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世帯収入150万円一家④四月~六月の収入


①コロナ禍による収入と生活の変化
②私と不良少女
③妻の収入


コロナ禍による仕事への影響を見ていきます。

四月の第一週のうちに自主的に休業すると決めたこともあり、四月の出勤日は二日間のみでした。五月は街に人出のほとんどないGW中に二度休日出勤をした他はすべて休みで、やはり出勤日は二日間でした。というわけで、四月五月の収入はそれぞれ二万円です。

復帰の希望を伝えたのは日々の感染者数も減ってきた五月下旬のことでしたが、会社自体もコロナの影響を受けて仕事が減少しており、それから丸二週間はお呼びがかからず……(私以外にも、子供が小さかったり介護をしていたり持病があったりなどの理由で自主的に休んでいた人は何人かいたようですが、仕事量との兼ね合いからすると職場的にはちょうどよかったようです。→つまり、出勤を希望していても休みになった可能性が大)。

ようやく出勤したのは、六月も第二週に入ってからのこと。そこからはぼちぼちのペースで出勤することができましたが、仕事量が少ないことから定時前に上がらされたり、午後出勤になったりなどして、稼ぎは目減りしてしまいました。六月の出勤日は九日間、収入としては約七万五千円です(普段なら日給約一万円の計算)。

しかも、ここに来て仕事量が減ったがために手隙になった社員数名が、私のいる部署に回されてくるという事態になりました。降って湧いたようないきなりの決定です。私のいる部署は派遣社員だけで成り立っているようなところなんですが、つまり、正社員に仕事を横取りされる形ですね。

その部署の業務内容は多少なりとも専門性があるんですが(私でさえ一応資格を持っている)、回されてきた社員のほとんどがその業務は未経験。それを、自分の仕事を奪うことになるかもしれない相手にこちらが一から教えなければいけないという、何とも不条理な状況です。しかも、相手は正社員なので月々給料が出ていて、ボーナスだってそれなりにもらっているという(会社自体はいわゆる大企業なので)。

これがかの有名な日本のサラリーマン社会というものかと痛感する今日この頃、もともとレギュラーでさえない私はますます危うい立場です。

おまけにと言うか何と言うか、その数名の社員たちはどうやら社内で「使えない」と思われている一群のようなんですよね。その感じが外見にもよく現れてますよ。男性率100%で、腹ばかり無駄に突き出た、むさ苦しいおっさんたちです。偏見に基づいた発言かもしれませんが。

そういう人たちが一所に集められて座っていて、なんだか一気に狭苦しくなりましたし、見てるとこちらの気分まで落ち込みます。それに、彼らは彼らでこの状況下にあって仲間意識みたいなものもあってですね、移動するのもみんなでぞろぞろ、お昼行くのもみんなでぞろぞろ、話すときも内輪でこそこそ。ちくしょう、七人の小人たちでさえもう少しマシな働きをするぜ。

ところで、少し時間を遡った三月のこと、私の体調に少し異変がありました。喉が常に締めつけられてるような、喉の奥に何か詰まったような感じがして、物を飲み込んだりするのがつらくなるという症状が出たんですね。

最初は時期的にコロナの感染を心配したんですが、落ち着いて考えてみたらこれは馴染みのある症状でした。というのは、若い頃に同じようになったことが何度かあったんですね。十代後半から二十代後半にかけてのことで、一昔前の話ではあるんですが。

当時は「また何かおかしくなってるな」という程度で、放置というか例によって病院にかかったことがありませんでした。なので、これが具体的に何という症状なのか、そもそも名前がついているのかなど、ずっと知らないでいたんですが……。

今回、きっとこれもストレス性のものだろうと思いつつネットで調べたところ、これかというものがヒットしました。

どうやら、咽喉頭異常感症(ヒステリー球)というのがこの症状の名前のようです。喉から胸にかけての違和感や異物感や圧迫感が生じる疾患で、慢性的なストレスや自律神経の乱れなどが原因となるとか。

そういう名前だったのか(ヒステリー球の方でインプット)。若い頃は年に一度くらいのペースでなっていたような気がしますが、三十過ぎてからはあまり出なくなっていたように思うので、今回やけに久しぶりに症状が出たことになります。

病院で診てもらったことがないというのは、二週間から三週間くらいでやがて症状が消えるということが経験上分かっていたからということもありますが、それでも症状が出ている間は常に不快感や不安感につきまとわれます。このまま喉が詰まったり、息ができなくなったりして死んでしまうのではないかと心配になったり。

