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1月3日 『レンブラントは誰の手に』 名画の秘めたる魔力――それに狂わされる人、踊らされる人。

 映画感想文も休止していることだし、たまには気楽な気持ちでドキュメンタリーでも観ましょう。……というわけで、今回視聴作品はオランダのドキュメンタリー映画『レンブラントは誰の手に』。原題は『MY REMBRANDT』なので、『私のレンブラント』という意味になるのかな。内容はレンブラントの描いた名画を所有している人々の話。ある種の群像劇のようになっている。

 お話しの前に、まずレンブラントの基本情報から入りましょう。
 レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン。1606年生まれ、1669年死去。ネーデルランド連邦共和国(現在のオランダ)出身の画家で、現代でもオランダを代表する偉大な画家。そんなレンブラントを“個人で所有”している……という人々のお話がこの映画のメインテーマ。
 まあ、レンブラントを個人で所有している……という人なので……

 なにこれ? どこの異世界?
 まあこんな感じに、出てくる場所がことごとくお城かお屋敷。普通の家なんてまったく出てこない。新しいシーンに移るたびに「はぁ……」とため息が出てしまう。「個人でレンブラントを所有」できる人、というのがどんだけステータスが高いのか、がよくわかる。

 そんな本編を見てみましょう。

 最初に出てくる作品がこちら。一見するとレンブラントのように見えるが……画商のヤン・シックスは“違和感”に気づく。絵の手前側に描かれている人々が後で書き足されたものだ。明らかに絵の具の質感が違うという。
 昔の絵画というのは、基本的に所有者がどう扱っても良い……ということになっていたので、絵画を手に入れたけど「背景がいまいちだな」と思ったら勝手に書き足ししていたし、逆に描かれていたものを消したりしていた。ごく最近では、「オリジナルを保存しよう」ということになって、元の状態に復元しようという試みが進んでいる。するとよく知られている作品が実はまったく違っていた、謎めいた作品がちゃんと意味のわかる作品になった……という発見が近年起きている。
 この作品におけるもう一つの謎は、群像の一番奥にぴょこっと上に飛び出しているように見える人物。レンブラント本人だ。レンブラントは絵画の中に自分を登場させることはまああった人だが……これも書き足しだ。
(映画の中に監督がチラッと登場する……レンブラントは早くもこれをやっていた)
 しかしいったい誰が書き足しした? レンブラントは近代において再発見されるまで、マイナーな画家だった(レンブラントは晩年落ちぶれて、お亡くなりになる頃には「忘れられた画家」になっていた)。そんなマイナーだった人物を誰が書き足した? 一番納得できる説明は、レンブラント本人が在命中にちょろっと書き足した……という可能性だが……。

 とにかくも何者かが書き足した、という部分を削ぎ落とそうという話になる。
 昔の絵画――描かれてから数百年が経過している作品というのは、絵の具の成分が結晶のようになる……と言われている。かなり乱暴な鑑定法に、「ピンで刺す」というものがあるそうな。絵の具の成分が結晶のようになる、つまりガラスのような状態になるので、ピンで刺すと「パリパリ」という感触が来る。しかし最近書き足されたものであると、成分が固まってないので「ムニュ」という感触になるという。
 この辺りの話は、昔、小説で読んだ話なので、本当かどうか知らない。というか、そもそも名画をピンで刺す、という時点でやっちゃダメなんだけど。なんにしても、書き足された絵の具が最近のものであれば、溶剤で溶かして取り除く……ということができる。

 しかしどうやら溶剤で溶かすことができない作品だったらしく。この刃のないカッターナイフのようなもので、カリカリカリ…と削るということになった。修復士によると、この作業にざっと4年かかる……という。4年もこのカリカリカリをやるのか……。聞いただけで眩暈がする。

 お話しの主人公はその絵画ではなく、その絵画を取り扱っていた画商。名前をヤン・シックスという。なんと17世紀当時、レンブラントのパトロンだった人の御先祖だ

 こちらの絵画に描かれている人が、ヤン・シックス1世。レンブラントのパトロンだった人物の一人だ。その手前に映っているおじいちゃんがヤン・シックス10世。さっき出てきた若者がヤン・シックス11世だ。代々レンブラントの絵画を取り扱ってきた、由緒正しい家柄だ。

 さて、そのヤン・シックス11世がある時、図録に掲載されている1枚の作品に目がとまる。図録には「レンブラント周辺作品」と紹介されているが……。ヤン・シックスは絵を見た瞬間、直感する。
「この作品は『レンブラント周辺作品』ではなく、『レンブラント本人』の作品ではないか?」

