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「掃除をすると運気が上がる」の本当の意味~「神様」を考察・解説してみる話~


今まで「掃除をすると運気が上がる」と言われてやってみたけどあんまり変化なかった方、聞きはするけどホントかなぁと半信半疑な方、そもそもなんで「運気」は掃除により良くなるの?と疑問に思っている方。

もしかしたらこのお話がヒントになるかもしれません。
お話の量的に前編・後編と分けたほうが良いかもしれないボリュームですが、中途半端に区切ると大切なことが伝わりづらくなるかもなのでこのまま投稿しますね。

お暇な時に是非読んでみて下さい~

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さて改めまして本日は「神様」を意識的に感じながら祝詞を捧げた日々の先、こんなことがあったよ!という体験談を紹介いたします。

神様と聞くと「オカルト」「怪しい」と感じる人もいるかもしれませんが、勧誘の話とかではないので安心してください(笑)
そもそも私は一般的な人が思っているような「神様」の概念を持ち合わせていません。
それについて不思議な実体験とともに説明したとい思います。


『私の考えている神様の概念』
まず初めに「神様」について少しだけお話いたしますね。
皆様は「神様」と聞いてどのような事を連想しますか?
日本の人ならば多くの人が寺社仏閣を頭に描き、如来さまや観音さまを連想するのではないでしょうか。
そうではない人は「一神教」としての神、つまり唯一絶対のGODの意味する神を連想する方いると思います。

私は「一神教」か「多神教」か問われれば「多神教信者」ですし、神様の「形」をイメージしてと言われた場合一番早く思いつくのは仏様の姿です。

しかし、神道的アニミズムも持ち合わせているので仏様のイメージに限らず「ご神木」や「霊山」も神様として自分の目には映っています。
どんど焼きで燃え上がる炎も神様に見えますし、轟く雷鳴も、切り立った断崖から流れ出る滝の姿も神様として感じることができます。

つまり私が「神様」として認識しているのは物質世界を構成する基盤の五行(木火土金水)、「自然そのもの」であったり、それらを陰で紡ぎ合わせているエネルギー(4つの相互作用)というものを同時に感じながら、それらすべてを総合して「神様」と認識しています。

私にとって世の中にある「神様」の姿は、物質界と精神界を構成する基本情報の「擬人化」という感じなんですね。考えたことない人にはちょっと難しいかもしれませんが、同じような事を想った方にとってはどこかストンと胸の内に収まる解説だと勝手ながら思います。


物凄~く簡単に説明すると、神様の姿は決まっていないのだからどんなものか、どんな姿か、それを考え自分の中に落とし込むのは自由なんですよ~という結論です(笑)

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さて、そんな神様と私のお話です。

幼少期から何か気配を感じながら生きてきた私は、目に見えない領域に対してとても肯定的であり友好的でした。
しかし家庭環境や育ってきた環境がなどがあまり良くなく、成長するにつれて憎悪を膨らませていき、10代の後半から20代の前半位にかけて「神様なんていない!」とやさぐれている頃がありました。

どす黒いものを背負って生きていた為か物事も上手くいかず人間関係も思わしくない。
身を粉にして働いてもいつもお金に困っているような生活。
更に当時は実家暮らしだったため家族からのストレスも絶えずあり、通勤中のバスの中でいつも想像していたものは人知れず山の奥まで足を運びそこから飛び降りるようなイメージばかりしていました。

でもどこか諦めきれないようなわずかな光があり、一念発起するため満足な蓄えもないまま実家を飛び出したのです。

しかし心身ともに憔悴しきっていた状態で家探しをしたため、半場やけくそ、無気力気味に家を選んでしまい、しっかりと吟味することなくそこへ引っ越しました。


引っ越すことで家族から離れることができ心なしか軽くはなったものの、そこから更なる試練の幕開けだったのです(笑)

※以下若干ホラー?怪奇現象?な話なので、苦手な方は自己責任でお願いします!


