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映画感想 最後の決闘裁判

 真実の行方は?

 『最後の決闘裁判』は2021年に公開されたイギリスとアメリカ合作による歴史映画だ。ただし、作品の舞台や撮影はフランス……。まあこれも映画にありがちなこと。ちなみに全編英語作品だ。
 監督は偉大なる巨匠リドリー・スコット。やっぱり歴史映画はリドリー・スコットが一番上手い。音楽はハリー・グレッグソン=ウィリアムズ。日本では『メタルギア』シリーズでお馴染みの音楽家で、リドリー・スコットとは2005年の『キングダム・オブ・ヘブン』でコンビを組み、以降『プロメテウス』『オデッセイ』『ハウス・オブ・グッチ』で楽曲を提供している。脚本はニコール・ホロフセナーとベン・アフレック&マット・ディモン。ベン・アフレックとマット・ディモンは有名な映画スターだが脚本家としての側面を持ち、『グッド・ウィル・ハンティング』をはじめとしてコンビとして脚本を発表している。
 企画の始まりは2011年にプロデューサーからマット・ディモンに連絡が行き、そこで企画製作と脚本制作が始まった。リドリー・スコットが参加したのは2019年に入ってから。本作が3部構造になったのはリドリー・スコットの案だったようだ。
 物語は1386年にフランスで実際に催された「決闘裁判」を元にしている。「決闘裁判」とは法廷で決着が付かなかった問題を、原告と被告による決闘で決着を付けることである。神は常に正しい方に勝利を与えるはずだから、正しい主張をしているほうが勝つはずだ……という理屈だったそうだ。しかしフランスでは1258年にルイ9世による勅令で禁止されている。「神は正しいほうに勝利を与える」……という理屈は13世頃にはすでに「理性的・合理的ではない」と考えられていたようだ。本作で描かれている14世紀頃には決闘裁判はほとんど開催されておらず、ある意味この時代における「最後の決闘裁判」だった。
 本作の制作費は1億ドル。それに対し世界収入は3000万ドル。大赤字映画だった。
 ただし評価が低いというわけではなく、映画批評集積サイトRotten tomatoによれば、291件のレビューがあり、肯定評価は85%。オーディエンススコアも81%と、批評家、一般層ともに高評価を出している。
 作品が収益を上げられなかったことについて、リドリー・スコットは「私が思うに、結局のところ我々が相手にしている観客とは、このクソったれな携帯電話で育った世代なのです」とコメント。御大は昔から口が悪いのだが、相変わらずのようだ。
 評価はかなり高いが、なぜかまったく売れなかった本作。競合作品があったためにタイミングが悪かった……という分析もあるが……。この辺りの理由も後半にちょっと触れよう。

 それでは前半のストーリーを見ていこう。


第1章 ジャン・ド・カルージュによる真実

 1370年9月19日。川を挟んだ向こう側で、イングランド軍が住民を拘束し、見せつけるように処刑していた。見え透いた挑発だ。だが直情的なジャンは、放ってはおけなかった。橋を死守せよ……という命令だったが、ジャンは先陣切って飛び出して行く。やむを得まい……戦場を指揮していたカルージュ3世(ジャンの父親)が出撃の号令を出した。騎馬が川を突っ切っていき、戦いが始まる。
 その結果――フランス軍は敗北してしまう。ジャンは戦場でル・グリに救われ、またル・グリを救ったことで固い友情で結ばれ、敗戦を慰めながらもその戦場を去って行くのだった。

 1377年。
 ジャンの父の城に、ピエール伯爵が訪れていた。ピエール伯はフランス国王シャルル6世の従兄弟にあたる。これからピエール伯がこの地域の領主となって治めることになった。ジャンとル・グリはピエール伯に忠誠を誓うのだった。
 その後しばらくして、ジャンの城にル・グリが尋ねる。たんに友人に会いに来たのではなかった。次なる戦争のために徴税をしたいという。しかし疫病で多くの農民を失った後だ。ジャンも金がなかった。ル・グリはジャンとの友情があるから、金を取らずに城を去って行くのだった。

 1380年。ノルマンディ奪還のための戦が始まる。この戦にはフランス軍は勝利する。
 勝利の宴はロベール・ド・ティボヴィルの城で催された。ロベール・ド・ティボヴィルはかつてイングランド側に寝返ったが、フランス側に戻ってきた領主だった。愛国者のジャンは一度でも寝返ったロベールにいい印象はなかったが……その娘マルグリットの美しさに見蕩れてしまう。
 ジャンはすぐにマルグリットとの結婚決める。結婚の時の持参金としてオヌー・ル・ファルコンと呼ばれる美しい土地も手に入るはずだったが……しかし結婚後、その土地はなぜか、友人であるル・グリに贈られていたことを知る。
 ジャンはしばらく気にしないようにしていたが、しかし「やはりあの土地は私が得るはずだったものだ」……と王に直訴する。
 直訴は却下。落胆して帰宅しようとするジャンに、知らせがやってくる。父が死んだ。ジャンは急いで父の城に戻り、一人残された母に会いに行く。ジャンは不安がる母を自分の城に招き、財産もあるし、「父が勤めていた長官職を引き継げるはずだから問題ない」と慰める。しかし母は言うのだった。
「聞いてないの? ベレムの長官になるのはあなたではない」
 長官職はル・グリに引き渡されていた。なぜ? オヌー・ル・フォルコンの土地所有権について直訴したため、ピエール伯から不興を買ったためだった。ジャンは激怒し、ル・グリとの友情を終了にする。
 その1年後。旧友クレスパンからパーティの誘いを受けた。そのパーティへ出席すると、ル・グリが……。ジャンはマルグリットから説得され、ル・グリと仲直りすることにする。

