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11月23日 日本はそれでもヨーロッパに着いていくべきか?

 昨日の続き。もともとは一つにまとめる予定だったけど、思いのほか長くなってしまったので分割することにした。

前回

 昨日は「ヨーロッパ文明の“終わりの始まり”が始まったのではないか」という話を書いた。といっても、数年以内にヨーロッパ文明がいきなりバタンッと倒れるとは思っていない。50年から100年という時間をかけてフェードアウトしていく……という状態をイメージしている。
 というのもヨーロッパにはこの500年ほどで築き上げた「貯金」というものがある。つまりインフラのことだ。インフラがしっかり構築されているから、それがいきなり消失する……というわけではない。
 例えば日本も30年衰退し続けて「衰退途上国」と呼ばれている。「マック指数」というものがあるが、それを見ると日本の物価はすでにベトナム以下(なのにベトナムから労働者を引き入れているという謎)。でも日本はまあまあ住んでいて生活に困らない。それはインフラがしっかり構築している……という「貯金」があるから。インフラがきちんと機能していたら、衰退し続けてもそこそこいい生活ができる。
(イタリアには地下に古代ローマ帝国時代の下水施設が残っていて、これが非常に優秀なものなので今でも使われている。そういう大昔にきちんと作ったインフラがあったら、後の人々も恩恵にあずかることができる。これが「貯金」)
 ヨーロッパもこれから衰退期に入っていくと思われるが、しかし実感としてはそこそこいい暮らしができて、あまり衰退を自覚できない感じになっていくだろう。
 しかしはっきりと衰退していく。現状を見ると治安は悪化、教育環境は崩壊、それまで築き上げた文化遺産を自ら破壊するという狂気をやり始めている。もともとの「蛮族の国」としての側面がじわじわ現れ始めている。

 そんな崩壊していくヨーロッパに、ついていこうとしている国がある。我が国、日本である。
 日本は基本的に、欧米が言うことには逆らえない……ということになっている。普段は慣例重視・前例重視で「何もしないこと」を是とする官僚たちだが、アメリカに命令されたときはホイホイと対応する。アメリカが「ヨーロッパで売れなくなった作物を輸入しろ」といったら規制を緩和してでも受け入れてしまう。アメリカが「こっちの商売を日本でもやりやすくしろ」といったら規制を変えてでも受け入れてしまう。しかもその時に、メディア対策もバッチリやるので、世論的に「制度変更やむなし!」「今すぐに規制緩和するべきだ!」という空気を作るところまでやってくれる。
(だいたい新聞・テレビなどのマスコミが、何かを悪玉にして「規制変更やむなし!」という言論を取り始めたら、後ろにアメリカがいるんだな……と思ってよい)

 電動キックボード……この問題について知っている人は多かろうと思うけど、一応この話題に触れておこう。
 電動キックボードは2023年7月1日、道路交通法が改正され、16歳以上であれば運転免許なしで乗れるようになった。それで街中でも当たり前のように見かけるようになった。テレビでは電動キックボードといえばポジティヴなイメージで取り上げられがちだけど……。
 実は電動キックボード、ヨーロッパでは事故多発のために大問題になっている。パリではすでに禁止。他の国でも「安全面」を理由に忌避されるようになっている。
 パリで禁止になった……というのが2018年のことで、2023年に日本で法改正して導入されてきた……。つまり、他に国で売れなくなった商品を日本で売ってやろう……と。一部企業の利益のために、わざわざ日本は法改正までして受け入れたわけだ。
 といっても、当事者達は絶対にそういう経緯を言わない。そういうものだと知られたくないからだ。というか、2018年の時点で「これ、危ないわ」と言われているものをわざわざ導入する日本……というのはかなりどうかしている。しかもそれを新聞やテレビでは触れない……ということに闇を感じさせる。

 こんなふうに、欧米が「受け入れろ」と言ってきたら、日本はほぼ逆らうことができない。逆らうところがむしろ積極的に採り入れようとする。
 なぜそうするのか。日本はいまだにアメリカの植民地だからか……。まあそういう過去をいまだ引きずっている部分はあるんだろうけど、私が思うに「社会動物」だから。