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【引っ越しして程なく始まる怪奇(?)現象】

引っ越してから程なくして不可思議で不快なことばかり起こり始めました。

一番初めに起こったのは玄関の電球が切れたこと。
その時私は「前の住人がギリギリまで使って変えなかったのだろうな」と思って深く考えませんでした。

次に起こったのは風呂場や洗面台の水漏れ。
これも管理する人?がしっかり確認していないのだろうなと思いすぐに管理人に電話しました。

そして次に起こったのは、何故か「私がお風呂に入って髪を洗うタイミングで電球が切れる」という現象が起こり始めたのです。
お風呂に入るときから出る時までの間で、何故かいつも「目を瞑って下を向き、髪を流すタイミング」で毎回毎回電球が切れる、というか、激しくチカチカと点滅する現象が起こりました。
その時もただただ深く考えず管理会社に電話して対応してもらいました。

しかし業者の方が来て状況を確認後、首をかしげながら言われたのが「どこも悪くない上にこの電球新品ですよ」と言われたのです。

ここでも私は深く考えず「じゃあ接触不良か何かですかね」としてそのまま流そうと思ったのですが、一応念のため…と考えて近くに盛り塩を設置し、お香を焚きながら祝詞を唱えるなどをしてみました。

そしたらそれ以後、電気の点滅事件は無くなったのです。

すると今度は「パキン!」「コッコッコ」と弾ける様な音、金属で叩くような音が玄関や風呂場方面から再三鳴り始めます。
時間はあまり決まってないのですが、多かったのは夜寝る前とか朝方くらいでしょうか。
初めは隣人などが何かをしているための部屋の軋みだとも捉えていたのですか、どうやらそうでもないらしく、一応ラップ音として捉えて音が鳴るたびに拍手して応対していました。
気休めでもと考え、お香を焚いてお経を唱えるなども続けました。

また、夜にベランダの窓が「ガタガタガタっ!」と大きく揺れた時があり(誰かにバンバン叩かれるような感じ)、流石にビックリしたので外を確認したのですが、雨風は特になく穏やかで静かな夜、かつ地震でもなかったことから原因がわからず背筋が凍った時もありました。

そんな盛り塩を設置したり祝詞などを唱える日々を何週間か、また何か月か続けていると音はいつしか鳴りを潜めたのですが、今度は自分の体や身の回りの仕事や人間関係に良くない変化が表れ始めたのです。

まず先ほどまでのような現象が起こっていたと同時に仕事が無くなり、その後もなかなかお仕事にありつけず非常に困難な思いをします。
心はまだめげておらず「生きてやるんだ!」と闘志を燃やし、片っ端から行動しまくって当時30社?くらい面接したものの、すべてダメだったという絶望感を味わった思い出です。

同時に不思議なくらいに身体の調子が暴走し、極端にお腹が空く、極端に食べたがらない、眠れない、かと思ったら眠すぎる、風邪をひきやすい、熱を出したかと思うと34度8分まで一気に下がるなど、ぐちゃぐちゃになるような不調が始まりだしたのです。

とうとう体調不良が悪化して救急搬送されるまでに至り、「ちょっと待て、おかしくない??」と目に見えない何かに疑念を抱き始めたのです。

※ここでの体調の変化は怪奇現象のひとつというよりも、一度に色々なことが起こりすぎて無自覚の精神疾患一歩手前、もしくはすでに自律神経失調症的なものを発症していたのだと思いますが、まず「出来事そのもの」が起こりすぎていることに疑念を抱いたという感じでしょうか。


そしてここの疑念を切っ掛けに、改めて「目に見えない領域」についてしっかりと見つめ直すことを決意した私は、気が付けば独り暮らしをするときに持ってきた「目に見えないものシリーズ」と自分が勝手に呼んでいるスピリチュアル系の書物や哲学書、心理学書、宇宙論、気やオーラにまつわる書、怪奇現象、神々に関することの書、自然に関する地学書などと、併せて自分の今までの覚書の紙の束を引っ張り出し、再度「学問」として取り組むために勉強を始めました。


そこから少しずつですが逆転劇(?)が始まるのです。

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【諸悪の根源を引きずり出す】


勉強を再開しまず初めにふと思い返したのは、十年近く毎年毎年おみくじで「状況変えたかったら神様のことをもっと信じろ(意訳)」と言われる事でした。

毎年行く神社の神様にはもちろん、旅先やふらっと訪れた神社で気まぐれでひいたおみくじにもだいたい決まって「神様を信じろ(意訳)」と書いてあったんですよね。

特に逆境下にあるときはその部分が逆撫でとなって、ますます「神を信じろだぁ?ふざけんな!!」と心が猛反発しておりました。

しかしそんな反発する心とは裏腹に、幼かったあの頃感じていた目に見えない領域のあの感覚。
目に見えぬ存在が常々両隣にあったあの感覚。勉強を再開してからそういったものの感覚が夢を通して思い起こされる日々が続き、日々の生活の中に「朝のお勤め(祝詞上げ)」だとか「瞑想」や「呼吸法」など、自分に合うものを模索しつつ取り入れる様にしてみました。