 1385年。ジャンはスコットランドへ出征する。戦線は思わしくなく、しばらくしてジャンは体調を崩し、フランスへと戻ってくる。
 体調はまだすぐれないが、パリへ行かないと……。参戦したから給金をもらわねばならない。ジャンは3日ほど城を開ける。
 3日後、予定通り戻ってくるが、なぜかマルグリットの様子がおかしい。問いただすと、ジャンの留守中、ル・グリが訪ねて来たという。そしてル・グリはマルグリットを無理矢理押さえつけ、強姦したのだった。


 ここまでで35分。

 今作はお話しを読み込むのが大変。というのも、時系列がパッパッと飛んでいく。私も初見時は最初のほうがよくわからなかった。
 一つ一つのシーン、事件をしっかり確かめるように見ていこう。

第1章 ジャンの語る真実


 1370年。日本では室町時代のなかの南北朝時代の頃。フランスとイギリスは王位継承権を巡って争っていた。世にいう「100年戦争」の時代だけど、この戦争が始まったのが1337年……すでに33年も戦争が続いている状態だった。
 映画の最初の舞台となるのは、リモージュ。現代では「七宝焼きの街」として知られるリモージュだが、それよりずーっと前の話。リモージュを占拠していたイングランド軍は川を挟んだ向こう側にいるフランス軍を挑発していた。イングランド軍を指揮していたエドワード黒太子は、この時リモージュの住人3000人を虐殺したとされている。リモージュは何度もフランス、イングランドと所有者が変わるが、この時の虐殺が切っ掛けとなり、反イングランド感情が高まってフランス軍に勝利をもたらしたとされている。

 映画はそのちょっと前の話。主人公ジャンは父とともにこの地を死守していた。このときジャンに下されていた指令は「橋を守れ」。ところがジャンは、対岸で住民達を殺す……という様子を見て、まんまとつり出されてしまう。
 この最初のシーンで、ジャンは「正義感が強い人物」として描かれる。ジャンがどういう人間か、このあと次第にわかってくるのだけど、最初は「正義感の強い騎士」という描かれ方になっている。この印象がどう変わっていくのか……というのがこの映画の一つのポイント。
 この戦いの中でジャンはル・グリに救われ、またジャンはル・グリを救い、結局この戦いには敗走してしまうのだけど、二人は固い友情で結ばれる。

 時は飛んで1377年。ジャンの父親の城に、ピエール伯爵がやってくる。フランス王の従兄弟であるピエールはこの一帯の領主となり、ジャンとル・グリはともにピエール伯爵に忠誠を誓う。

 しばらくして、ル・グリがジャンの城へとやってくる。
「名を名乗れ!」
「トロイのヘレンだ!」
 ギリシャ神話をネタにしたジョーク。ジャンとル・グリはこういうジョークを言い合える仲だってこと。

 ル・グリはピエールの使いとして税の徴収にやってきたのだった。100年戦争はまだ半ば(ジャンヌ・ダルクが生まれるのはまだまだ後の話)。終わる気配がなかった。戦争は無限にお金と物資を消費し続けるので、戦争を続けるためには相応のお金が必要……。それで王が民に対して「金よこせ」ってやってきている。
 しかしジャンにもお金がなかった。疫病の蔓延で農民達の数が減り、収量も激減。14世紀のこの頃だから、たぶん病気というのはペスト(黒死病)のことじゃないかと思われる。
 ジャンにもお金がない……とわかると、ル・グリは「そうか、わかった」とあっさりと引き下がっている。2人の間に「友情」がまだしっかり生きていることがこの場面でわかる。

 ジャンを演じたマット・ディモン。いつも見かけるマット・ディモンよりも体格が二回りもでかいから、「マット・ディモンに似た別の誰か」かと思っていた。今作の役作りで体格を大きくしてきたのだろう。
 ジャンは悪い人ではないが、どうにも物事を単純に考えすぎる。そのうえに、頑固で名誉欲が強く、嫉妬深い。ほぼジャイアンだと思えば良い。

 馬面俳優でおなじみアダム・ドライバー。ジャンがジャイアンなら、ル・グリはスネ夫。ル・グリも悪い人ではないのだが……。ジャン視点で見えてこなかった一面が第2部になるとじわじわと見えてくる。

 またまた時は飛んで1380年ノルマンディ。フランス北部の海岸だ。もともとはノルマンディー公という人が治めていたことから、この地名になったとされている。第2時世界大戦の時には「ノルマンディー上陸作戦」の舞台にもなっている。この海岸でいったい何人が死んだのやら……。
 この時の戦いではフランス軍は勝利。イングランド軍をドーヴァー海峡の向こう側に押し戻す。

 戦争に勝利し、ノルマンディ奪還成功。ロベール・ド・ティボヴィルの城で勝利の宴が催される。
 ティボヴィルは一度イングランド側に寝返り、またフランス側に出戻りした人。「一度祖国を裏切った」……という話を聞いて、頑固で愛国者のジャンは表情を険しくする。「そんなやつの城で宴なんかやってたのか」という感じ。こういうところでも、ジャンは「悪い人ではないのだけど……」という面が見えてくる。