 レンブラントの鑑定はちょっと厄介な要素がある。というのも17世紀当時、レンブラントは超売れっ子画家だった。発注が死ぬほど多かったので捌ききることができず、工房を作り、「集団制作システム」を採用していた。工房では多くの弟子を雇い入れて、自分の絵とよく似た作品を描けるように教育させ、作品制作にあたり下書き制作や、絵の具の下塗り制作をさせたり、自分の絵の模写をさせることもあった(当時はコピー機なんてものはないから、同じ作品が欲しい場合は手作業で複製されていた)。
 さらに“レンブラント工房卒業生”の画家も当時いて、当然ながら作風もレンブラントそっくり。これも後々、鑑定がややこしくなる原因になっている。
 このお話が後に面倒な事態を招くことになる。“この作品はレンブラント作品か、レンブラント工房作品か?”という問題だ。

 例えばこちらの作品。
 左がレンブラント工房作品で、右がレンブラント本人の作品(右の方がクオリティが低いように見えるのは、写真が悪いから。実際はこんなではない)。
 たぶん、すべて絵に発注主がいたわけではなく、いきなり工房にやってきて「なんでもいいから絵を売ってくれ」とか、「あれと同じ作品をくれ」とか言ってくる人もいたんじゃないかな。そういう要望に応えるために、こんなふうに弟子にコピーを作らせていた。
 レンブラントは、自分で区別できるように、本物とコピーを区別できるよう目印を作っていた。この作品の場合は「犬」。たぶん、他の弟子のコピーでも、本物と少しだけ違うふうに作っているのだろう。

 まあそんなわけで、いま美術館に展示されている「レンブラント作品」でも、本当に100%レンブラント作品かどうか……というのはちょっとわからない。背景のベタ塗り部分とか、面倒だから弟子にやらせていたかも知れないし。弟子がラフから下塗りまでやって、最後の仕上げがレンブラント……という作品も実際あるし。17世紀は「レンブラント工房作品はみんなレンブラント」という認識だったから、後にこんな問題が起きるなんて誰も予想していなかった。

 というわけで、図録に掲載されていた作品も「レンブラントの弟子が描いた作品だろう」という紹介だったが……ヤン・シックスは「いや、これはレンブラント本人の作品だ」と直感し、購入を決意する。
 しかし世の中的には「レンブラント周辺作品」という認識だったから、オークションで12万ユーロ(現在の日本円で187万円)。実に良い買い物だった。

 このドキュメンタリーは「レンブラントを所有している人々」の群像劇なので、次はこちらのお話し。
 場所はフランスの個人邸宅。こちらの絵画を所有していたのはエリック・ド・ロスチャイルド男爵……ロスチャイルド家かよ!
 ロスチャイルド家であるから超富豪なのだけど、名画を所有し続けるのは税金がかかって維持が大変……それでこの絵画を手放すことにした。エリック・ド・ロスチャイルド男爵が提示した価格は1億6000万ユーロ(現在の日本円で249億円)。聞くだけで鼻血が出そうな値段だ。

 購入に興味を示したのはレンブラントの古里であるオランダのアムステルダム国立美術館。それからフランスのルーブル美術館だった。
 しかし1億6000万ユーロなんてお金、そうそう出せるものではない。オランダとフランスの美術館が話し合い、共同購入しよう……という話になった。
 オランダはすぐにお金集めに動き、1億4000万ユーロまでお金を用意した。ん? このまま買えちゃうんじゃない……でも一応話し合いもした義理もあるから、フランス側に連絡をしよう。フランス側は「まあ、そうですな……」と微妙な反応。それでオランダは個人で買っちゃおう、と考える。
 ところが急にフランス政府が動き出した。フランスのお宝を外国に出すな、ということになり、「8000万ユーロ用意したから、半分よこせ」と言ってきた。この時点で「外交問題」になってしまった。
 お前、ついこの間まで興味なかったやんか……オランダは不満たっぷりだったが、国際問題になりかねない話だったので、フランスの要求を飲むことに。

 フランス大統領夫婦とオランダ国王夫婦とが並んで記念撮影(どっちがどっちなのか、わからんけど)。
 国家の元首が出てきたので、表向きには一件落着ってことになったが……「フランスに連絡せず、買ってしまえば良かった」とオランダ側はその後も思っていたのだった。

 さてお話しはヤン・シックス11世に戻ってくる。購入した「レンブラントらしき絵画」を親子で見ている場面。限りなく「レンブラントらしい作品」だが、なんとも言いがたい。どっちだ?

