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映画感想 インシディアス 序章

 『インシディアス』――ホラー界隈ではかなり知られたシリーズだったのだけど、私はつい最近その存在を知って、今になって視聴。まずは『序章』から……と見始めたのだが、いきなり勘違い。この『序章』はシリーズ3作目。第1作目、2作目まで制作され、その後、「第1作目の前日譚」として作られたのが本作。冒頭に「ランバート事件の数年前……」と出てきて、その次に出てきたタイトルが『Insidious: Chapter 3』だったから、「あれ? 間違えた?」とか思ってしまった。でも、お話しの順序としては『序章』から観るのは間違いではない。
 本作の基本データを見ていこう。『インシディアス 序章』は2015年公開映画。制作費1千万ドルに対して、世界収入1億1200万ドル。公開初週のみで2269万ドルを稼ぎ出し、ランキング初登場第3位。ただし、前作の興行収入から大きく落ちる。
 映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは批評家支持率58%、平均点5.5。やや低め。
 製作はみんな大好きブラムハウス・プロダクションで、信頼のジェームズ・ワンプロデュース。監督のリー・ワネルは脚本家として『ソウ』シリーズを執筆。本作で初の監督デビューとなる。2020年公開映画『透明人間』もリー・ワネル監督作品。

 それでは前半のストーリーを見ていこう。


 主人公クイン・ブレナーはとあるお婆ちゃんの家を訪ねていた。お婆ちゃんは霊能者で、どうしてもその手を借りたいことがあった。
 お婆ちゃんはエリーズ・レイニアという名の霊能者で、かなり腕利きだという。しかし霊能者としてはすでに引退していた。エリーズははじめは断ろうとしていたが、遠方からやってきたクインに「せっかく来たのだから……」と家の中へ招き入れる。
 クインは1年ほど前、母を亡くしていた。乳がんで乳房を切除したが、しかしすでにガンは肺に転移していて間もなく死亡した。お喋りと古い音楽が好きな人だった。その母の死後、クインはずっと何かの気配を側に感じていた。きっと母に違いない。その声を聞きたい……。
 エリーズはそんな話に同情して、久しぶりの霊視をやってみるのだった。しかし――なにか奇妙な気配がザワザワとさざめくのを感じた。これは、母親の霊ではない……。
 エリーズは霊視を中断して、クインに「母に呼びかけてはならないわ。死者に呼びかけると、他の死者も呼び込んでしまうから」と忠告するのだった。

 帰宅したクインはそろそろ寝ようとする間際、何かの気配を感じる。
 きっと母だ。
「そこにいるの、ママ?」
 呼びかけてみると、通風口から不気味な風鳴りが返ってくるのだった……。

 翌朝、慌ただしい朝の支度を終えて、クインはとある劇場の中へと入っていく。クインは間もなく高校卒業で、卒業後は演劇学校へ行くつもりだった。今日はそのオーディションだ。
 舞台袖で他の生徒達とともに、自分の出番を待つ。クインはその間、持ってきている詩集を読み込むのだった。しかし不安を感じて、「ママ、力を貸して」と呼びかける。
 ふと気配を感じて視線を上げると、窓の外になにか不気味な影が映っていて、自分に向かって手を振るのだった。
 間もなくクインは舞台上に呼び出されて、詩の朗読を始めるが、ボロボロ。成果を出せないまま、オーディションを終えるのだった。
 手応えのなかったオーディションで落ち込んでしまうクインは、友人を相手に愚痴を言う。うまくいかなかったのは、練習の時間を与えなかった父のせいだ、自分の将来を軽んじる父が憎い……とひとしきり愚痴る。
 それから友人と一緒に道路に出ると……またあの人影だ。不気味な影が、自分に向かって手を振っている。なんだろう? 目をこらしてじっと見ようとすると――突如、車が突っ込んできた。クインは車に弾き飛ばされて、気を失ってしまう。
 クインは病院へ送り込まれて治療を受ける。しかしクインは心肺停止状態になり、その魂は闇へと落ちていく……。闇の中でクインは不気味な何かと遭遇するのだった。
 次に目を覚ますと、クインは病室だった。下半身を複雑骨折し、両脚をギプスで固定されていたのだった。


 ここまでで20分。

 ストーリーを詳しく見ていこう。
 まずはじめに、主人公クインは霊能者エリーズのもとを尋ねる。このシーンのクイン、なんか顔がむくんで見えるんだけど……気のせいかな? 霊能者の家を訪ねると、そこで飼われている犬がバウバウ吠えている。後にわかることだが、この犬は悪霊を探知したときのみ吠える。すでにクインには悪霊が憑いていることを予告している。
 エリーズは霊媒師の仕事を引退していたのだが、クインの話を聞いて同情し、ひさしぶりの霊視をやってみることにする。しかしクインの側にいたのは母の霊ではなく、悪霊だった。そういうわけでエリーズは「もう母の霊に呼びかけちゃダメよ」と忠告する。呼びかけると別の幽霊を呼び寄せてしまうから……と。
 しかしクインはその忠告を破って、気配に対して「そこにいるの? ママ?」と呼びかけてしまう。この行動によってクインは完全に取り憑かれてしまう。

