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11月26日 AI革命以後社会を考える② 政治に何も期待するな

  いま私たちが直面している「AI革命」は、「農耕革命」「産業革命」の次に来るものだ……と言われているが、しかし「いやカテゴリ的に産業革命の一つだ」という意見もある。
 2016年、スイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムにおいて、「第4次産業革命」という言葉が使用された。
 AI、ロボット工学、ブロックチェーン、ナノテクノロジー、量子コンピューター、3Dプリンター、自動運転……こうした今世代に生まれているテクノロジーを包括して「第4次産業革命」と定義付けされている。
 こういうのは「解釈する人による」というもので、AI革命を産業革命と同じカテゴリ内のものとするか、それとも産業革命以降の新しい変革の時が来た……とするのかは、解釈する人による。

 私は「社会構造そのものが変わる変革」であるから、AI革命は単独の変化だと解釈する。そしてその後どう振る舞うべきか、をここで考えておこう……というのが今回のメインテーマだ。

 まず考えるべきは「日本政府」はどう動くか? AI革命がやってきたとして、日本政府はそういった社会変動に対し、私たちに対し何をしてくるか?

 予言しよう。
 何もしない。

 日本政府は何もしない。AI革命が来て、社会観が変わり、制度を変更すべきだ……というときが来ても何もしない。
 何を根拠に……というと、日本経済は1990年代にバブルが弾けてそれ以降経済的苦境に立たされてきたが、日本政府は30年間なにもしなかった。それどころかこのタイミングで増税をして、逆に国民生活を追い詰めた。いま現在も日本政府は何もしていない。
 なぜそんな理不尽をするのか……というとそれが日本政府だから。

 私は以前、「人口とイノベーション」の関係について語ったことがある。
 人口が増えると、イノベーションを起こすチャンスが高まる。例えば「文字」だ。人類が小規模血縁集団という小さなコミュニティしか持ち得なかった頃は、「文字」を持つ必要がなかった。直接言えばいいからだ。しかし人口が多くなり、メッセージを残す必要が来ると、文字が発明する意味が出てくる。
 こんなふうに人口が増えると自ずと社会観が変化し、その変化に対応して新たな発明が必要な時がやってくる。例えば1769年にジェームズ・ワットが蒸気機関を発明した……ということになっているが、これは正しくない。本当に蒸気機関を最初に発明したのはドニ・パパンで1690年。しかしこの時は蒸気機関は完成させられなかったし、時代背景的に必要がなかった。ジェームズ・ワットの発明が効果を発揮したのは、すでに産業革命時代に入っていたからだ。
 ところがいつもそういうイノベーションが起きるというわけではない。人々の間に保守的な空気が流れ、イノベーションを避けるような価値意識を持ち始めると、切っ掛けはあっても自らそれを潰す……という行動を取り始める。
 例えば日本は江戸時代の頃、銃火器を放棄した。そもそも江戸時代は平和だったために銃火器が必要なかった……ともいえるのだけど、日本の武士精神は「刀」を中心に作っていたために、平和な時代は銃を忌避し、刀を軸とした社会を作っていった。
 もっと最近の流通の世界の話をすると、1956年、マルコム・マクリーンによって「コンテナ」という輸送方法が発明された。コンテナという鉄の箱を積み替えるだけで、トラック、船、列車、飛行機、スムーズに輸送ができるようになるぞ! ……という発明だったが、その以前のやり方でなじんでいる人々にとっては、どうしてそんなものを導入するべきなのか理解できなかった。港湾で働く人々はむしろコンテナに強行に反対した。便利になるかどうかではなく、いま自分の仕事がどうなるかどうかが問題だった。しかし最終的にはコンテナを受け入れ、港湾労働者の多くは失業していった。マルコム・マクリーンが思い描いたとおりの輸送方法が実現したのは、1980年代に入ってやっとだった。
 こういう保守的な空気は、いろんなタイミングで起こりうる。現状というものが「仕方なく」で維持されるものではなく、「こうでなくてはならないんだ」という膠着的な価値意識を持ち始めると、小さな問題の1つ2つあったとしても目をつむろう……という空気が蔓延する。