 戦争の英雄にティボヴィルが挨拶しにやってくるのだけど、ジャンの表情は厳しいし、握手にも応じない。頑固で正義感の強い性格が出ている。
 しかし、ティボヴィルの美しい娘マルグリットを見て、一目惚れしてしまう。演じたのはジョディ・カマー。撮影時28歳くらいの若い女優。映画よりもテレビドラマを主戦場にしている女優だ。映画では『スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』でレイの母親を演じている。
 女優さんの容貌を見て……あれ? リドリー・スコットの好みの顔じゃないな……。リドリー・スコットは一貫して眉が太く、掘りが深い顔の女性が好み。さすがに年だから、女優さんに自分の好みを投影するのをやめたのかな?

 次のシーンに入るともう縁談話が始まり、その次のシーンにいくと婚礼。話がポンポンと進んでいく。
 映画の展開を早くするためだが、ティボヴィルにしても早く娘を嫁に出したい……という思いがあった。というのも、一度フランスを裏切った身だから、フランス国内でもあまり良い立場にあるとは言えない。そこに「長官の息子」という由緒ある男が現れた。ティボヴィルとしてはこのチャンスを逃したくなく、すぐに結婚だ……ということになった。

 その婚礼のシーン。ここ大事。「誓いのキス」をした後、マルグリットはすっと視線を下げる。実はマルグリットはこの結婚に不安を抱えていた。なぜ不安を抱えているのか……これは第3章で明らかになる。
 あとでよく似たカットがもう一度出てくるから、この構図は覚えておいて欲しい。

 マルグリットとの結婚の時、「花嫁の持参金」として手に入るはずだった土地、オヌー・ル・フォルコン。しかし結婚が終わってみると、その土地はなぜか友人のル・グリの手に渡っていた。
 いったいなぜ?
 実は結婚の前には「税の徴収」としてオヌー・ル・フォルコンの土地は取り上げられていた。そのことをジャンに言わなかったのは、それを言ってしまうと縁談がご破算になるかも……という恐れがあったからだ。とにかくも娘を嫁に送り出したい……という思いでティボヴィルは嘘をついていた。

 やっぱりあの土地は俺のものだ……納得がいかなかったジャンは、国王に対して直訴をする。しかし直訴は却下。
 納得いかないな……と思いながらパリの街に出るのだが……。
 おお……ノートルダム大聖堂!
 ということは手前を流れるのはセーヌ川。ノートルダム大聖堂が116は年着工、1225年に完成している。フライング・バットレスはその後に追加され、1345年には現在の姿になっている。映画の中ではファサード部分を作っているのか補修しているのか、大聖堂の正面部分に建築用の足場が組まれている。
 パリの様子はかなり広く作られているように見えるが、俳優達が川から画面手前側にしか行かないところを見ると、実際にセットとして建造したのは橋とその手前側。橋の向こう、ノートルダム大聖堂が見えている部分はCGだろう。

 パリから帰ろうとする途中、父の訃報が知らされる。大急ぎで母の待つ城へと帰るジャンだった。ジャンは当たり前のように父が務めていた長官職を自分が引き継げるものだと思っていたが、しかし長官職は別のとある人物に引き渡されていた。
 いったなぜ! ……それはあの土地の所有権について直訴したから。ジャンは「当たり前の権利だ」と思っていたが、あれでピエール伯の不興を買ってしまった。
「権利などないのよ。あるのは“男の権力”だけ。訴えたせいで伯爵は大敵となった。父上は気難しくても世の中を理解していた」
 こういう時は理不尽だと思っていても、“何も言わない”が正解。権力者の意に逆らってはいけない。ジャンは頭がジャイアンだから、そういう政治の機微が理解できない。「自分の権利だ」と思ってやったことが、権力者の不信を招いてしまっていた。

 時は飛んで1385年スコットランド。ジャンは再び軍人として戦場に出るのだけど、あからさまに周りがジャンに対して敬意を払わなくなっている。ジャンが騎士としての叙勲を受けているのだけど、周りはお喋りしているし、儀式の後も無反応。ジャンの立場はどんどん悪くなっていく。

 スコットランド遠征から戻り、給金をもらうためにパリへ。この空白の3日間の間に、妻のマルグリットがル・グリにレイプされてしまう。

 ただ訴えてもまたピエール伯に却下されてしまうかもしれない。そこでジャンはフランス王に直接訴えかける。そのうえで手袋を投げ出し、決闘を申し出るのだった……。

 ここまでが第1章。だいたい40分くらいの内容。
 大事なポイントだけど、ここまでのお話しはジャンの視点で描かれている。ジャンが「こうだ」と思い込んでいるストーリーだ。ジャンの頭の中では、自分は正義感の強い愛国者で、ル・グリは「良き友人」だった。マルグリットという良い縁談があって、出世するはずだった。……なのになぜかジャンの立場はどんどん悪くなっていく。ジャンは頭がジャイアンだから、その理由がわからない。ジャンは悪い人ではないのだけど、頭が単純で世の中のことがよくわからない。「なんで? なんで?」という感じ。第1章の描き方も、なぜかジャンがひたすらに理不尽な目に遭う……という話になっている。
 ではこの裏に何があったのか……それが第2章で語られていく。