 朝が来て、父親は慌ただしくエリーズに対して、「アレックス(弟)を起こしてこい」と命じる。その弟はまだぐだーと眠っているのだが……。ここでちょっと不思議なやり取りがある。
クイン「臭い部屋。起きて。じゃあパパに言いつけるわよ」
アレックス「なんだよ出て行けよ!」
 部屋が臭くて、父に言いつけると言った途端、アレックスが飛び起きる。部屋が臭くて、父に言いつけられると困ること……思春期の少年にありがちな「アレ」だ。“生理的な現象”というやつなので、これ以上掘り下げないとしよう。
 目が覚めたアレックスは、この後パソコンである動画を見ている。これが「幽霊退治」のまつわる動画で、後の伏線になっている。

 舞台となっているのはアパート。幽霊ものホラーというのはたいてい家の中。幽霊は家に憑くものだ。そういうわけで幽霊ものホラーは家にこだわる。その中でもアパートというのはちょっと珍しい。舞台がアパート……という理由は後ほど掘り下げるとして。
 特徴的なのは廊下。柱と梁の形に特徴があって、それがパターンとなって繰り返されている。これが小洒落た雰囲気があるし、後の幽霊が出るようになってからの洋館ホラーっぽい雰囲気にもなっている。日本のホラーが和建築のイメージと結びついているように、西洋の幽霊も近代建築よりも、ちょっと古びた建築のほうが姿を現しやすいのだ。
 アパートの住人として、認知症のお婆ちゃんが出てくる。認知症でよくわからないことを話しているが……実はお婆ちゃんには幽霊が見えていて、クインに忠告を送っているのだ、ということが後々わかってくる。

 舞台オーディションへ行くクインのもとに、ちらちらと悪霊が現れるようになってくる。なぜ悪霊が出現するようになったのか……というと忠告を無視して呼びかけてしまったから。「忠告の無視」というのは、昔から童話の中で「事件が始まる切っ掛け」を作るパターンとなっているもので、現代のエンタメでもよく出てくるモチーフだ。
 クインは霊能者の忠告の重大さをよく理解できず、母親の幽霊だと思い込んで、悪霊を呼び込んでしまう……。これが事件の始まり。オーディション会場でも「ママいるの?」と尋ねると、悪霊が姿を現す流れになっている。
 その結果として、クインは車にはねられてしまう。
 クインは病院へ運ばれて、一時的に心肺停止状態に。ここで臨死体験をして、悪霊と接っしてしまう。今までは「悪霊を呼び込んじゃった」という状態だったが、この体験でクインははっきりと取り憑かれてしまう。

 ここまでが前半20分のストーリー。
 ここから50分まで、クインの周囲に悪霊が出没する展開が描かれる。ホラー映画的なホットスポットがこの20分から50分までの間だ。この30分が本作で一番面白いところ。
 「ホラー描写」というのは基本的に「物語進行」とあまり関係がない。アクション映画のアクションシーンが物語の進行とあまり関係ないのと同じだ。ただし、その関係ない部分こそが作り手にとっての一番の見せ所。ホラー成分が一番濃いところなので、ここでしっかり楽しもう。

 では次に悪霊の正体について探っていこう。ここからはネタバレになるが、本編中でもあまり深掘りされていない部分なので、読んでも映画の面白さはさほど変わらないだろう。
 悪霊の正体は何者なのか……というとクイン一家が住んでいる部屋の、ひとつ上の階で死んだ人である。悪霊の姿を見るに、呼吸器を着けた状態のまま死亡し、もしかしたら死亡時孤独だったため発見が遅れて、死体が腐敗しはじめてやっと発見された……その時の姿が悪霊になって現れているのかも知れない。
 それでその病人がいた部屋は「事故物件」となり、その後も入居する人はいたが長続きしないか、事故が続いたために、現在は空き部屋となってしまっている。
 事故物件であった証拠はクインの父親がその部屋を訪ねた時、部屋の窓から飛び降りていた死体を発見したから。これは幻覚で、過去に飛び降りた人の姿を見ている状態だ。その部屋に居を定めた誰かが飛び降りてしまったのだ。
 アパートの一つ上の階に事故物件があった。しかしクインは一つ上の階に住み着いている悪霊を知らず、夜中に現れる気配を母の霊だと思い込んで呼び込んでしまった。このシチュエーションを作るために、アパートという舞台が採用されている(一軒家だったら「上のフロア」というものがないわけだから)。
 病気だったが看病する人もおらず、孤独状態で部屋の中で衰弱死した。死体を引き取る人もいなかったかもしれない。きちんと祀られなかった魂は地上に留まりやすい。しかもそこで死んだ人は、病気状態でベッドから動けず、ひたすらに孤独で社会と関わることもできなかった。世の中に対する猛烈な「悔い」を残し、それが死の間際に恨みとなって、その想いを抱えて死んでしまった。さらにその魂は、その後もきちんと祓われなかったために「悪霊化」してしまった。
 それで悪霊は誰かに取り憑いて、特に女の子に取り憑いて、部屋に引き込み、手足を切り落として身動きできないようにした。自分の意のままにするために……あるいは自分と同じ境遇にするために。ただし実際に手足や目や口を切り落とすのではなく、その人に「手足の自由が利かないと思わせる」ように洗脳をしたのだろう。クインの場合、事故らせて脚を不自由にさせたが、現実的にはそういう感じだったのだろう。
 悪霊の正体は、こんなところだろう。

