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映画感想 マイレージ・マイライフ

 今回は、「あの頃見ようと思っていたけど、すっかり忘れていた映画」……ということで『マイレージ・マイライフ』。2009年公開の映画で当時話題になった作品。その当時に私も見ようと思っていたが、すっかり忘れていて……。で、つい先日急に思い出してNetflixで探すとこの映画があったので、よし視聴だ……ということになった。

 映画『マイレージ・マイライフ』の細かい情報を見ていこう。
 劇場公開は2009年。アメリカ映画。もともとは15館のみの少数上映のみだったが、話題を呼び、やがて全米公開、さらには世界公開へと広がっていった。制作費2500万ドルに対し、興行収入は1億6300万ドル。その後DVDとブルーレイがヒットしてさらに収益を上げた。
 フロリダ映画批評家協会賞作品賞・監督賞・主演男優賞受賞、ゴールデングローブ賞脚本賞受賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞・脚色賞・男優賞・助演女優賞受賞……とあまりにも多くの賞を受賞したので、ここでは取り上げられないくらい評価された。
 今から10年ちょっと前に制作された映画だが、今でも見るべき優れた映画だった。むしろある部分に関しては、今のほうがよりラディカルな意味を持つんじゃないか……とすら思える秀作であった。

 ではストーリーを見ていこう。

 主人公ライアン・ビンガムは人事コンサルト会社で働いていた。仕事内容をざっくり説明すると、「経営者に代わって、従業員に解雇を言い渡す」……という仕事だ。折しも不況の最中で(リーマンショックが2008年9月。その影響下にある作品だ)、仕事は引く手あまた。ライアン・ビンガムは全米中を飛び回って、初めてやって来たオフィスで、初めて会う人に対して「君は今日でクビだ。これから机に戻って荷物をまとめてくれ」と言い渡していた。
 冒頭から、様々な人の顔が一杯出てきて、次から次へと解雇が言い渡される。実はこの人達、多くは「プロの俳優」ではなく、最近何かしらの企業をクビになった一般人。映画制作にあたり、失業者に関するドキュメンタリーを制作する……という名目で一般人を集め、話を聞き、同じようにクビを言い渡されたらその当時と同じ反応をするか……という撮影がなされた。このインタビュー映像は100人ほど撮影され、そのうち22人が劇中で使用されている。実はかなりリアルな反応を収めた映像達である。
 そんなライアン・ビンガムは一流のサラリーマンとして、時々講演会の依頼が入ってくるほどだった。これは「講演会」の体を持った、「キャラ紹介」の場面。
 ライアン・ビンガムはバックパックを会場に一つ持ってきて、人生にこのバッグに入らないものは必要ない、大きなものは必要ない、写真なんかもいらない……と自身の人生哲学を語る。
 ライアン・ビンガムは年がら年中全米中を飛び回っていて、1年のうち330日くらいは出張で飛行機の中。残りの30日くらいは家で過ごすが、その家は文字通りの意味で何もない。ベッドと照明器具だけ。色もない真っ白。講演会で語ったとおり、家に何かを置く必要はない、思い出もいらない、家族もいらない……が彼の信条だった。ミニマリズムの極地のような生活を送っていた。
 そんな旅先で、ライアン・ビンガムは自分と同じく出張族のアレックス・ゴーランという女性と出会う。バーで一緒に飲んで、セックスの話で意気投合した2人は、そのままベッドへ行き、一発やる流れになる……。(イケメンはいいよなぁ……)
 ライアンとアレックスは、「また会ってセックスしよう」という話になるが、お互い出張族。次に会う時は……とノートパソコンを開き、次に会うのがどこの空港か……と話し合う。
 人生には何もいらない、何も持たなくていい……と語るライアンだが、一つだけ目標があった。マイレージを1万ポイント貯めること。マイレージを1万ポイント貯めると「永久名誉乗客」としてプレートに名前が刻まれる。永久名誉乗客に選ばれた人は、世界で6人しかいない。このまま出張暮らしが続くと、7人目の乗客になれるかも知れない……。それがライアン唯一の望みだった。

