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旅と日常が循環するライフスタイルホテル「MEGURU|巡」へ【沖縄県石垣島・川平湾】

2泊3日を過ごした石垣島川平湾の「MEGURU | 巡(以下、MEGURU)」を離れる時、まだまだやりたいことも、見たい景色も、感じたい風もあったのに、どうしてだか満たされた気がして、不思議な気持ちで車に乗って石垣の港を目指した。

MEGURUの部屋から見える、石垣島は川平湾を臨む吉原集落の風景

朝起きて、沖縄の風景を思わせるカーテンを開け、海風を誘うために窓を開けたこと。音楽を聞こうと準備をするときに、Spotifyをポチり、ではなく、ラジカセにテープを入れて、久しぶりにアナログな音を部屋に響かせたこと。そしてその音は永遠ではなく、たとえば歯磨きをしている最中などに、カチリ、と音を立てて突然止まっていたこと。

長らくデジタルの世界に身を浸していると、なんだか音楽って永遠に鳴り続けて、レコメンドされて、私にフィットした音色が暮らし中に蔓延り続けてくれるような錯覚を起こしてしまいそうになる。けれど違うのだ。本来音楽とは、「情報」ではなく、その先に誰かの楽器や、声や、想いなどが重なり合って、基本的には時間の制限があって、一つずつに終わりがあるもので。

MEGURUには、手触りがたくさんあった。たとえばラジカセ、たとえば手紙。インクは蔵前・Kakimoriのものだった

A面からB面に変えるために、ラジカセからテープを取り出してひっくり返す。手間が愛しい、とか、そういうことでは多分ない。MEGURUで過ごす時間は、「還る」時間のような気がしていた。

私が泊まった「miji」の部屋
部屋の名前は、石垣に伝わる伝承に由来するそう

「便利」という現代のヴェールは、日々の暮らしの小さな出来事の手触りを、少しずつあやふやにしていたのかもしれない。便利が悪い、とかでは全然なくて、けれど「今ここ」にある時間の刻みに無自覚になることは、五感の豊さや生きるしあわせ、みたいなことを、ちょっとだけ蝕んでいたんじゃないか、という事実に目を向けさせてくれた時間たち。

mijiのキー、造形がとても素敵だった。部屋の窓辺にて

この風は台湾の頬を撫でてきたのだろうか、とか、今日の海は凪だ、とか、突然雨が強く降ってきた、とか。巡ってきたものを、受け止めて、そして次に流していく。そういえば私たちも、そういう循環のなかに在るだけの、フラットな。

MEGURUから歩ける最寄のビーチ。周囲に誰もいなくて、海は凪だった。すぐそこに石垣島の最名所とも言える川平湾がある

歩ける距離のビーチに出て、海で泳ぎ、魚とたわむれ(波打ち際に、熱帯魚や、手のひらよりも大きなサイズの魚たちがたくさん泳いでいて、あまりの人間を恐れなさに、魚生?を楽しんでいる雰囲気を感じた)、やはり近くの滝で汗を流し、さっき泳いでいた海を眺めながら、サウナを往復もして汗を流す。

元ペンションをリノベーションした、全6室のMEGURUと海をつなぐ道

ハイビスカスエキスを含んだ「TRUE NATURAL」のシャンプーとトリートメント、カラダの水気を「IKEUCHI ORGANIC」のタオルで拭き取っていく(ついでにバスマットもイケウチだった)。「Miyo Organic」の歯磨きペーパーで歯を磨いて、髪を乾かしたら、「NELL」のベッドで束の間のお昼寝タイム。目覚めたら、気のせいかな、細胞がピン、とアンテナを張り出すような気配がした。

誰かが選んだアメニティに触れる時間は、愛しい

「NOWHOW」の軽やかなパジャマは部屋着代わりにもなって、MEGURU 1Fの「日常茶飯事(にちじょうさはんごと)」の食事は、朝どれの新鮮なオクラを、生でポリポリ、と音を立てながら食する美味しさを教えてくれた。

当日のMEGURUの野菜は、吉原集落を支えている「狩俣ストア」のものだった
月桃と島レモンの香草茶

特筆すべき、何か特別なことをしたわけじゃない。川平湾を見渡す少し小高い丘の上に建つ、6室のMEGURUの「miji」の部屋に2泊3日の旅をして、その部屋に少しの日常を混ぜていただけ。

ロビー、そして日常茶飯事の空間

一つずつていねいに選ばれたモノたちに触れ、時には石垣島のクラフトビールを飲み、泡盛にコーヒーを混ぜて(これ、美味しいのだ)、たまに「泡盛チャイ」を飲んだりもする。できれば夜は満天の星を眺めたかったけれど、梅雨の沖縄の晴天率は、予想に違わずなかなか難しいもので。

海に雨の滴が落ちて、雲は流れ、椰子の葉は揺れる。砂浜は濡れて、時折白波が遠くに立つ様子が見える。

晴れ渡る沖縄の魅力の裏には、雨や曇り、ときには自然が猛威を振るう台風や、もちろん肌寒い日などが必ず在る。そして、短い旅の間に、どんな天候の沖縄の表情に出会ったとしても、それを肯定できるしなやかさが私はほしい。そして、それを自然体でやってのけているのが、MEGURUという空間だったのではないかと私は思う。

繰り返しになるけれど、この空間に身を浸す時間を重ねることは、なんだか、「還る」ことのような気がしたのだ。何かを得るのではなく、在りたいところに、きちんと差し引きをして、フラットに、まず戻る。そうしてフラットになれたら、もう一度手のひらに大切に乗せておきたいモノコトに、前よりも敏感に反応ができる自分が現れるのではないか。

「どこか遠くへ行きたい、できれば心落ち着かせる時間と、心浮きたさせる時間の両方が混ざる場所に行けたらいい」。そう感じる人にこそ、訪れてみてほしい6室の部屋たちの。緑深く、海の色透き通り、鳥たちを飛ばす南国の風が、柔らかく部屋を吹き抜けるMEGURUの日々を。


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