第2章 ル・グリの語る真実


 話は1377年に遡る。すでにル・グリはピエール伯と“いい関係”になっていた。ル・グリはジャンについてこう評す。

ル・グリ「彼は頑固です。頑固、気難しい、嫉妬深い、猪突猛進、愚鈍」
ピエール「愚かで地代も滞納」
ル・グリ「でも我が友です」

 言いたい放題である。要するに「あいつジャイアンだから」と。バカかもしれないけど、でも良い奴なんだよ……とスネ夫的にフォローを入れている。一方、ピエール伯は最初からジャンが気に入らない。

 実はル・グリは字の読み書きもできたし、計算もできた。もともと修道士だったが、戒律と感性が合わず、従騎士に転身した。騎士でありながらちゃんと教養のあるところがピエール伯に気に入られる。
 第1章で描かれていたが、ジャンは文字が書けない。書類にサインする時も、記号を書くだけ。こういう教養のないところがピエール伯に見下されてしまった理由。
 ル・グリはすでに修道士の道を諦めたが、しかしどうやら教会に籍は残っているらしく……これは後でわかる話なので覚えておこう。

 ピエール伯に気に入られたル・グリは、毎晩のように城で放蕩三昧。たくさんの女の子をはべらせて、“とても楽しいこと”をやっていた。
 ピエールの愛人達と追いかけっことする場面。この構図をよく覚えておいて欲しい。

 ピエール伯を演じたベン・アフレック。これまたいつも見かける映画と風貌が違うから、クレジットを確認するまでベン・アフレックだと気付かなかった。

 ティボヴィルの城へ税の取り立てに現れるル・グリ。ジャンは友人だから穏便に済ませていたが、実は他のところでは暴力的に税の取り立てをやっていた。
 これがル・グリの別の側面。ジャンの前では「善き友人」という顔を見せていたが、実は残忍で容赦がない。ル・グリはこういう側面を持っている男だった。

 後ろのベッドでのやりとりに視線が持って行かれるが……。
 このシーンでル・グリがティボヴィルから取り上げた土地のことで直訴されたことを報告している。友人との関係がこじれてしまった……ル・グリはそのことを気にしていた。
 しかし土地を取り上げたのはピエール伯で、直訴を取り上げるかどうかを審査するのもピエール伯。
 それだけではなく、ピエール伯は長官職をジャン・ド・カルージュ一族から取り上げて、自分のお気に入りル・グリに与えてしまう。
 ……そう、ジャンとル・グリの関係が破綻してしまったは、ピエール伯が主な原因。ピエール伯が自分のお気に入りだ、とル・グリに土地と長官職を与えてしまった。しかしジャイアンはその辺りのことがよく理解できず、「ル・グリのやつが何かやって俺から土地やら名誉を奪った」みたいに解釈してしまう。この誤解が、2人の関係性が壊れていく原因になっていく。

 長官職を奪われたジャンは、ピエール伯に直訴にやってくる。
 この時のル・グリの気まずそうな顔……。ル・グリはまだジャンを友人だと思っているから、この時は気まずいという顔をしている。長官職を引き継ぐシーンでも、表情が冴えないのは、頭の中でジャンとの友情を気にかけているから。

ル・グリ「闇を恐れる子には赦しを。光を恐れる男には悲劇を」

 ル・グリはピエール伯に対し、にわかな不信感を抱いている。でも相手は王族だから、それを直接言うわけにはいかない。だからラテン語で遠回しの人物評を贈っている。

 しばらくしてかつての戦友クレスパンが、子を出産したお祝いのパーティに誘われる。妻のマルグリットは、ジャンに「この機会に仲直りしなさいよ」と薦める。

 さてこのシーン。ジャンは仲直りのしるしにとマルグリットに「ピエールにキスをしなさい」と命じる。そのキスをした後の瞬間。構図を見てピンと来ると思うが、ジャンの結婚式と同じ構図が使われている(位置は逆)。あの時マルグリットは、ジャンとキスをした後視線を下げている。一方、ここでは視線を上げている。
 これはなんなのか……というと、台詞では語られないが、マルグリットはこの時、ル・グリを見て「いいわぁ」と思っていた。お話し全体を通してきちんと語られないところだが、マルグリットにも実は不倫の意思がある程度にはあった。

 一方のル・グリはマルグリットに一目惚れ。さっそく口説きにかかっている。

マルグリット「彼は未熟で愚か。でも心が純粋で聖杯を手にする」
ル・グリ「彼は欲望に忠実で、手にするまで諦めない」

 ともに読んだ本の一節を諳んじているが……。マルグリットはル・グリが色目を使っているのはわかっているから、「彼は未熟で愚か。でも心が純粋で聖杯を手にする」……これは夫のジャンのこと。愚か者かも知れないけど、いい人よ……と夫を立てている。
 一方、ル・グリは「彼は欲望に忠実で、手にするまで諦めない」……と自分の意思を伝えている。
 この後も、マルグリットはどうにか「ル・グリなんかには興味ないわ」という姿勢を周囲に見せようとしている。これもやはり、自分の中に芽生えた気持ちをごまかそうとしているからじゃないかな。

