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文章が読めない私の読書

"カーテンを閉めて、目覚まし時計をいつもより四十分早くセットする。親指とひとさし指で小さなねじをつまんで、ていねいに回す。自分で時計の針を動かすのって、やってはいけないことをしているようで、少し気持ち悪い。"
(少女は卒業しない-朝井リョウ-14ページより)

この綺麗な文字列と表現に惹き込まれる。

「静かな」、「灰色の」、「ノストラジック」、「11月」…
と、私の中で単語が浮かんでくる。ノストラジックなんて言葉使ったことないし、意味を知らないからネットで調べて納得する。ちなみにこの小説は3月の卒業の話だから11月って単語が出てきたのは上手く説明できない。

文字と映像が浮かぶと同時に、文字の主役が
少女から指に転調してるような感覚が聴こえる。
この小説はオーケストラだ!と発見したように感動する。

最近、小説の面白さがやっとわかってきた気がする。今まで脳の障害の影響もあって文字が上手に読めなかった。(今は静かな環境であれば読める)
だけど、文字が頭に入って来ないなりの楽しみ方を知った。

「言葉遊び」って私は呼んでいる。

日本人の小説を読んでると、文字が、言葉が、遊んでる。
リズムを響かせてたり、綺麗な言葉の積み木を発見すると、流れ星を見たような儚い感覚が刻まれる。

だから、小説で文字たちと一緒に歌ったり、踊ったり、色んな方法で遊ぶ。

逆に、翻訳された外国の小説は、言葉遊びってより、
頭にスクリーンを作って映像化させる感覚だから、内容重視である。(赤毛のアンはちょっと違う)

本の登場人物に憑依するように読むこともある。

ちなみに私の独断なのだが、
小川洋子さんの本は言葉の旋律が穏やかで高血圧の人に良さそう…とか、
朝井リョウさんは、言葉が空みたいだからマンション住まいで窓が少ない私には綺麗な風景を与えてもらってる感覚になる。

最近、本のソムリエの存在をしって、すごく憧れる一方、私の視点はきっと独特だから本のソムリエには適してないかもしれない。

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