若い頃、このヒステリー球とストレスとの因果関係をどれだけ掴めていたか自分でも定かではありませんが、今回のこれはやはりコロナが大きな原因ということになるんでしょう。

私の職場は外国人旅行客が多く滞在する地域にありますが、仕事に行くたびに電車の中や路上で外国人の方々と何組もすれ違います。そうしたこともあって、世間でまだタクシー運転手がどうとか屋台船がどうとか言っていた頃から、個人的にはこの新型コロナウイルスをけっこう警戒していたんですね。アジア系の旅行客を見かけるたびに、なんですか、今で言うソーシャルディスタンスを保って道の反対側を歩くようにしたりしてました(その地域では今やホステルもかなり潰れてます)。

また、二月に入ってからは発達障害の検査で毎週のようにメンクリにも通っていましたが、そのことも多少関係しているかもしれません。虐待を含めた過去と向き合わなければならなかったりして、それなりに負担を感じてたんですね。

そんなこんなで、二月三月とあれこれ心配しながら通勤していて、もうだいぶストレスで参っていた部分があり、それがそのヒステリー球という形で出たということになるようです。収まるまでの期間も一ヶ月近くと少し長かったこともあり、コロナ鬱の一種みたいなものだったのかもしれません(コロナでヒステリー球が増えていると言っている医者もいるようです。ずっとマスクをしていることも関係しているとかいないとか)。

そうしたことを考えても、自主的に休業したことは賢明だったのかなとは思いますが。

ヒステリー球は、その後毎日自宅で過ごすようになるとやがて消えていったんですが、実を言うと六月になって仕事を再開するときにまた同じ症状が出てきました。感染者があっという間に増えはじめたことでまた不安が強くなっていたのか、あるいは、単に働きに出なければいけないこと自体がイヤだったのか。いずれにしても、そのときの症状は軽めで一週間程度で収まりはしたのですが。

私の場合、大音量を浴びると喉が締めつけられて声が出しにくくなったりするのもそうですし(これは基本的に聴覚過敏からくるものなのか)、たびたび音声チックが出たり、どもりがちになったり、失声症のようになったこともあったりなどして、どうも喉に出やすいようです(音声チックも失声症もごく最近知った病名)。

※音声チックとは……
不規則で突発的な体の動きや発声が、本人の意思と関係なく繰り返し起きてしまう疾患で、まばたき、顔をしかめる、口をゆがめる、首を左右に振るといった動作性の症状(運動チック)と、咳払い、鼻や舌を鳴らす、叫びや単語を連発するなどの音声性の症状(音声チック)に大別される。不安や緊張、興奮、疲労などが誘因となりやすい。

(私の場合は咳払いなので音声チック。最初になったときは「これは百日咳というやつか?」と思うくらい症状が続いた。今は出てほしくないというときに限って出るという特徴もある。試験中で静かなときとか)。
※失声症とは……
主としてストレスや心的外傷などによる心因性の原因から、声を発することができなくなった状態。脳の物理的な障害により語彙記憶や言語の意味理解などに困難をきたした「失語症」とは異なる。

(よく分かりませんが、失声症場面緘黙は別の病気なのでしょうか。私の場合、主に家の中で喋ら(れ)なくなったという気がするけど、同時期には学校でもやはりほとんど喋ってない気がします。当時はこれならいっそ何も喋れない方がマシ、言葉が不自由な人になりたい、と強く思っていたものです。ちなみに、私が文章を書きはじめたそもそもの動機の一つに「言葉を取り戻すため」というのがありました

これらの症状はおよそ十代後半以降に出たものですが、それ以前から常にずっと何らかのストレスに晒されていたということも改めて確かめておきたいことです。大雑把に言えば、適応障害が出ているにも関わらず強制的に学校に通わされていたことと、少しも気の休まらない家庭環境ですね。

青年期以降も途切れることなく問題を抱えていたような状態で、パニック障害などの二次障害によって落ち込んだ生活の質、引きこもり期にがっつり削り取られた基礎体力、金ももらえず作品が完成もしない映画関係の仕事、己にとりついた不適合感や絶望感や希死念慮などなど、心休まるときがない状態が続いてました。