 その後、ジャンはスコットランド遠征の結果をピエール伯に報告している。
 ル・グリは労う感じで「善き兵の元に“幸運”はすぐ戻る」という言葉を贈っている。あくまでも友人としての言葉だったが……。
 ジャンは何が気に入らなかったのか、ル・グリを罵倒し始める。公衆の面前で。「俺に敬意を払え!」と。
 この時、ジャンに何があったのか……というと第3章で明らかになるが、この直前、マルグリットから「街にル・グリがいたわよ」という話を聞いて、嫉妬深いジャンはこの話だけで妻の浮気を疑った。浮気されたかも知れない……という猜疑心だけで頭がジャイアンだから、ル・グリを罵倒してしまっている。
 どうしてこの重要な経緯を第3章まで持ち越したのか……というとジャンがただのジャイアンだった……という視点はマルグリットの視点になってやっとわかること。嫉妬深く、かつ粗暴。こういうジャンの本質やジャン自身やル・グリの視点では見えてこない。マルグリットの視点になって初めてわかることなので、第3章まで持ち越しになっている。
 一方のル・グリはこの時、ジャンに対する友情が完全に消えてしまう。ずっと引っ掛かるものはあったものの「戦場で命を救ってくれた人だから」……という恩義がずっとあって、彼に対し敬意を示していたが、この意識はこの瞬間消えて、“怒り”へと転化していく。

 さあいよいよレイプシーン。城で一人きりでいるマルグリットのもとへ、ル・グリが潜入する。

 この場面。第2章はル・グリの視点で描かれているから、ル・グリが「こうだ」と思っている情景が描かれている。
 ここでマルグリットは階段の前で自ら靴を脱いでいる。まるで、これからベッドに入るから早めに靴を脱いじゃおう……という感じだ。第3章とでやりとりを比較して欲しい。

 続いてこの場面。この構図、覚えていると思うが、ピエール伯の城で愛人達と追いかけっこしていたシーンと同じ構図で描かれている。要するにル・グリは“そのつもり”だった。マルグリットは嫌がっている素振りを見せているけど、ピエールの愛人達とよくやるような、そういう“プレイ”だ……と思い込んでいる。
 この辺りの詳しい描写も第3章と違っているので、比較してみよう。

 さすがのル・グリも「やっちまったな……」という気がして告解をしに行っている。ここで神父は、

神父「悪魔は誘惑者の手で罠を仕掛ける。イブはアダムを誘った。愛ではない」
ル・グリ「でもなぜ?」
神父「神は誠実だ。誘惑の果てにお見捨てにならない。これは試練だ」

 要するに悪いのは女のほうだ……ってこと。女の方が誘ってきた。なぜなら女は悪魔の属性を持っているから。お前さんは悪魔に誘い込まれただけ。これは神が与えた試練なのだ……と語っている。
 これでル・グリは「ああそうか、俺が悪いんじゃないのか」と思い込む。

 この一件について、町中で噂が広まっているので、ピエール伯からも突っ込まれる。ル・グリは、

ル・グリ「姦淫を告白し、赦しの秘蹟を受けた。誓って強姦などではない」

 と語る。もう神に対する赦しを得たから、自分に罪はない。あとあれは強姦じゃない。だってあの時、マルグリットは自分で靴を脱いで誘ってきたじゃん……。と、ル・グリの頭の中ではそういうストーリーになっている。

 さらにこの場面。

「聖職者の特権を利用すべきですね。下級聖職者として高等法院の裁判権を逃れ、条件が有利な教会裁判を受けられます。教会の上層部には強姦で告発された者が大勢います。聖職者特権を主張し、厳罰を免れている」

 「聖職者特権」というものがこの時代にあって、実は教会内部でも強姦は一杯あったんだけど、聖職者特権でみんな無罪になっていたんだとか……。
 お忘れかも知れないけど、ル・グリは元・修道士。どうやらまだ教会に籍を置いているらしく、だから「聖職者特権で強姦の罪を逃れられますよ」……と教えられている。
 これに対してはル・グリはちょっと引っ掛かっている。

「私は臆病者ではない」

 これでは逃げているみたいじゃないか。というか、俺、誘われただけだし。合意だよ、合意、うん。
 ル・グリにも騎士としてのプライドがあった。だから聖職者特権を行使することを見送る。

 ここまでがル・グリのストーリー。この後裁判のシーンに入り、ル・グリはジャンの決闘を引き受けるということになる。
 ここまでのストーリーを見ていてわかるように、ル・グリは悪人ではない。単純に悪い人ではないけど、残忍なところもある。ピエール伯の愛人達と放蕩生活を受け入れるだけの悪さもある。でも悪人ではないので、ジャンとの友情は壊さないように慎重になっている。そういう善人としての側面もある。
 じゃあなぜ2人の関係性がここまでこじれたのか……それはピエール伯。ピエール伯が一番悪い。でもジャイアンなジャンは、視点がピエール伯まで行かずに、「ル・グリの野郎が……」ってなってしまっている。ジャンの頭が単純であったがゆえに、ル・グリとの関係が破綻してしまった。
 もう一人、悪いのがマルグリットの存在。最終的に関係がこじれたのはマルグリットがいたから。マルグリットがいなければ、ジャンとル・グリの友情が壊れることはなかった。マルグリットからは2人の関係に対し、何もしていないのだけど……美しさゆえに周囲の男を破綻に導く、自覚なき“魔性”がマルグリットに宿っていた。