 社会動物とは何か?
 このブログではすでに何度も取り上げているけど、また説明しよう。
 人間は常に周囲を見て、自分がどう振る舞うべきか、どういう立場であるべきか……そういう社会の中での自分の在り方を気にする生き物である。なぜそう振る舞うのか……というとこれもカタストロフを防ぐためであった。
 人類が狩猟採取の暮らしをしていた頃、自分の身の回りでどんな異常があるか、常に気にしていなければならなかった。天候の異常はないか、森の獣に変わった兆候はないか……。これを一つでも見逃すと、集落の全員が死ぬ。そういう危機意識があるから、狩猟採取時代は常に情報収集・情報交換に気を張っていた。
 人類はその後、1万年かけて高度な情報化社会を築き上げた。それで狩猟採取民時代の感覚から脱却できたのか……というとむしろその逆で、人類は「情報の奴隷」というような状態に陥ってしまった。むしろ人類は、人類史上どんな時代でも例を見ないくらいに、まわりがどんな情報を交わしているか、何が流行っているのか、どんな考え方が優位なのか……常にそれを気にして、振り回され続けるようになった。
 そういった情報に対する関心が「本当の危機」に向かえば問題ないのだが、現代人のほとんどは「特に意味のない情報」に引っかき回されて続けている。どうしてそうなってしまうのか……というと人類は社会動物だから。

 私たちが欧米に対して一つ勘違いしていることは、「欧米の人々は個が確立していて、世の中の意見とか気にしない」……というもの。これは大嘘。欧米の人達もしっかり「社会動物」。むしろ日本人以上の社会動物で、欧米の人達もネットの情報を常に気にして、そこで何が流行しているのか気になって仕方ない。そのうえで、自分がネット情報の中でどの派閥にいるのか、主張したくて仕方がない。そういう本能的な衝動に振り回され続けている。
 お忘れかもしれないが、欧米人の本質は「蛮族」だ。極東日本人よりもはるかに強烈な蛮族的気質をこういう時にこそ発揮する。いま欧米人の社会動物っぷりは相当に「ヤバい状態」になっている。

 こういう社会動物的気質で行動してしまうのは、理性が弱く、「情緒」のみで行動してしまうからだ。
 例えば欧米で問題になっている「環境テロ」。冷静に考えるまでもなく、環境テロは意味がない。たった数人が道路に座り込んで、数台のトラックの運行を妨害することに何の意味があるのさ。文化遺産を落書きすることになんの意味があるのさ。
 まったくの無意味。ただ気分的に満足する……というだけの話。
 どうしてあんな馬鹿げた行動を取るのか……というと理性がなく、情緒のみで行動してしまっているから。見る方も、情緒のみで反応して「いいね」を押すか押さないかしか反応しない。やっている方も、そういう「いいね」をもらえるかどうか……だけを価値基準に行動してしまっている。
 やるのもアホだし、見るのもアホ。もはや全員が情緒のみで行動してしまっているから、ああいう馬鹿げた行動をやってしまう。実に蛮族らしい行動だ。

 こういう情緒のみを行動の原動力にしがちな人は、なにかしらの「信者」にもなりやすい。
 誰かの信者になると、盲目的にその人の言うことが正しいと信じ始める。明らかに間違ったことを言っていても、「正しいはずだ」と“解釈”し始める。理性の弱い人ほど、「信者になる」という「罠」に陥りやすい。しかもそういう人達、というのが実は世の中的に多数派……というのが真実だ。
 で、こういう信者になりがちな人が、難しいことを考えることができないので、情緒だけで意味のない「環境活動家」になりやすい。
(例えば「インボイス」にまつわる議論が起きていた最中、ホリエモンが「反対している奴は税金を着服してる」と発言したら、いろんなニュースサイトのコメント欄に「着服だ」というコメントがポロポロと出てくるようになった。あれは強者に偽装している状態。信者になるのは、思考力の弱い人が社会で生存していくための手段だ)