 そんな独り身の気楽な人生を送っていたライアンだったが、2つの転機が訪れる。
 1つ目は妹から電話がかかってきて、妹の娘が結婚することになり、その結婚式に使う写真を撮ってきて欲しい……と。「アンタ、仕事でアメリカ中を回っているんでしょ。だったら色んなところで写真を撮ってきてくれよ」……と。
 講演会で「写真なんかもいらない」と言ったばかりだが、しかし妹の頼みを聞かないわけにはいかず、色んな地域に行って写真を撮ることに。
 その夫婦写真のパネルを渡されるのだが、これが鞄に微妙に入らない。「鞄に入らないようなものは持つ必要はない」……とも語っていたが、仕方なく「鞄から微妙に飛び出したパネル」を持って旅に出ることに。
 もうひとつの転機は本社に呼び戻された時に起きる。入ってきたばかりの女性新人社員ナタリーが「御社の仕事には多くの無駄があります。効率化すれば経費を85%節約できます」と提案してきた。その内容は、出張をやめて、すべてオンライン上で業務を行うこと。つまり、オンライン上で人と会い「あなたはクビです」と宣告することだった。
 これにはライアン・ビンガムは反発する。「クビ宣告はデリケートな仕事だ。オンラインでできるか!」と。
 しかし若いナタリーはその現実がよくわからない。「実際会ってクビ宣告するのと、オンラインでクビ宣告することは一緒でしょ」くらいの感覚しかない。ライアン・ビンガムはこれでは埒があかないと、新人社員ナタリーを連れて出張へ行くことにする。

 ここまでのストーリーが25分。

 冒頭から色んな人の顔が次々と出てきて、次々とクビ宣告を言い渡される場面が出てくる。このシーンだけでもかなりエグい。しかも、あの場面に出てくる多くは、すでに書いた通り「プロの俳優」ではなく、本当に何かしらで最近クビになった人達。みんな演技で出せないような、リアルな表情をする。
 経営者は自分で社員にクビ宣告できないから、代わりにクビ宣告する……というのがライアン・ビンガムの仕事。
 クビを宣告された人達は、まず冷静でいられない。動揺し、泣き出したり怒り出したりする人もいる。これをうまく諫めたり、かわしたりする……というのもライアン・ビンガムの重要な業務だ。
 新人社員のナタリーは「効率優先でオンラインで。実際会ってクビ宣告するのと、オンラインでクビ宣告するのと変わらないはず」と語る。……まあ「今時の子」って感じだよね。「シミュレーション」と「現実」の区別ができていない。
 ナタリーはフロチャートを作り、「このフロチャート通り受け答えすればトラブルは起きません」と語る。一見仕事熱心な感じするけども……これも「今時の子」って感じ。
 ここからのお話で、ナタリーは実際の現場を見て回り、頭に思い描いたシミュレーション通りにお話が進まない現実に直面する。クビ宣告を受けた人達は、みんな予想外の反応をする。逆上したり泣き出したり。クビ宣告されて冷静に「はい、わかった」と割り切れる人なんてほぼいない。ナタリーは自分で作ったフロチャートを頭に入れてその通り受け答しようとするが、現実がその通りに行くことはほぼない、ということにも気付かされる。

