t be delusional ‘Maku mouzou’
莫妄想(まくもうぞう)
「莫(まく)」とは「なかれ」とも読み、禁止を意味します。
また、「妄想」とは一般的には根拠なくあれこれ想像することを意味します。
莫妄想とは、妄想することなかれ、つまり「妄想するな!」というメッセージといえるでしょう。禅語としては、「まくもうぞう」と読むことが一般的です。
さて、「妄想すること莫かれ」とは、文字通り「妄想するな!」という意味ですが、禅宗においてはこの妄想
【禅語Zen Words】而今(にこん)This moment ‘Nikon’
而今(にこん)
「にこん」あるいは「じこん」と読みます。
曹洞宗の開祖、道元禅師がその著書「正法眼蔵」でとなえた言葉です。
直訳してみると、単に「今」ではなく、「すなわちこの一瞬」というような意味と解釈されています。
禅宗においては、一般的な「時」というものの捉え方と違った「時」の捉え方をします。
私たちは通常、「時」というものは過去から現在、未来へと一方通行で過ぎ去っていくものというように捉
【禅語Zen Words】本来無一物(ほんらいむいちもつ)Essentially 'nothingness'
本来無一物(ほんらいむいちもつ)禅宗の始祖は菩提達磨と言われています。
仏教は釈迦に始まり、師匠から弟子に「法を継ぐ」ことで、代々教えをつないできました。
ちなみに菩提達磨は釈迦から数えて28代目とされています。
そして、菩提達磨が中国に渡ったことで禅宗がおこり、菩提達磨から弟子に、またその弟子にと、脈々と法が継がれて現在の日本の禅に至るわけです。
菩提達磨から数えて5代目に法を継いだ禅僧が、あ
【禅語Zen Words】弄花香満衣(はなをろうすれば こうえにみつ)Play with the flowers and the fragrance will fill your robe
弄花香満衣(はなをろうすれば こうえにみつ)中国は唐の時代の詩人、于良史の「春山夜月」という美しい詩の一部の、「水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ」という一節が、禅語として知られています。
「春山夜月」という詩は、春の山の素晴らしさを詠んだものと言われています。意訳してみると、春の山を、自然と一体となって楽しむ詩人の姿が浮かんできます。
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「春山夜月」:意訳
春の山は素晴
【禅語Zen Words】春来草自生(はるきたって くさおのずからしょうず)Spring comes, the grass grows by itself.
春来草自生(はるきたって くさおのずからしょうず)「兀然(こつねん)として無事に坐すれば、春来たって草自ずから生ず」という禅語の一節。すべての計らいを捨てただ黙々と坐禅をしていれば、春になって草が自然と生えるように、時がくれば必ず悟ることができるだろう。という意味と解釈されています。
春が来れば、草木は芽を出します。それを人がさまざまに理屈で解釈しようとも、それが現実、それが自然です。しかるべき
【禅語Zen Words】和心(わしん)Japanese spirit
和心(わしん)「和」という言葉は、日本そのものを表したり、純日本的なものに使われることが多く、和紙、和服、和菓子など、伝統的なものに付いていて、「和」それ自体が文化的概念となっている日本語です。また、日本的というほかに「和らげる」「調和」「平和」などの意味があります。
「和」は、日本の哲学・文化において、日本人の精神性をもっとも象徴するものとしてとらえられています。
7世紀ごろよりこの極東の島の
【禅語Zen Words】銀盌盛雪 明月蔵鷺(ぎんわんにゆきをもり めいげつにろをかくす)A silver bowl is filled with silver snow and the bright moon is overlaid with a white heron.
銀盌盛雪 明月蔵鷺(ぎんわんにゆきをもり めいげつにろをかくす)
銀盌盛雪 明月蔵鷺
類而不斉 混則知処
銀盌に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。
類すれども斉しからず、混ずるときんば処を知る。
銀のお椀と雪は全く異なる性質のものだが、お椀の白色に雪の白色を盛るとその境界が曖昧になる。同様に、明るい月と白鷺は違うものだが、月に白鷺が重なると、白い光のなかで区別がつかなくなる。しかし、似てはいても同じ
【禅語Zen Words】見明星悟道(みょうじょうをみて みちをさとる)Seeing the bright star and enlightening oneself to the Way.
見明星悟道(みょうじょうをみて みちをさとる)仏教の開祖である釈迦(しゃか)が悟った瞬間を表した禅語です。
釈迦が悟ったのは12月8日とされています。12月1日から菩提樹(ぼだいじゅ)の下で静かに坐り瞑想をはじめた釈迦は、8日目の夜明け、空に輝く星を見たその瞬間に悟りを得たと伝わっています。この逸話を表すのが「明星を見て道を悟る」という禅語です。
おそよ2500年前、ヒマラヤ山脈のふもとにあった
【禅語Zen Words】舞秋風水石紅葉(しゅうふうまいて すいせきこうようす)The autumn wind is blowing and the water and stones are also covered in autumn colours.
舞秋風水石紅葉(しゅうふうまいて すいせきこうようす)秋風に吹かれて舞い落ちた葉が降り積もり、水面や石も境なくすべてが紅葉一色になっている様子を表した禅語です。
石は動かないもの、水は動き続けるもの。静と動の象徴のような、一見全く違うように見えるものですが、落ち葉というきっかけで融合することによって、どちらも例外なく自然の流れの中にあり一体であるということを思わせてくれる禅語だと理解しています。
一本の木に集う生き物たち Creatures Gathering in a Single Tree
落ち葉が降る季節になってきました。この時期のお寺での作務は、とにかく落ち葉掃きです。
冬に葉を落とす木々が庭にたくさんありますし、特に墓地の大きなケヤキとイチョウが、雨のように葉を降らせます。
落ち葉は掃き集めて積んでおくと土になります。その土を畑に撒くことで、野菜が育つ養分になります。その野菜を食べた私は、また来年も落ち葉を掃き集めて土を作ります。
今、私が掃き集めている落ち葉は、めぐりめぐっ
【禅語Zen Words】天地与我同根 万物与我一体(てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれといったい)Heaven, earth, and I have the same root, all things and I are one.
天地与我同根 万物与我一体(てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれといったい)「天地と自分と根本は一緒である。万物と自分とは一体である。」という意味の禅語です。
これは肇法師(じょうほうし)[西暦384~414年]という中国の仏教僧の言葉で、禅の哲学の根幹を表現する禅語として捉えられています。
この禅語の起源は、中国の道教の始祖の一人、荘子[紀元前369~286頃]の「天地と我と並び生ず、而して万
【禅語Zen Words】行亦禅坐亦禅(ぎょうもまたぜん ざもまたぜん)Walking is also Zen, sitting is also Zen.
行亦禅坐亦禅(ぎょうもまたぜん ざもまたぜん)歩くのも禅、坐るのも禅である。
語る時も黙っている時も、動いても静かにしている時もその姿は安らかである。
たとえ刀の切っ先を突きつけられても常に平気である。
たとえ毒薬を盛られても安らかで緊張や恐怖がない。
それが禅である。
中国唐代の禅僧、永嘉玄覚による禅の古典『証道歌』の一節です。
さて、修行ってなにするの?とよく聞かれます。
僧堂で実際の修行