そうして毎朝瞑想、呼吸法、祝詞上げを行い、自身の魂の暴走をコントロールし統合を行う。
すると徐々に自分の内側から久しぶりに「闘気」のようなものが湧き始め、散々よくないエネルギー(ここでは「魔」と表現します)、「魔」に弄ばれた怒りが怒発展を貫き、「浄化してやる!!!」と、やる気というか力が内側から溢れはじめました。

自分の中の神様を感じながら本格的に瞑想に取り組む事、数か月、数年。
とうとう幼いころのように、自分の後ろか両隣にかけて体を包むほどの、光り輝く大きな両手のような黄金の存在を思い出し、再認識したあの時。


「───掃除を…そうだ、掃除をしなければ」


と、何かが憑依したようにハッとして、妙に掃除がしたくなりました。

普段から一応掃除は行っている方だと思います。
物は床に置かないように心がけていますし、使った物は元の場所に戻す。最低でも週に1回くらいは掃除機に合わせて床を水拭きをしたりします。

にもかかわらず、「掃除だ!掃除をしなければ!!」とうずうずして仕方が無くなったのです。


まず風呂場を念入りに掃除するぞと意気込み、カビ取りハイターやら洗剤など使い隅から隅まで念を入れて掃除していると、洗面台の排水口に妙な違和感を覚えました。

指に掃除用のギザギザのついたシートを取り付けて突っ込み、ガシガシと清掃して引き抜くと────そこからはズルズルズルっ!と真っ黒でロングな髪の毛がここぞとばかりに出てきたのです(笑)

あれだけ詰まっていたら普通水は流れないだろというほどの量が、指二本、三本ほどの狭い穴から大量に引き吊り出されました。
一気に背筋が凍り、その時初めて真面目にホラーを感じ、それを見た瞬間寒気とともに「数々の不幸はこれのせいじゃね?」と思い、同時に胃液がせりあがり「うぇぇっ!!」と嗚咽が漏れました。
(幸い吐かなかった)

そこから二度三度指を突っ込んでは髪を引きずり出すというのを繰り返し、最終的に全くでなくなったのを確認したとき、喉から胸にかけて痞えていたかのような違和感がスーっと引いていったのです。


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【神様に向き合った結果、「魔」を感知する】

よく運気を取り込むために掃除を!なんて言いますが、私は最低でも1週間に1回は掃除機と併せて水拭きもしますし、窓の結露は拭きまくってカビ防止に努めています。
風呂場は勿論、部屋用の防カビ噴射スプレーを撒いて水回りとは関係ないところまで徹底していました。
例の排水口だって時々指を入れて掃除していたので、その時に引っかかって出てきても良かったはずです。

もちろん、毎日毎日隅々までお掃除する時間は無いので至らない部分もありますが、ただ平均よりは掃除や片づけを意識している部類ではあるつもりでした。

そうです、日々の掃除を一応はしている部類に入る。
それでもなかなか好転しない現実に「掃除って意味あるのか」と、逆恨みにも近く神様にイライラした時期もあるぐらいです。


しかし今回は色々な毒素を集約させたような「どす黒い塊」が出てきた。
これは一体なぜでしょうか。

それはいつも淡々とやっていた掃除と、神様と向き合い瞑想や呼吸法を行い祝詞を上げ続けた先の掃除ではやっぱり違うのです。
言葉では言い表せないほどの何かしらの加護と言いますか、良いものにフォーカスし悪しきものを祓い清めるという力が解放されていく、そのような変化が起こっていたからこそ引きずり出すことができた。

髪の毛がズルっと出てきたこともそうです。
なぜならそこはいつも掃除していたはずなのだから、日ごろの清掃で出てきてもおかしくはなかったんですよね。
にもかかわらず「神や自身と向き合う事」を始めた後から出てきたのです。

そしてそこから更に次々と、今まで見えなかった死角となっていた部分にびっしりと生えるカビを見つけたりしたのです。
今まで見えなかった?というより、今までそこに本当にあったの?というようなところにまで。

自分の意識が変わったことにより、まるで悪しきものを感じ取り祓い清めることができるようになったとでも言いますか。

かくして私は片っ端からキッチンハイターや消毒液などを両手に玄関、風呂場、トイレ、部屋、クローゼットなど一斉清掃をしていきました。


そのまま掃除をすればするほど「気持ちがいい!!」という気分が湧いていきます。
淡々と「仕方なく」やっていたいつもの掃除とは大違いの感覚でした。
まっくろくろすけを邪悪にしたような黒い霧のようなものが、どんどん減っていくような感覚を感じましたね。