 ではマルグリットの視点ではどうだったのだろうか……。ここからが第3章。

第3章 マルグリットが語る真実


 ではマルグリット視点ではどういう物語になっていたのか? 第3章に入るところで「True Story」の部分が強調されている。ということはここまでに描かれてきた2編は、ジャンとル・グリが「こうだと思い込んでいたストーリー」だったということ。第3章が事実に基づくお話しとなる。
 第3章の始まりは結婚式の場面から。この時、ジャンは花嫁の持参金のなかにあの土地オヌー・ル・フォルコンがないことを気付いて激怒する。マルグリットが誓いのキスの時に目線を逸らした理由がこの辺りでわかってくる。「この人やだわ~」って頭の片隅で思ってたからだね。

 さあお待ちかね初夜のシーン。行為の後、マルグリットはこんな表情をする。
 ……解説は不要だよね。
 でも夫はジャイアンだから、奥さんのこういう表情に気付かない。自分が気持ち良かったらそれで満足だ……で終わってしまう。マルグリットはさらに「この人やだわ~」という感じが深まる。

 それでもマルグリットは「善き妻」であろうとする。なぜかというと、父親の問題があるから。父は一度フランスを裏切って、その後戻ってきたもののまだ評判は「裏切り者」のまま。そういう状態だったから、父は良縁があればすぐにでも娘を嫁がせたい。そこで長官の息子であるジャンがやってきたから、これ幸いとすぐに結婚を決めてしまう。
 娘のマルグリットもそういう事情を理解しているから、夫がジャイアンだと気付いていて「やだわ~」とか思っていても、夫婦生活を崩壊させないように踏ん張っている。
 現代的な個人主義の時代じゃなく、一人一人が一族の評判に関わっていた時代だ。常に誰かに見られて、審査されている。だからこそ自分の振る舞いはきちんとしようという意識もあった。こういう時代だからこそ、名誉欲に振り回される一面もあったわけだけど。個人が「俺は俺のしたいようにするんだ!」とか言って生存できる時代ではない。みんな生き残るために必死だった時代だ。

 印象的な挿話。雌馬を買ってきて、よい子馬を産ませよう……と思っていたところに発情した黒馬が飛び込んできて……という場面。勃起した黒馬のアレがばっちり映っている。なかなか凄いシーン。
 由緒正しい雌馬を連れてきたそこに、黒馬が飛び込んでくる……。なにを象徴しているかわかると思うが、雌馬がマルグリット。黒馬がル・グリ。ジャンが大事にしている馬が、横から飛び込んでくる黒髪の馬にレイプされる……という未来を暗示ている。
 それから、そういう事態になったとき、ジャンがどういう行動を取るか……を暗示している。ジャイアンだからなにかあったら暴力で反抗する。ジャンの行動の本質が現れている。その様子を見てドン引きのマルグリット……「この人、ただのジャイアンだわ」と思ったかどうかはわからない。

 ジャンは軍人でもあるので、招集のたびにマルグリットが女主人となって領地の運営をすることになっていた。ここは税の徴収をやっている場面。しかし領民は収獲が思うように行かず、「税は払えない」と言う。マルグリットは領民が連れてきている子供を見て、「今回はいいわ」と恩情を見せている。
 こういうところでジャンやル・グリとの領主としての資質の違いを見せている。ル・グリは第2章で描かれたように暴力を行使してでも税の徴収をしていた。ジャンもたぶん似たようなものだろう。一方のマルグリットは領民の顔色を見て、懐事情を察して恩情を見せている。

 次にこの場面。牛をひいて土を耕している場面。マルグリットは「どうして馬を使わないの?」と尋ねる。ジャンはあまりにも馬を大事にしすぎているから、馬を畑で働かせない。こういうところでも、ジャンが自分の大事にしているものをどう扱うか……が描かれている。「ジャンが妻をどう扱うか」……ということを暗示している。ジャンはきっと、妻を城に閉じ込めて、働かせないようにしていたのだろう。
 マルグリットは牛にやらせていたのでは種まきの時期に間に合わないから、と馬を使うように指示する。マルグリットの理性的な側面を見せている。
 ここまでのお話しを見ても、ジャンよりもマルグリットのほうが領主として有能。というか、夫の代理としてしっかり務めを果たそう……と張り切るマルグリットの様子が可愛い。

 それでもなかなか子宝に恵まれず、医者に診てもらう。すると「体液のバランスが悪いようだ」とよくわからないことを言われる。この時代の医学はまだまだオカルトだった。
「夫君と同様に快楽を得なくては、子供は生まれない」
 よくわからないが、この時代は快楽の絶頂を感じないと赤ちゃんはできない……と考えられていたようだ。もう少し後の時代になると、マルティン・ルターの宗教改革が来て、「セックスは子供を作るためだけのものなので、それで快楽を求めてはならん」なんて無茶な戒律ができたりするんだけど。
 医者に「セックスで快楽を感じてるか」と尋ねられたとき、マルグリットは目線を逸らして「はい」と答えている。マルグリットはいろんな場面で嘘をつくが、その時の演技はわかりやすい。マルグリットはジャンのことを「やだわ~」と思っているけれど、夫婦生活を破綻させないよう、人知れず我慢し続けるのだった。

 ここもジャン視点とやりとりが変わってる場面。戦争から帰ってきたジャンは、マルグリットと抱き合った……ということになっているが、実際はマルグリットが着ているオッパイ丸出しのドレスを見て、激怒する。