 こういう社会動物的気質は、教養の高いインテリ層になれば解放されるのか……とそんなことはない。私たちよりはるかに社会的地位の高い人達も、しっかり社会動物的に行動している。私たちとは少し違ったベクトルで、セレブ層・インテリ層は社会動物的気質を発揮する。
 セレブ層・インテリ層が引っ掛かりやすいポイントはどこか、というと「欧米の動向が今どうなっているか」だ。欧米が「SDGsだ!」と言えば、インテリ層も「SDGsだ!」とか言うし、欧米が「LGBTだ!」と言ったら、インテリ層も「LGBTだ!」と言うし、欧米が「移民を受け入れるべきだ!」と言ったら、インテリ層も「移民を受け入れよう!」とか言い始める。それでメガソーラーなんか作っちゃう。
 木霊でしょうか?
 いや、そうじゃなく、セレブ層・インテリ層は欧米の社会が自分たちの上にあると思い込んでいて、そういった社会に褒めてもらいたくて、こういう行動を取る。「親に気に入られたい子供」……みたいな状態だ。
 セレブ層・インテリ層も社会動物的気質から抜けられないから、欧米が何かしら始めた……という情報をキャッチすると、欧米から何か言ってくる前に行動を始めて、日本の社会にそれを広めようとする。セレブ層・インテリ層は私たち一般階層より地位が上だと思い込んでいるから、そういう行動を取ることで「上にいる立場」としてアピールできる。セレブ層・インテリ層がなんだかみんな活動家みたいな発言や行動を取りがちなのは、社会動物的気質から永久に抜け出られないからだ。

 ちょっと小さなお話しをすると、こういう社会動物的気質が強い女の子は、日本の男性を恋愛相手にしたがらない。わざわざ欧米へ行って、欧米の男性を相手に恋愛する。もはやヨーロッパの人であれば、フランス人でもイタリア人でもドイツ人でもいい……という感じだ。
 なぜそうするのかと言うと、女の子グループの中で笑われたくないからだ。見た目も、欧米のブランド品で固めてないとダメ。ユニクロみたいな安っぽい服を一つでも着ていたら、仲間たちに笑われる……かも。とか思っている。そこで連れている男性が誰か……も気にする。全部自分の見た目で選択している。
 男性に較べて、女性は社会動物的気質が薄い……と一般通念的に言われがちだが、ぜんぜんそんなことはない。自分がグループのなかでどんな身分・立場でいるのか、気にする人はとことん気にする。そしてそのなかで「自分こそが一番」という立場に立ちたいという欲求に捕らわれ続ける。

 セレブ層・インテリ層の人達に言いたい。私たちよりはるかに知能が高いのなら、冷静な目で欧米社会が今どうなっているのか見てほしい。あの混乱っぷり! 冷静に見たら、「あ、ヤバいかも」とは思わないか。もしかしたら欧米は衰退期に入ったかも……くらいに考えてもいいはずだ。今こそ「引き際」だ。
 いつまでも社会動物的気質に捕らわれていないで、こういうときにその知性の高さを活かして、賢く振る舞ってほしいものだ。

 いや、「逆張り」でこう言っているのではなく、世の中を俯瞰して見て、「ヤバいよ」と言っているだけだよ。

 Wikipediaを見ると「ヨーロッパ中心主義」というページがあった(色んなものがあるよね)。
 ヨーロッパ中心主義的思考というのは、つまり次のようなものだ。
・哲学の始まりはギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。
・欧米文明を西洋として、それ以外の文明を東洋とひとまとめにする。
・欧米の技術、科学が全時代にわたって他文明に対し優位であると見なす。
・欧米文明は合理的であるとし、それ以外の文明は非合理的であるとする。
 ですって。
 欧米の人達っていつも言うよね。「自分たちは進んでいる。他の国(日本)は遅れている。自分たちのように文明開化するべきだ」って。
 いや、君たち西暦1500年頃までずっと後進国だったやん。それまでずっと蛮族的な暮らしやってきたやん。地理的な幸運があったから、たまたま世界の先進国になれただけやん。
 どうして欧米の人達がこうも「自分が全て!」という独善的な考え方でいるのか……。これもある種、蛮族的思想だとも言える。