 絵画はついにアムステルダム国立美術館に持ち込まれる。左がロスチャイルド家が所有していた1億6000万ユーロのレンブラント絵画。右が12万ユーロで購入したレンブラント(?)の絵画。
 本場プロによる鑑定が始まるのだった。

 最初は笑っていたヤン・シックス11世だったが、鑑定が始まるとこの渋い顔。どんどん不安になって愚痴りはじめる。その表情の沈みかたが愉快で……(意地の悪い見方)。

 鑑定の結果――本物! レンブラント本人による真画であると判定された。
 するとそれだけで本は出るわ、ニュース番組で大々的に取り上げられるわ……。ヤン・シックスは一躍時の人になるのだった。今でもオランダは、「レンブラントの真画が発見された」となるとここまでの大ニュースになるのだ。見つけた人はその瞬間ヒーローになる。
 それに真画と判定されたのだから、後にその作品を手放す……というときは数千万ユーロで売ることができる。持っているだけで、美術館に貸し出すわけだから、それでも結構稼げる。12万ユーロが数千万ユーロに……。一瞬にしてちょっとした資産家だ。こういう栄誉が得られるかも知れないから、名画研究はやめられないわけだ。

 しかしいい話で終わらないのがこのドキュメンタリー。間もなくヤン・シックスの「購入過程」に問題が出てくる。というのも、本当は別の研究家と相談していて、「じゃあ共同購入しようか」という話になっていたそうだ。ところがヤン・シックスはオークションになると、相談相手を出し抜いていきなり個人所有してしまった。

 もしも本物だったら……その名誉欲が人を狂わせる。レンブラントは没後400年が経った今でも、人をそうさせるだけの魔力を持っていたのだった。

 さてドキュメンタリーの感想はというと……ものすごく面白かった。まず画がいい。「レンブラントを題材にする」ということもあって、カメラがものすごく気合いが入っている。その上にロケーションがお城とかお屋敷とかだから、なんとも異様な画面になっている。

 ファーストカットからこれだから、見始めてすぐに「あ、4Kで見たかったな……」と思ったほど。

 それにレンブラントの絵画を、細かいところまで捕らえている。

 例えばこちらのお婆ちゃんの絵画……よくみるとこのお婆ちゃん、口紅差してるね。モデルになるから……とおめかししたんだね。

 そのお婆ちゃんの手元。
 レンブラントの絵画は実は結構荒い。西洋絵画だから、なんとなくレオナルド・ダ・ビンチみたいにツルツルな質感で描かれているのだろう……と思われそうだけど、実はレンブラントは筆がかなり荒い。こんなふうにガリガリと描いて、ハイライトを点々と乗せる。それだけで、50センチ離れて見るとまるで写真のような、いや、写真以上に描かれた人間があたかも生きてそこにいるかのような存在感を放つ。

 こちらの老婆の絵を見てみよう。

 帽子をクローズアップで見ると……おわかりいただけたであろうか? 絵の具を厚めにとって、筆の流れでシュッシュッと描いただけ。筆の流れ方だけで質感を表現してしまっている。手数が少ない。仕上げに影を点々と置いているが、それだけでこの驚くような実在感。とんでもないスーパーテクニックだ。

 ロスチャイルド家所有の肖像画の足元。こういう部分もうまく省略している。シルエットと影を描き、光沢をちょんちょんと乗せる。それだけで、パッと見た時レースに見える。
 頭部や胸までは詳細に描くけど、その周辺はほどよく手を抜いている。なぜそう描くのか……というと、そのように描いた方が実は人間の生理的に自然に見えるからだ。すべてにピントが合いすぎていると、逆に落ち着かない。カメラ技術がまだない時代なのに、“フォーカス”を理解していたのは凄い。作業の簡略化……というのもきっとあっただろうけど。

 全盛期のレンブラントは発注が死ぬほど多く、それを捌くためにめちゃくちゃ描くのが早かったらしい。こちらの作品はモデルが1日しか務めてくれなかった……という。それで現代の画家が「一日で再現できるかチャレンジ」していたが、あえなく挫折。
 そうはいっても、モデルに1日だけ立ってもらって、その間にラフをしっかり固めて、その後じっくり時間をかけて描いたんじゃない……と私は思うんだが。

 修復の様子を高画質で捉えているのも面白かった。こちらのシーンは、長年の汚れを落としているところ。溶剤にひたした布を当てて、めくった瞬間。顔部分の汚れが落ちて、そこだけ色が変わって見える。
 こういうの、本で読んで勉強していたことはあるけど、こんなふうに実際に動画で見るのは初めて。「そうやるのか……」と感心しながら見ていた。

 と、こんなふうに注目ポイントだらけのドキュメンタリー。名画を取り扱っている画商、コレクター、それから美術館の中身がどうなっているのか……。ぜんぜん知らない場面だらけで、数分おきに「おお、凄い」「面白い」が出てくるし、やっぱりカメラが気合い入ってるから「美しい!」という場面が多い。レンブラント絵画を魅力的に捉えている。

 そんなわけで、このドキュメンタリーは「一見の価値あり!」の良作だった。美術に少しでも興味がある人が見たら、誰でも面白いと思うはず。不満があるとしたら……Amazon Prime Videoの画質かな。


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