 さあル・グリが城にやってくる。細かいところでだいぶ違っている。まず靴は慌てていて脱げちゃった、というのが事実。ベッドでのやりとりも、ル・グリは無理矢理体を押さえつけ、挿入まで進めている。第2章ではマルグリットがほとんど抵抗せず……ということになっているが、あれはル・グリはそうだと思い込んでいるストーリー。実際は誰がどう見てもレイプだった。

 その後、義母がマルグリットに「私も若い頃、強姦されたのよ」と話す。しかし黙っていた。言うと一族の恥になるから。この時代は強姦も「女の方が誘ったんだろ」みたいに言われて、そうではなかったとしても、そう噂する人がたくさんいた。そういう噂が広まれば、一族の評判も落ちる。夫に恥をかかせることになる。だからレイプされても黙っていた。
 この時代はなにもかも忍耐だった。領主が土地を取り上げたとしても、直訴なんかしないで黙っている。声を上げれば不興を買って地位を落とす。理不尽に遭遇しても、男も女も黙って耐える。そのうえで成果を上げて出世の機会を待つ。義母はそういう時代をどうにか生き抜いた人だった。

 ここのシーンで気になったのは庭園。荒れすぎじゃない? 床もデコボコ。たぶん実際の歴史遺産で撮影したんだと思うけど。どこかわからないけど、由緒ある場所だから、映画撮影だからといって環境を変える……というわけにはいかなかったんだろう。

 さていよいよ決闘裁判。
 ジャン&マルグリット夫婦は理不尽に対し、声を上げることにした。しかしそれは殺し合い。しかも負けると「偽証した」ということになって、マルグリットはその場で焚刑。リスキーどころじゃなかった。
 しかもジャンが決闘裁判に臨むのは、半分は「レイプされた妻のため」であるけど、半分は「憎きル・グリの野郎を殺したい」という望みを合法的に達成するため。奪われた名誉回復のため……もあるのだけど。マルグリットもこの辺りのジャンの心情は察しているから、「本当に私のためなの?」と不信感を抱いている。
 一方のル・グリも自分の正当性を主張するため……もあるのだけど、ジャンという人物への憎しみが原因になっている。しかしそこで「聖職者特権」を使うのは騎士として卑怯。自分が正しいと信じているからこそ、戦いに挑むのだった。
 いつしかマルグリットそっちのけで自分勝手なプライドをかけて男達が戦う物語に変質していく。
 さて、この決闘裁判の行方はどうなるのか……?

映画感想


 映画本編の解説はここまで。ここからは感想文。
 2時間半の長大なストーリーでジャンとル・グリの友情がいかに破綻し、「決闘裁判」という殺し合いにまで発展するか……が描かれる。
 この作品を3部構造で黒澤明監督の『羅生門』のようにしよう……と提案したのはリドリー・スコットらしい。ストーリーラインを確認すると、『羅生門』も3人(+1人)の視点で一つの事件が描かれる。途中で女がレイプされ、最後にはやたらと生々しい決闘場面が描かれる。確かに『最後の決闘裁判』とできごとがよく似ている。もともとの事件が「黒澤明監督の『羅生門』みたいだ」と気付いて、リドリー・スコットはこの構成を提案したのだろう。
 『羅生門』は事件の当事者3人の視点で、ある事件についてが語られる。という話だが、ミステリー的な意外性というものはない。事件の大まかな流れ自体は変わらない。盗賊の男が貴族夫婦を襲い、夫を殺し、妻をレイプした。ただ、そこに至るまでの経緯が語り手によってコロコロと変わる。
 最後に、事件を一部始終目撃していた4人目の語り手が現れ、真実が語られるのだが――実は事件の当事者3人全員がクズだった……というのがオチ。しかし3人は裁判では自己弁護し、そのうえで「悪いはあとの2人で自分ではございません」……という被害者面していた。私の見立てでは、そこに日本的な「恥の文化」が隠れていて、西洋から見るとそういう「日本的なるもの」が読み取れるからこそ、ベネチア映画祭グランプリに選ばれたんだと思っている。
 『羅生門』と『最後の決闘裁判』を比較すると確かに似ている。第1章のジャン視点だけだと、ジャンの「自分勝手さ」や「暴力性」は隠れていて、ジャンは正しいことをしているように見える。ジャンは理不尽に対し、正当な権利を訴えて立ち上がった……というようなお話しに見える。しかしル・グリやマルグリットの視点になっていくとまったく違う。ジャンはただのジャイアンだし、ル・グリはスネ夫だし。どちらもそれなりのクズだとわかる。そして最後にはやたらと生々しい決闘シーン……と『羅生門』似た構成になっている。
 第3章でマルグリットが聖人君子のように描かれるけど、私はちょっと引っ掛かりがあって……。というのも、ル・グリの姿を見て、ちょっと「いいわぁ」と思っていたのも事実だし。マルグリットに不倫願望がまったくなかったのか……? 作中に描かれていない「第4の視点」があるんじゃないか……という気がする。さすがにそれをやると3時間尺になっちゃうんだけど。

映画の見せ場にされがちの合戦シーンもすぐに終わってしまう。リドリー・スコット作品の史劇はいつも数千人という規模のエキストラを動員するのだが、この作品の合戦シーンは明らかに人数規模が小さい。画面を見ても数百人程度しか映ってない。つまり合戦シーンは一番に見せ場ではない。