 日本のエリート層に起きている状態がこれだ。日本はエリート層ほど、現状の社会を「絶対にこうでなくてはならないんだ」という意識を持っている。問題があっても無視する。気がついても、見えてないフリをする。そういう人間が社会の上位を占めるようになってしまった。
 前例重視、慣例重視でマニュアルがなければただの無能になる……。新しいなにかが起きても対応できない……。政治官僚が活発になるときというのは、欧米から圧力を掛けられたときか、活動家がロビー活動を始めたときだけ。それ以外は、ただぼんやりいるだけ……というのが我が国のエリート達だ。
 2019年、コロナウィルスが蔓延したとき、日本政府や官僚達がいかに無能か……がよくわかっただろう。平常時に対しては鉄壁の運営力を発揮するが、非常時には全員が無能になる。それが「義務教育の優等生」が作る社会の弊害だ。
 すでに書いたように、義務教育は工業化社会を前提に、全員が同じ考え、同じ行動をさせるために生まれたものだ。私のようなまわりと同じ行動や考え方を持てない……という人間はいつも「劣等生」だった。
 義務教育の優等生はすでに用意された状況にしか対応できない人々でしかないから、非常時では何もできない。状況の把握すらできない。それどころか、目の前の状況を無視する……ということさえ起きる。それが実際に起きたのがコロナウイルスでの騒動だ。

 世の中を見ると、すでにそういう人間だらけだ。ルールは絶対! ルールを守らない者は全員悪だ! ……そういう人間がそこら中にいる。こういう考え方をする人は、「ルールを守ること」以外の価値観を持ち得ない。残念ながら頭がいいとは言えない人達だ。しかしそういう人を、義務教育の世界では「優等生」にしてしまった。あそこでいびつな人間観を作ってしまっている。

 そういう社会の優等生達が構成する政治官僚達が、社会的変革を前に何かしてくれるか?
 何もしてくれるわけがない。まず起きている社会状況を無視する……ということをするだろう。
 根拠も何も、30年間、日本政府は日本国内で起きている状勢を無視し続けた。経済問題――無視した。少子化、晩婚化問題――無視した。外国人労働者の問題――無視した。政府は資料を集め、分析はしているが、これらの問題に対し、一つとしてまともな対策案を出したことはない。「少子化対策として消費増税だ!」――出てくるとしても、いつもこんな有様である。
 ではその次に来るであろう、AIによる変革に対応してくれるか?
 何もしてくれない。

 AI革命以降は今以上に「働ける者」「働けない者」との間に格差が生まれてくるだろうと考えられる。働けない者が一杯出てくるけれども、しかし工場では平常通りモノは生産できる……という状況になる。産業革命以降は、すべての人間が常にしゃかりき働かなければ社会を維持できない……が問題だったのに、全員が働かなくてもいい状態になるかも知れない。だったら、働かなくてもいいじゃないか。しかし普通の人々にすら冨を持てない状態になるから、誰も市場にモノがあっても買えない。
 すると政府が導入すべきは【ベーシックインカム】だ。すべての人間に、最低限生活できるだけのお金を支給する。
 それはある意味、働けない人の自己実現を認めない……という意味でもあるのだけど。しかし働けない人をいかにして救うか……ということを考えた場合、ベーシックインカムは考えなければならないオプションの一つだ。

 またしても私の作品『ムーンクリエイター ~2050年の漫画学校』のワンシーン。ネーム原稿なので、完成原稿じゃないやつです。
 2050年、誰もがAIを使うのが当たり前となった。AIを使うことによって、仕事がとことん効率化していった。すると社会にいる全員が働かなくてもいいような状態になる。次に起きるのは、少ない座席となってしまった「職場」を巡る争い。その争いからほとんどの人が脱落していく。するとどうなるか……。
 それが、この場面。ベーシックインカムが導入されなかった2050年はきっとこうなるだろう……という想定の下に描いた場面。働けず、家もない人々が公園に集まってテントを作る。おそらく政府は、AI革命以降も何もしないだろう。脱落した人がたくさんいる……という状況を前にしても何もしないだろう。きっとこんなふうに、大量の失業者を生み出しても、何もしない。
 では、まだ生存している商店は誰に消費してもらって維持できているのか……というと中国人(別のシーンで、商店街の看板がほとんど中国語だらけ、中国人旅行者が買い物にやってきているシーンを描いている。これを描いているときは、マスコミが脳天気に「中国人の爆買い」を称賛している頃だった)。中国人の消費者頼りで日本の経済がどうにか維持できている……という、あり得るかも知れない未来の日本を描いた。

 現実もこうならないようにしなくちゃいけないが……。
 日本のエリート達の行動や発言を見ると、多分こうなる。
 社会の変革が起きても、日本政府は助けてくれない。平気で見捨てる。その前提で行動するようにしなくてはならない。

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