 本作には、呼吸器を着けた悪霊の他に、もう一人黒いヴェールを被った女の悪霊も登場する。この女の悪霊は何者かというと、クインではなく、霊能者エリーズに取り憑いている悪霊。別件で悪魔祓いをしたときに、祓いきれずその後も取り憑いてきた悪霊だ。エリーズはこれを切っ掛けに、霊媒師の仕事を引退した。
 エリーズがこの悪霊と向き合うことが、本作のサイドストーリーになっている。エリーズは最終的に女の悪霊を祓えることができたから、霊能者の仕事を再開した……というエンディングに繋がっている。
(この女の悪霊は後のシリーズで深掘りされる)

 クインが悪霊に取り憑かれて、50分ほどが過ぎて、お父さんが霊媒師エリーズのもとを尋ねる。ここがお話のターニングポイント。霊媒師エリーズがアパートへやって来て、後半戦の物語が始まる切っ掛けとなっている。

 問題なのはここからの展開。
 まず登場人物が整理されていない。クイン一家の隣人としてヘクターが登場するのだが、ちょっと意味ありげなキャラクターという感じの登場だが、その後、登場したのは1シーンのみ。
 クインの弟、アレックスは物語にほとんど関わることはなく、後半に入って、「除霊の専門化スペックス&タッカー」を紹介しただけ。存在感が薄い。映画前半シーンでアレックスが見ていた動画が、「スペックス&タッカー」のものだった。
 そのスペックス&タッカーは「除霊の専門化」として出てくるのだが、まったく役に立たず。
(スペックス役は監督リー・ワネル。リー・ワネルは俳優でもある)
 霊能者エリーズはアパートへ来て、悪霊と遭遇し「手に負えない」と逃げ出すのだが、その後、友人と会うシーンがある。いきなりやってきて「お前ならやれる」と励まして去って行くが……いや、「誰だお前」……という感じだ。クインとは別に、エリーズにも物語があるのだが、そちらの物語をきちんと掘り下げずに、その「シーン」だけがある状態だから「今のなんだ?」となってしまう。普通に見ていたら、エリーズのサイドストーリーの存在を気付かず見てしまう。女の悪霊がエリーズに絡んだ物語だった……ということに気付いた人は少なかったのではないだろうか。
 と、こんな感じに、「誰だお前」というキャラクターが現れては消えて……という感じなので、どことなくチグハグとした感じが出てしまっている。

ホラー描写も実はここからあまり面白くなくなっていく。というのも、恐怖描写というのは「意味がわからない」から面白い。あり得ない状況で、あり得ない場所からぬっと出現してくるから「怖い」と感じられる。なんだかわからないもの、理解できないものに人は恐怖を感じたり、時に崇めたりもする。
 しかし映画の後半から幽霊はわかるところからしか出てこない。というのも、これ以降は幽霊の正体を「解明」していく物語へと進行していく。こちらから進んで解明に向かって行くと、幽霊は思いのほか怖くないものだ。
 映画の20分から50分の間が一番面白いスポットである理由は、クインの目線からは幽霊が何者かわからず、あり得ないところからぬっと姿を現し、自分を貶めようとするからだ。理解不能だから怖い。
 しかし、後半は理解可能だから怖くない。霊能者の視点になっていき、幽霊が打倒可能な対象だとわかってきてしまうと、怖くなくなってしまう。人は戦って勝てる相手なら、怖いとは思わないものなのだ。相手が恐ろしい姿をしたクリーチャーであっても。
 それに「幽霊の正体はなんなのか」という解明に向かって行く物語になっていく。幽霊は「なんだかわからないもの」であるうちは怖い。しかし「なんだかわかるもの」になっていくと怖くなくなっていく。映画の後半は悪霊が何者かわかっていくから、怖くなくなっていく。詳しくはわからなくても、どういう姿をした幽霊なのかわかった途端、怖さは薄らいでいってしまう。
 悪霊の正体は何者なのか……映画の物語としてそういうお話しに向かっていかねばならないし、最終的には悪霊は祓われなくては気持ちはスッキリしない。しかしそういう展開へ向かえば向かうほど、ホラーとしては面白くなくなる。悪霊から一方的に攻撃され続けているほうが、ホラーとしては楽しいのだ。ただし、そんな状態がえんえん続いて終わるだけのお話しだったら、映画として面白くなくなる。ホラー映画はこういう終わりなき葛藤と戦わねばならないのだ。

 というわけで、「シリーズ第1作目」だと勘違いして見始めた『インシディアス 序章』。もしかして後のシリーズに出てくるキャラクターなのかな……というのはあったのだけど、何もわからず。
 まあシリーズを順番に見ていけばわかるようになっていくでしょう。シリーズの入り口としては、なかなか悪くないホラーだった。


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