昔よく、自分の心身の健康状態をたとえて、RPGでライフゲージが常にオレンジ色の状態と言っていたんですが、本当にそのまんまというか、HPが警戒レベルまで減っているというだけでなく、呪いのかかった道具も装備してしまっていて、ゆえに宿屋に泊まったところでライフゲージはオレンジ色のままであるというような感じだったんですね。

これも以前書きましたが、体温調節ができなかったり、気圧の変化によって偏頭痛が起きたり起き上がれないくらい体がだるくなるようなこともよくあったりして、心身ともに好調を感じられるような日は年に数日あるかないかというところでした。ほとんど自律神経失調症みたいなものだったんでしょう。というか、完全に自律神経失調症だったんでしょう。過去形にできるのかどうか分かりませんが。

自分では、そういう数々の試練を乗り越えてきた分、ストレスに対して強いかのように錯覚しているところもあったんですが、これは逆だと最近になってはっきりと理解しました。

適度な緊張感という程度のものならともかく、心身に変調をきたすほどのストレスに慢性的に晒されている状態にあっては、鍛えられるどころかむしろいっそう弱っていくんですね。なぜなら、単純な話で、回復が間に合わないからです。回復が間に合っていない状態でいつまでもストレス下に置かれると、耐性が落ちていく一方なんですね。回復を図るためには、元になるストレスをいったん取り除かないとダメなんです。

以前書いたように、私は父親から「お前には我慢が足りない!」と怒声を浴びせ続けられたわけですが、そう言われて自分では「我慢しかしていないんだけど……」という感覚があったんですね。父親がどういうつもりでそう言っていたか知りませんが(私が適応しないことが許せなかったんでしょうが)、自分自身のその「我慢しかしていない」という感覚は間違ってなくて、許容範囲を超えてひたすらに我慢し続けたことが、その後の私が二次障害まみれになった一つの大きな原因だろうと思います。

それに加えて、自分が疲れていることに気がつきにくいとか、それゆえに休むということを知らないというASD的な特性も重なって、悪い方へ悪い方へ転がったのだという気がします。

というようなわけで、三月と六月に続けてそのヒステリー球が出たことによって、自分のストレス耐性が弱いということを改めて自覚したという話です。

今後の心構えとしてはですね、日頃からその辺を気をつけるようにするとともに、ちょっとしたことも大袈裟に訴えていって、支援が必要です、ヘルプミー、という方向に持っていきたいと、そのように思います。

蛇足ながら、妻の方のコロナ禍の収入を簡単に。

三月に久々となるグループ展の予定が入り、年末から準備を進めていたんですが、展示が近づくにつれて都内では感染者数がじわじわ増えていってですね。

開催できるかどうか、むしろしない方がいいのか、などとごちゃごちゃ考えながらいたところ、ギャラリー側から決行するというお達しがありまして、まぁやることにはやりました(ちなみにギャラリー自体は神奈川県にあります)。

ですが、結果から言うとですね、展示期間がちょうど三月の下旬の自粛ムードが濃厚な時期に当たってしまったこともあり……、お客さんはほとんど来ず、作品もほとんど売れずという散々なことに……。

売り上げも目標額の十分の一程度に留まりました(ADHD傾向濃厚の妻は目標額とかそういうことを考えられないので、私が勝手に決めるわけですが)。

本格的な展示は四、五年ぶりだっただけにうまくいってほしかったんですが、仕方ないですね。ワークショップの準備にも力を入れてましたが、そちらに至っては体験者ゼロでした。展示期間が一週間でも前にずれていたらだいぶ違った気がしますが、この辺も運でしょう。ギャラリーも妻たちのグループ展が終わるとともに休業を決めました。

しかし、我が家としては、妻が制作をすればするほど私の負担も大きくなるわけで(家事育児、仕事を休んだりなど)、期待していた利益がないとなるとダブルで痛いことになります。

作品自体はなくなってしまうわけではないので、別の機会に展示や販売をすればいいのですが、ギャラリーなどでそうしたことが普通にできるようになるのもいつになることか(すでにあちこちで再開はされているでしょうが、訪れる方としてはまだ気持ちが立て直せていないということも多いのではないかという気がします)。

ここ数年、委託販売でお世話になっているお店も三月から五月は売り上げがなかったですし、妻の方も今年はだいぶ収入が落ち込むことになりそうです。

私の雇用も先行き怪しいですし、どうなることやらです。


いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。