 この辺りのテーマは、10年経った今でも「現代的だなぁ……」と考えさせられる。今はなにもかもがリモートになった時代。「実際会うのとオンラインと会うのと一緒だよ」と考える人は多い。でも実際リモート業務を始めると思いのほか色んなものが抜け落ちていく。細かなコミュニケーションが取れないし、情報の行き違いが多くなっていく。なにより「一致団結して仕事しよう」という時に足並みが揃わない。クリエイティブな仕事になっていくほど、この「足並みが揃わない」現象が原因で、なかなかいい結果が出せなくなっていく。
(こういう問題は、経営者は「うまく行ってないなぁ」と気付くけれども、末端ほど意識しづらい。仕事のクオリティを俯瞰して見る立場にないからだ)
 シミュレーション上はそうかも知れないけれど、実際やってみるとなかなかそういうわけには行かない。でも若い子は頭の中だけで考えて、その通り現実がすべてうまく行くと思い込んじゃう。「世の中理屈じゃないんだよ」というのはなかなか伝わらない。

 こんなふうに「コスパ重視」で頭良さそうな雰囲気を作っているナタリーだが、空港のシーンでいきなり「ダメな子」が見えてきてしまう。ライアンはナタリーが空港に持ってきた荷物を見てびっくりする。無駄なものだらけ。バッグの中もぜんぜん整理できてない。頭の中だけで「コスパ、コスパ」と考えてるだけで、実際の生活までぜんぜん徹底できてないところを見せてしまう。
 次に空港で列に並ぶシーンになるが、ライアンは色んな列を見て、
「親子連れはそれだけで時間が掛かる」「老人は体中に貴金属だらけで老後の時間を無駄にしている」「見ろ、アジア人だ。彼らは荷物が少なく、効率よく動く」……とアジア人が並ぶ列に並ぶ。
 そんな話を聞いてナタリーは「人種差別よ」と非難する。でも現実はアジア人の後ろに並ぶとすぐに順番が回ってくる。
 こういうところも、「ダイバーシティ」だの「多様性」がどうこうとよく言われつつある現代でも通用する話。ライアンの話は「人種差別的」に聞こえるかも知れないが、一面の事実。効率優先……を考えると、列に並ぶ時は自分たちと同じようなサラリーマンタイプの後ろに並んだ方が、時間を無駄にしないで済む。ライアンはそれを言語化して、賢明に立ち回っただけ。ダイバーシティや多様性とか言い始めると、その判断ができなくなってしまう。

 そんな「効率重視」「コスパ」でうるさいナタリーだが、結局のところ、付き合っていた彼氏とメール1本でフラれてしまう。「クビ宣告はオンラインで充分」と語っていたところに、自分がメール1本で彼氏にフラれてしまう……。なんとも皮肉なお話。
 メール1本で関係を切られてしまうとどんな気持ちになるのか……ナタリーはここでやっと自分のこととして考えられるようになったわけだ。
 人間は自身を構築するアイデンティティを否定されると動揺する。普通の人は独力でそのアイデンティティを見いだすことはできない。「自分は○○に属している」と自分を語る時、自分が属している「社会」のほうを主語にして語ろうとする。他人からしても、「あの社会に属している人ですね」とその人を見ようとする。「人間は中身が大事」とはよく言われるが、その中身についてを語れる人なんてそうそうない(という以前に誰も興味を持たない。「人間、中身が大事」なんて意見は実社会では屁みたいなもの)。人は社会に属して、その社会との関係性で自分を見出す生き物だし、人を見る時にその社会を通して他人を見ようとする。
 日本においてニートが揶揄の対象にされがちなのは、ニートは属している社会を持たないから。そういう人を見ると、「安心」しちゃうんだ。「ああ、自分より下の奴らがいたぞ……自分は仕事を持っているし社会を持っているから、まだあんなじゃないぞ」……と。浅ましいよね。ニートを揶揄しちゃう人の本音はこういうところ。そのニートを揶揄してもいい、多様性がどうこう言われる社会にあって、「多様性の対象外」にされるのは、ニートが社会を持たない、つまり「陽炎」のような存在だと認識されているから。「あいつらにだけは石投げてもいいや」という思いから。やっぱり浅ましいよね。社会を持たないと、大多数の人は陽炎のような存在になる……という恐れが背後にあるからこそ、多くの人はニートを揶揄するわけなんだよね。
(本当に不安を抱えていない人は、誰かを揶揄したり見下したりもしないもの)
 仕事がなんで重要なのかというと、その人のアイデンティティがそこにあるから。その仕事、その仕事で得られる収入が断たれる……これも困るといえば困るのだけど、その仕事を失うと「自分じゃなくなる」という問題を抱えてしまう。
 「仕事や関係している社会がなくなるくらいでアイデンティティが喪失したりするものか?」と思われるかも知れないが、世の中の大半の人はそう。独力で自身を語れます……と言えるのはアーティストとかそういう人種だけ。
 だからいきなりクビ宣告されると、誰だって動揺する。生活が困る……というのは理屈上のお話だけど、本当は自分が自分でなくなるから動揺するし、怒る。こういうのをメール1本とかリモートだけでやられるとブチ切れるのが普通の人間の心情。「クビ切り宣告の仕事はオンラインでできます」……というわけにはいかない。