そして掃除を終え充足感に満たされつつ紅茶を入れ、お菓子をつまみながらブレイクタイムにいそしんでいた私は、最終的にその全貌を改めて再確認し、こう思ったのです。


「あれ、私なんでこんな周波数の低いところに住んでるんだ?」と。


悪霊だの生霊だの、人を拐す「魔」の類が現れるところは「湿気」にまみれたり「カビ」が生えたりするとよく言われています。

私の住んでいるところはまさしくそれで、片っ端からカビを退治しても驚きの速さで復活してくるし、クローゼットの中に湿気取りを複数置いていても木壁が湿っていたりします。
油断するとかけてある服がカビることもありました。

この間も「干して繰り返し使える」と謳う大判の湿気取りを設置してみましたが、「青い状態から赤に変わったら天日干しの合図」と説明書きに書いてありそれを念頭に置いて設置するも、設置したその日のうちに青色は消え、僅か3日で赤に変化し始めていたことに驚愕しました。
それだけ湿気がヤバい場所という事ですね。


悪霊、生霊、「魔」に侵されている、まとわりつかれているときのサインとして、自身の部屋が湿気る、かび臭くなるというのは有名な話ですが、逆を言えば湿気やすい家ほどそういった「魔」の類を呼び込みやすいとも言えます。

だからこそ風水学の基本の基として、風通しや水はけのよさ、土地の状態、太陽光の当たる角度などが重要となるのです。

のちに風水学の先生にそれとなく自分の家のことをお話してみたのですが、曰く私の家は「風水からの視点で言わせてもらうとあなた今生きているのが不思議なくらいよ。開運グッズ置いてどうこうするより、一刻も早く引っ越した方がいいよ」と言わしめた場所です(笑)

なんでそんなところに住んでいるのか。
話を振り返って確認してみましょう。
それはまだ私が20代だったあの頃、家族が嫌いで一刻も早く抜け出したかったあの時、厳重な下調べも怠り、気力もやる気も削がれた状態でただただ家から出たいという一心で引き当てた「家」は、まさしくその時の私のエネルギーの周波数と同じで、低くじめじめとした家との縁を引き寄せてしまったのですね。

自分一人がこの世で一番不幸だと思うほどに重たいものを背負っていた、その時のエネルギーを現実に引き寄せてしまったのだと私は解釈しております。


因みにこの大掃除を皮切りに怪奇現象はなりを潜め、仕事に就くことができ、今まで味わったこともないような友好的な人間関係を築くことができ、体調も少しずつ回復している現状です。
たまたま買った宝くじとかが100円単位から数万円まで当たることもありました。

私はこれを偶然の出来事として片づけるには難しい、とても貴重な体験だと感じています。

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【人生どこかで神様の助けを得る】

この出来事は小さな切っ掛けから自分を鼓舞し、神様と向き合うという自分で自分に課した課題をもとに行動を起こした結果、良い方向へと変化させていくことができました。

やはり自分自身の発しているエネルギーは馬鹿にできないのです。
高いエネルギーにはそれに合う、低いエネルギーにはそれ相応の、そんな風に物事できているのだなぁと実際に体験したからこそ感じています。

そしてそこに合わせて、目に見えない「神様」の存在を意識することにより、より強く、より軽やかな人生を送れる切っ掛けになるのだとも改めて再確認できた出来事でした。

そういった全貌も、私が個人的にしている「魂修行」「神様へのお勤め」を日常生活のなかに取り込み人知れず黙々と取り組んでいった先で明るみに出てきたものです。

このことを、私は本当に「おかげさま」で見ることができました、だからこそ変えることができました、と。今でも思ってます。

私が再三「心地よい波動を意識し、そしてあなたの信じられる神を見つけてください」というのは、こういった事に繋がるからです。


ですので掃除をすれば運気が上がる、というよりも…

日々の掃除と併せて目に見えない者への意識を高めることで、今まで見落としていた欠点の発覚、変化へつなげるためのヒントの掲示などが増えたりより良い内容となったり、そして意識的にその領域に繋がることにより単なる掃除では拭い切れなかった「魔」のたまり場を「祓う(掃除)」という事ができるということ。それらの効果がより強力になったりしていくという事。

このように解釈できた次第です。



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