 さて、この映画が売れなかった理由はなんだろうか?
 私の記憶だと、そもそもこの映画、ほとんど宣伝されていない。映画雑誌の紹介も、巨匠リドリー・スコットの作品だというのに「片隅に小さく」という扱いだけだったし、完成後の「予告編映像」も短いものがちらっと流れただけ。いつ劇場公開されたのかすらわからない。映画会社側が明らかに宣伝に予算をかけていなかった。
 でも宣伝に大予算をかけていたとしても、この映画は売れなかっただろう。というのも、話が地味、暗い、重い。わかりやすく「興奮した!」「感動した!」という作品ではない。
 まず映画の作りだけど、こういう歴史物は合戦シーンが一つの見せ場。そこに向けてシーンを組み立て、テンションを上げていくものだけど、この映画の場合、パッと描いてすぐに次のシーン……という感じ。見ているほうも「え? なんだったの?」という感じ。時間の経過が早く、最初は理解するのが大変……というくらい。
 通常のエンタメ映画だとだいたい20分から25分きざみで物語が展開する。最初の15分ほどで主人公について掘り下げられ、その次に見せ場としてのアクションシーンが挿入される。そのアクションシーンに向けて物語のテンションを上げていく……というのがエンタメ映画の定石だ。しかし『最後の決闘裁判』は明らかにそういう作りをしていない。エンタメ的な見せ場がスルッと流れていくような作り方になっている。

 それに感情移入しづらい。ストーリー、キャラクターともに共感しづらい内容になっている。まず第1章の主人公ジャンは頭が単純な暴力男――ジャイアンでしかない。ジャイアンだから悪い人ではないのだけど、この人物がなにを感じてどう行動したのか……という行方を見守ろうという気にならない。
 第2章のル・グリも悪い人ではないのだけど、やはりそこそこにクズ。
 エンタメ映画にするなら、「わかりやすい悪役」を作ればいいんだ。わかりやすい悪役を作り、そいつをやっつけるストーリーにすれば、見る側もスッとする。でもそういうストーリーではない。いろんなところで引っ掛かる内容になっている。見る側に考えるように差し向けるような作りになっている。
 この時代はまだ「#Meeto運動」が盛んな時代で、そういう映画……という時代の文脈で語られがちな作品だけど、実はそういう作品ではない(リドリー・スコット監督は多分そういうのに興味がない)。粗暴な男性によって被害に遭う女性……という話ではなく、そもそもこの時代が生き抜くことが難しい時代だった。そこに男も女も関係ない。それに女のほう……マルグリットに不倫の意識がなかったのか、というとこれも疑問。マルグリットは確実に被害者だが、完全なる善人というわけではない……というのがこの映画の描き方。

 どうしてこういう映画として作ったか……というとこの作品が「文芸」だから。エンタメ映画じゃなくて「文芸」。エンタメ映画として描くなら、ジャンをとことん善人に描き、ル・グリをとことん悪人に描けばいい。勧善懲悪のお話しにして、ラストに「興奮した!」「感動した!」というわかりやすい感想が出てくるように作ればいい。
 作り手がどういう理想を掲げようとも、映画の観客というのは大半はあまり教養が高いとはいえない人たち。そういう人たちを動員させようと思ったら、エンタメ映画にしたほうがいい。大多数の人々は「わかりやすいもの」しか見ない。でも『最後の決闘裁判』はエンタメ映画ではなく文芸として作られている(しかも一見すると「エンタメ映画」と誤解するような作りになっている)。こういった文芸映画が大ヒットして収益を上げられるか……というとそれはない。こういう文芸映画を1億ドルという予算で作っちゃった……というのは狂気であり、貴重な作品になったといえるが。逆に言えば、文芸映画としてはかなり売れた方、と言ってもいい(さらに言うと、これだけの大赤字映画を作っちゃっても、干されることなくまた大予算映画を作れる……というのがリドリー・スコットの凄さ。実績が凄すぎるから許される)。

どのシーンを見てもリアルだし、西洋絵画のような構図。やはりリドリー・スコットは映画作りがうまい。気になったのは空。たぶん雲は合成じゃないだろうか(リドリー・スコット監督は雲の形にもこだわる)。どのシーンを見ても、あまりにもバッチリハマった雲ばかりでかえって「合成かな?」という感じになっている。

 しかしだからといって面白くないか……というとそんなことはない。ものすごく面白い。クオリティはとんでもなく高い。いろんな歴史映画を観てきたけど、ああやっぱりリドリー・スコットは格が一段違ったな……と思わされた。どのシーンも西洋絵画に見える。どの瞬間で止めても絵が美しい。リアルさ、重厚さでいえば群を抜いて完成度が高い。やっぱりリドリー・スコットの映画は凄かった……というのが率直な感想。
 ただし、この映画はエンタメ映画ではない。エンタメ的な楽しい展開を期待するとガッカリする。あくまでも文芸映画。見る側がしっかり気合い入れて解釈しないと、どういう映画なのかすらわからない。普段Marvel映画しか見ないような観客がわかるような内容ではない。それにスッとしない。いろんなところで引っ掛かる映画になっている。
 見るときは心して見てほしい。しっかり向き合えば、見れば見るほどに味が出てくるタイプの映画だから。そういう意味ですごく面白い映画だと断言できる1本。


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