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11月29日 AI革命以後社会を考える⑦【終】 まとめ・政治は社会が変わってからやっと追いついてくる

 はい、最後のまとめです。

 途中で書いたように、AI革命の時代が来て、社会構造が変わったとしても、政府は基本的に何もしてくれない。政府が旗振り役になって、率先して動く……なんて期待はしてはいけない。政府は基本的に「何もしたくない」人達が集まる場所なので、そういう人達がなにかしてくれると期待してはいけません。
 もしも日本政府がなにかする……というときは「新しい社会体制を作るので消費増税します」とか言うに決まっている。政府に対し私は心を込めて「何もするな」という言葉を贈りたい。
 政府が動かないなら、それぞれで考えて、判断して、行動する。世の中の大半が変わった……というときになって、やっと政府が動く。政府が動くのは国民の大半が変わった後。そういう時が来るまで、基本的に政府は何もしないものと思っていたほうが良いです。

 さて今回の話。まとめると「産業革命以後社会が終わりますよ」というだけの話。私たちの社会がなぜこうなっているのか、というと工業化社会だから。「このルール、なんか変だな」と思うものも、産業革命後のものとして一定の合理性がある。ただ、そういう前提のものだ……ということをみんな忘れてしまっている。なにもかも工業化社会という前提でルールが作られ、私たちの規範意識が作られている。それがAI革命によって意味をなさない時代が来ましたよ、あるいはすでに来てますよ……という話。
 それは産業革命以降の200年続いた一つの時代の終わりでもある。

 今回の話を書くにあたり、「核家族」について調べたけれども、1920年(大正9年)にはすでに核家族が54%にもなっていた……ということに驚いた。日本での産業革命は明治期に始まり、大正期は文化の移り変わり期と言われている。まず和装の人が洋装に変わったのが大正期。

 宮崎駿監督の『風立ちぬ』の冒頭シーンが大正時代だが、昔ながらの日本的なものと、その後の近代社会的なものが混じり合う……という不思議な光景が描かれている。現代人の目から見ると不思議な光景に見えるが、当時は実際にあんな風景だったらしい。
 日本がどうしてあんなふうに急に変わることができたのか……というと当時は欧米というお手本があったから。

 1853年、ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に姿を現す。日本人はその大きさに驚愕する。当時の日本では最大の船でも50トン。しかし黒船サスケハナ号は2400トン。しかも蒸気船で、大砲を装備していた。海を移動する要塞……みたいなものだった。
 たった4隻の船だけで圧倒的な軍力の差を見せつけられた日本人は、「このままではヤバいぞ」と危機感を覚え、欧米文明を徹底的に調べ、それを採り入れようとした(このエピソードだけでも、「兵器を捨てれば他国は攻撃してこない」……という話が妄言だとわかる。兵器を捨てると、簡単に威圧されただけでも、こちらが譲歩しなくてはならなくなってしまう)。その結果として、日本の文化は猛烈なスピードで変わっていった。当時は「このままではヤバいぞ」という危機意識と、日本人持ち前の機動力の高さが組み合わさって、ものすごい速度で変わることができた。

 中国といえば、今や世界でGDP1位か2位を争う国になったが、私の子供の頃、中国はまだ「後進国」だった。中国は発展途上国で、日本はODA(政府開発援助)を仕送りのように払っていた。
 それがわずか2~30年ほどの間に……だ。
 どうして中国があんな速度で経済発展を成し得たかというと、横にお手本があったからだ。日本を参考にしてもいいし、欧米を参考にしていい。お手本にする国があったから、それをマネすればよかった(中には“盗んだ”ものも結構あるが)。
 しかしいま中国は行き詰まりまで来ている。なぜなら、これから先、お手本にするべき国がないからだ。これからどうしていいかわからない……という時に、中国はかなり深刻な経済クラッシュを起こしてしまう。これを書いている2023年11月末時点でも中国のデッドエンドに向けてのカウントダウンがまだ収まらない状態だ。

 日本も中国も、お手本にすべき国が他にあったから、それをマネすることで経済発展することができた。しかし、これからはどこにもお手本にするべき相手がいない。どのように社会構造を作っていいかわからない……という局面に入っていく。