 主人公ライアン・ビンガムはあらゆる企業を回って、誰かの人生を折りまくる仕事を請け負っていたわけだけど、ナタリーと一緒に仕事をしていくうちに、心境の変化が訪れる。クビ宣告した後の、「誰かさんの人生」なんて知ったことか……。とオープニングではそう語っていたのだけど、「人生を折る」のではなく、「その先に何をするか」を語る仕事をし始める。
 例えばある場面では、「あなたは学生時代フランス料理をやっていた。あなたはフランス料理の夢を諦めて、今の仕事をついた。今ならあの時の夢を追うチャンスだ」……と説得する。それで逆上しかけた社員を気持ちを完全に切り替えさせることに成功する。
 クビ切りの仕事は「誰かの人生を折る仕事」ではなく、むしろ希望を抱かせる……という方法に切り替え始める。
 ライアンはこれまで、「バックパックに入らないようなものは持つ必要はない」と語ってきたが、ナタリーというお荷物を抱えて、そのフォローをして回っていくうちに、荷物を負うことも悪くない……と考えるようになっていく。
 旅先ではセックスで意気投合したアレックスと再び会うのだけど、その関係性が深まっていくうちに、「バックパックでも収まらないもの」を背負ってみようか……と考え始めるようになっていく。

 1時間ほどのところで、上司の意向で、ナタリーが提案した「オンラインでのクビ切り業務」が始まることになる。しかも場所はデトロイト。アメリカ自動車産業の中心地であり、不況の煽りを猛烈に受けた地域だ。現在ではデトロイトの住宅街は、ゴーストタウン化している。自動車産業の中心地でありながら、人々が「クビ切り」に最も怯えている地域だ。
 そんな地域でオンラインでのクビ切り業務を始めるけれども、うまく行くわけがない。相手にとってもストレスだし、自分もストレス。お互いに精神的ダメージを負っただけで終わってしまう。
 さらに上司の意向で出張は取りやめ。全員本社に集まって、オンラインでの「リモートクビ切り」に業務を移行することになった。
 主人公ライアン・ビンガムは本社行きの途中で、いきなり方向転換。本社に戻るくらいなら……と妹の娘夫婦の結婚式に参加することを決める。
 さて、「バックパックに入らないようなものはいらない」と語ってきたライアンにどんな心境の変化が起きるのか……。これが後半のドラマになっていく。