 実はこういう気質、中国人にも多分にある。あ、ここでいう中国人というのは中国北部に住んでいた漢民族のことね。背が高く、色白で、目がつり上がっていて小さい。私たちが「中国人」というと、だいたいイメージするのがこういう人達。中国南部民とは遺伝子的特性が違うので、同じ中国人だけど、違う人種となっている(遺伝子的にも文化的にも違うのに、どれも中国人……というのはちょっと違和感が……)。
 紀元前1000年頃、周王朝時代の文献に次のように書かれている。
「中国中央部の州、チベット・ビルマ系ロン族(レプチャ族)の地域、中国西南部のイ族の地域、そして彼らを取り巻く蛮族の地域といった、5つの地域の住人には、変えようのない、共通の性質が見られる。イ族と呼ばれる東方の蛮族は、髪を結わず、入れ墨をしている。火を通していないものを食べるものさえいる」
 話はこの後も続き、中国の周辺の人々がいかに劣っているか、いかに野蛮であるか……を書きしるしている。中国人が世界でもっとも先進的な知性と理性を持ち得た人種であって、それ以外の人達は劣っている……と考えていた。
 うーん、中国人と西洋人の気質は似ている。あ、だからずっと戦争をし続けているのか。

 日本はずっと考えなしに欧米の言うことに付き従ってきた。アメリカの植民地だったから、いまだにアメリカに逆らえず、アメリカが「うちの商品を買え」といったら制度を変えてでも受け入れる……ということをやってきた(時に文化を変えてまで受け入れてきた)。ヨーロッパ白人に対してもコンプレックスを感じていて、ヨーロッパ白人がなにか言ってきたら、みんな従ってきた。欧米が何も言わなくても、その地域で流行っているものはなんでも無批判に採り入れてきた。
「日本は遅れている! 欧米では今こうなっている!」……とか言って。
 その結果、日本はガタガタになった。文化も経済もガタガタ。
 例えば「新自由主義」――ネオリベラリズムだ。ミリトン・フリードマンとフリードリヒ・ハイエクによって編み出されたこの思想は、確かに一世を風靡した。1970年代頃は「最新の経済学理論」としてもてはやされ、日本でも2000年代初頭、時の総理・小泉純一郎によって採り入れられた。今でも大学へ行って経済学を学ぼうとすると、入り口も出口も新自由主義だ。
 しかし新自由主義を採り入れた国は例外なく衰退した。ただ衰退しただけではなく、治安もインフラも悪化。日本も例外なく、だ。新自由主義の成功例というものは世界的に見ても一つとして存在しない。明らかに新自由主義は失敗だった。それでも新自由主義の信奉者達は、「もっと、もっと推し進めるのだ!」と言い続けている。なぜなら欧米でもまだ新自由主義が一番権威があるからだ。もはやカルト宗教のようなものだ。
 最近のヨーロッパはどうだ? LGBT! SDGs! 移民受け入れ! ……全部失敗しているじゃないか。むしろ崩壊の切っ掛けを作ったじゃないか。あからさまな現状があるのに、それでも「日本より進んでいる欧米の文化を…」とか言っているエリートたちはアホなのか。「日本より“衰退が”進んでいる」ならわかるけども。
 明治の頃は欧米の物真似していれば良かったかもしれない。あの頃は産業革命時代に入っていた欧米は確かに先進国だった。でも今の欧米は落ち目だ。すでに世界の先進国ではなく、衰退国だ。確かに衰退しているとはいえ、貯金(インフラのこと)がたっぷりあるから今も私たちより上にいるけれども、あちらはすでに衰退フェーズに入った。衰退フェーズに入っている国の物真似をし続けるのはどうだろうか。というか、日本が絶賛衰退中なのは、それが原因ではないか。
(もしかしたら社会動物的気質で動いている人達は、欧米が衰退フェーズに入っていることに気付いてないのかも知れない。「衰退してるよ!」と大きな声で言うべきだろうか?)
 衰退に目をつむって、これからも欧米を私たちより上だとみなして、社会動物的に物真似をし続けるのか。それとも今こそ「独立」すべきなのか。潮目というものを見て、自分の行動を情緒ではなく、自律的に考えて判断する……という時が来ている。それを見誤るのはかなり危ない。

 もしかしたらマニュアルがないから、今のインテリ層やセレブ層は欧米という手本がないとどう行動していいかわからないかも知れないが。マニュアルがなくとも、自分の頭で考えて行動する知性が育ってない……というのは困ったものだ。


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