 これまでのお手本だった西洋も、いま危機に瀕している。欧米社会は今まさに崩壊へと進んでいる。
 といっても、この話には大きな根拠があるわけではない。個人的な感慨で「こうじゃないかな」と思うというだけの話だ。
 最近の欧米の社会事情を見ると、非常に混乱している。「逆フリン効果」といって、90年代頃から欧米のIQはじわじわ下がり始めている……という。実際、欧米の教育の現場は混乱していて、毎日のようにどこかしらで暴力沙汰だ。生徒同士の暴力はもちろん、教師から生徒へ、生徒から教師への暴力も毎日のように起きている。教育の世界にもはやまともな秩序すらない……ところによってはそうなっている。そんな環境下だから、教育レベルは下がり放題。日本人はなんとなく「自分たちより欧米人のほうが頭が良い」と思いがちだが、今は日本人のほうが格段に頭が良いと言える状態になっている。
 そのうえに移民問題がもたらす騒動。2015年、BBCが報道したトルコ海岸に打ち上げられた幼児の死体を切っ掛けに、「人道主義に基づいて、もっと国境を緩めよう!」という声が高まった。それから移民達が数万人単位でやってきて、欧米社会は完全に崩壊した。今やどの国でも「移民を追い出せ!」の声が高まっている。
(西洋で起きている教育の問題も、移民の問題も、テレビはほとんど報道しない……という姿勢を取っている。この辺りで日本の報道がヤバいことがわかってくる)
 しかもそこに戦争だ。戦争で物流の混乱が起きただけではなく、言論の分断も起きてしまっている。
 そうした欧米に関するニュースをぽつぽつとひろい読んで思うのは、欧米の社会から「理性」が喪われている……ということ。もう誰もが「情緒」のみで動いている。「動物化」が進んでいる。例えば最近は欧米で「環境テロ」が流行っているが、実にくだらない。無意味な行動だ。どうして環境テロのような馬鹿げた行動に邁進してしまうのか……というと情動だけを根拠に活動してしまっているからだ。
 欧米の蛮族化がとどまらない。風景は高度に発達した文明都市なのに、そこに繰り広げられているやりとりはもはや蛮族のそれ。欧米人は長らく「文明」というメッキで自分たちの本質を隠していたが、いま丸裸の「蛮族」状態を見ることができる。

 こんな状態でも、社会動物的気質の強い人は、欧米を自分たちより上だと思い込み、欧米に付き従おうとしている。冷静に考えてみよう。本当にそれでいい? 危なくないか? 私には欧米は「大きな泥船」に見える。
 欧米文明はそろそろ「衰退期」に入ったかも知れない。欧米中心社会が終わる時だ。
 頭の良い人はそろそろ欧米を見限って、自分の道を進む……ということをやったほうがいい。

 それで、AI革命以降の社会をどうやって作るのか……というのが今回の話。
 まず第1に成功者には遠慮なくぶら下がろう。
 第2に核家族や血縁というこだわりは捨てて、仲の良いグループで住んでしまおう。
 第3に、AI時代になっても勉強は不要……ではない。教養は絶対必要。その教養が道を切り拓く答えになる。

 といっても、これがベストアンサーというわけではない。それぞれに「いや、AI革命以降はこうすべきじゃないか?」という意見があるだろう。これから「正解のない時代」に入っていくのだから、みんなで試行錯誤する……という状態になる。私の考えが正しいところもあれば、間違っているところもあるだろう。それはやってみないとわからない。
 私は「こうするよ」というつもりで今回の話を書いた。もしも私がそこそこに冨を築けて、そこそこの友人に出会えたら、ここで書いているようなことをしますよ……と。
 ただし、ド貧困引きこもりニートの私が「そこそこの冨」を築ける可能性は極めて低く、友人0人の私が、今から心許せる友人を見いだせる可能性も極めて低く、結婚は……もう無理だろうね。
 「私はこうするけど」……という話は書いたけれども、現実は「できない」というのがなんとも悲しい。一番どうにもならないのが自分の今後だった。