 10年前の映画……と軽く思って見始めたのだけど、クオリティが高い、という以前にテーマが現代でも充分通用しうる内容だった。時代観の差異はあるけれど、現代のほうがより過剰に「コスパ」が重要視されている。『マイレージ・マイライフ』的なテーマは今でも語るべき作品だったし、おそらくはあと10年くらいは通用するんじゃないか……それくらいの芯の強さのある作品だった。
 というのも、ナタリー的なタイプがあの当時より増えたこと。頭の中だけで「合理化・効率重視」を考えて現実感覚が希薄な若者。頭で考えたことが現実でもその通りに動くだろう……そう考えがちな人は確実に増えた。
 仕事とは何のためにやるのか? お金を稼ぐために仕方なく……という理由もあるだろう。でも本当のところ、アイデンティティの確立のためにやる。人間は自身だけで自分が何者かを見出すことができない。だから社会と関係を結ぶ。社会と自分という関係性の中で自分を見出す。クビを切られて逆上するのは、その「社会と自分」という関係性を切られるからだ。今の若者はこれができないから、えんえんに「自分がわからない」という悩みを持つ。自分自身だけで自分を語る……というならアーティストにでもならなくてはならないが、そこまでする気はない……そういう若者ばかりだ。
 あれから10年が過ぎて、社会は上も下もナタリータイプばかりになってしまった。合理性や効率の話ばかり考えて、「飲みニケーションは無駄」と切り捨ててしまった。本当は無駄ではない。仕事というのは「言われたことだけをやればいい」という話ではない(もしそうなら、人間はいらない。AIで充分)。仕事場の中でよりコミュニケーションを深めていくために飲みニケーションはやる。それが後々「社会と自分」という関係性の中で、自己を確立していくことに役立つからだ。
 それが今の世代はみんな頭だけで考えるからわからない。という以前に、その前の世代は飲みニケーションの意味をきちんと定義付けしなかったから、何の意味があるかわからなくなったんだが……(私たちの前世代がバカすぎて……)。

 どんな時代の偶然かわからないが、2019年、とあるウィルスが世界中に蔓延することになる。すると多くの人が失業したし、多くの仕事がリモートに切り替わった。社会そのものが効率化・合理化が過剰に推し進められていくことになる。『マイレージ・マイライフ』で描かれたリモート社会が普遍化してしまった。
 そうした最中で失われていくのは人間関係。
 「仕事なんだから人間関係は必要ない。遊びじゃないんだ」……そういう意見はたくさんある。「プライベートと仕事を切り分けるべきだ」……こういう意見も多い。
 しかし仕事というのは、言われたことをただこなすだけでは高いクオリティを発揮させることはできない。それ以上のものを目指してやらなくてはならない。仕事に必要なのは足並みを揃えること。意識を合わせること。そこを目指してこそクオリティに繋がるし、そうした仕事を通じて人は自分が何者かを知る。なにより、自分が成した仕事が社会に残る……ということは誇らしいものだ。
 コスパを意識して、ただ言われたことだけをやっていたら、そのうちAIに仕事を取られました……なんてことが近い将来あるかもしれないわけだし。

 と、『マイレージ・マイライフ』こういうことを深く語りたくなるタイプの作品。見ていて考えさせられる作品だった。
 あとは、脚本の巧さ。とにかくも無駄がない。お話は色んな要素が複雑に絡んできているけれど、混乱せずスマートにまとまっている。主人公のライアン・ビンガムはとにかくも「何かを背負うのは嫌だ」と考えていたのに、とある新人社員を連れて仕事を回っていくうちに、次第に逆のことを考え始めていく。自分の思想を突き詰めていたら、いつの間にか逆の答えが出てきた……しかもそれが映画的な感動に繋がっていく。この転換が「よくできてるなぁ」と思わせるポイント。ビターな結末もこの作品らしい後味だ。
 さらにそこに物語を持っていくための、俳優達の芝居の良さ。
 例のクビ切り業務だが、新人社員ナタリーの話し方を見ると、ちょっとイライラさせられる。一方のライアン・ビンガムことジョージ・クルーニーは声のトーンを落として、ゆっくり語りかけるように話す。ナタリーは「話し方」の時点で、「これは相手が逆上するのも無理ない」という話し方をしちゃってる。そういう演技を演出上に組み込んでいる。こういうところまで計算しているところは流石。
 『マイレージ・マイライフ』はジェイソン・ライトマン監督まだ4作目。この時点ですでに成熟した手腕を見せている。今でもオススメできる1本だ。


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