 これから世の中は混乱する……というかすでに混乱は始まっている。
 現代の制度は、全員が平均的な仕事に就けて、全員が平均的な収入が得られる……という社会を前提にしている。かつては普通の人でも誰でも結婚できたし、車と持ち家を所有することができた。教養がなくても、着るものや振る舞いにそこまで気を遣わなくても、結婚ができた。しかしこの前提は、実は1990年代末頃の時点ですでに崩壊していた。
(前回も書いたが、『クレヨンしんちゃん』のとーちゃんこと野原ひろしはエリートでもなんでもない。ごくごく平凡な父親だ。なぜ核家族という価値観が普遍的になったのか……というとそれを手にすることはたいして大変でもなかったからだ。それが90年代を境目に崩壊しちゃった……ということを認識しなくちゃいけない)
 世の中的に前提が崩壊しているのに、どうにかしてそもそもの前提にたどり着けるようにしなくちゃ……と、もがき続ける……というのが1990年から30年の間に起きたこと。こういう話からも「人間の意識はなかなか変われない」ということが見えてくる。
 これからはさらにこの状況は加速する。AI革命によって、働きたくても働く場所がない。富も築けない。友人も恋人も作れない。
 それでも大多数の人が、従来の工業化社会の前提で学校の勉強をして、就職活動をして……ということを続けるんだろう。もう時代が変わった……といっても人間の意識はすぐには変われない。まだ1世代か2世代くらいは、90年代以前の理屈で社会ルールが決められ、行動していく……ということになるのだろう。
 その中で、本当に賢い人が、「AI革命以後」を見据えて戦略を変えていく。そこから少しずつそれをマネする人が増えて、次第に社会は変わっていく……という感じになるのかな。
 といっても、カリスマ的な誰かが、率先して「これをしよう!」と提唱して、それに誰かがついていく……という感じではないだろう。みんなその時々の最適解を探して、それぞれで住み心地のいいやり方を見付ける。そのうちにも、大多数の人が、だいたい似たような結論に達し、似たような生活様式を見付け出していく。そういうものが一塊の社会体制を築くようになったとき、ようやくライフスタイルの変化として認められる。
 というか、「核家族を中心とする社会は産業革命以降」で、その社会が崩壊している……ということに気付ける人はほぼいないでしょう。私がいくらこういう話をしても、このブログの読者は3人くらいなので、まあ広まらない。あと1世代から2世代くらい「いったいどうすれば……」みたいな混乱期があって、ようやく拡散力のある誰かが、ここに書いたような話をし始める……という未来をイメージしている。
 政府がついてくるのはその後。庶民からすると「今さらかよ」というタイミング。政府は所詮、「何もしたくない」人々が集まってできている場所なので、そこは仕方ない。政府には期待しないほうが良い。
 時代は緩やかに変わっていく。イギリスで電気街灯がすでにあるのに、ガス灯を点ける仕事が消えなかったように、変化は緩やかで、後で思い返して「そういえばアレ、なくなったね」と言うようになるんだろう。そんな感じに、いつの間にか変わっていく。
(だからむしろ逆で、今から30年か40年ほど経った後に、2000年代はじめはこんな混乱があったんだ……みたいなことを誰かが振り返る形で語り、「へえ、そうだったんだ」と言ったりするようになるだろう。変化の過渡期という時機は、自分でそういう時機にあるんだ……とはわからんものなのだ)

 そもそもの話、産業革命以降、人間は幸福になれたのか? という問題があった。過酷労働の上に、全員が働かなければまともに社会を維持すらできなかった工業化社会。でも確かに、その以前の時代より良くなった。
 AI革命以降も、「本当にAI革命によって人々は幸福になれたのだろうか」――という問いはあるだろう。おそらくはたくさんの問題を抱えながら、その以前の社会よりも少しマシになった……と答えになるだろう。
 前より少しマシになった……これを積み重ねて、人類は次なる意識革命に向けて邁進し続けるわけだ。

 あー書き終えた!
 やってみるとできるもんだなぁ……。バイトが始まるまでに3ヶ月ぶんの記事を書いておこう……というのが今回の試みだったけれども。頑張ればできるもんだなぁ……。ただし、バイトはまだ続くはずなので、この後、どうなるかはわからないんだけど。
(※ 追記:2024年1月末にバイトは終了しました)

 しかし書いてみたものの、こんな地味な話、誰が面白がって読んでくれるんだろう? 内容も、普段の私のブログ記事に書いてあるものの焼き直しばかりだし。だいたい「AI革命以後の社会観」なんてテーマ、面白いか? そういうのに興味がある……という人は世の中的にどれくらいいるんだろう? 最後まで読み切った……という人は一人でもいるのかどうか……。もっと面白おかしく書く……ということを考えなくちゃいけないな……。

 まあ、とにかく、ここまで無事に書き終えて良かった! 明後日からバイトだ!
 ああ、嫌だ嫌だ。まともに収入があれば、こんな中断時期を挟まなくて済んだのになぁ!

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