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それ収穫したくてその種蒔く

みなさま。いつもありがとうございます。

本日は業(カルマ)の清算のお話。

7月終わり頃から、この8月も目に見えるように大変化がシナリオ通りに進んでいます。
世界的にも。英国に、シオニストイスラエルに、ウクライナに、米国に、日本に、経済に、政治にと、全てが「冷静に考えてみれば自然で正常はこうなるよね」というように次々と嘘のメッキが剥がれてバブルは弾けて。
本当はこうなっていたんだよという真実の姿を民に見せて目を覚ますように、まだまだ進んでいくのでしょう。
今も日本でどの情報をどう伝えているか、伝えず隠してしまうかのシステムは大きくは変わっていないのでしょうが、今はインターネットで「現地の声」「現場の声」を知る事はできますし、情報開示された資料もアクセスして、翻訳のソフトを使うことで、真実を知る事ができます。
こういう嘘や悪巧みのために作った概念やルールを植え付けることで、これが人の常識だと生きてきたのだから、今回の大変化、パラダイムシフトに適応するには、ひとりひとりの自らの意志によるリセットが必要になるなぁ・・・と考える時があります。


そんな中のこれから新時代完成までずっとの期間。
受け入れられる受け入れられない、好き嫌い。ではなく。
嘘の中で生きて社会構造を作って「これが社会だ」「これが大人だ」と、生活のお金のために従わなくてはいけなかったけれども。
どんなに「本当はおかしいと思っていた心」あっても。
過度に競争の中、他人様をさげすんだり、傲慢と傲慢の傍観、いじめやいじめの傍観。日々にある小さなことまで。例外なく、「思う」「言葉する」「行う」全てが自分のカルマとして清算となります。
終焉があるから再生ですので、全員が全ての収穫の時なんですね。

こういうお話をするとカルマの清算は怖いと思う方も多くいらっしゃると思います。でも、これにてやっとお金やものや立場の価値でない、安心と安定の平和であり優しい思いやりの時代と向かうのですから、現在の概念を更地にして考えてみれば自己の人生が輝ける始まりの喜ばしい慈悲の事柄でございます。今からを打算なく、正のカルマの種を蒔きながら改心していくだけです。

清算する刈り取るという言葉は怖くも感じるものですが、収穫という言葉に置き換えると、今この瞬間に自他の喜びの果実のためにどんな種を蒔けばよいかを意思決定していくことができます。
恐れを抱くという事自体が、自らの言動や思いが「なにもの」なのかを見つめ直す事ができるという証拠なのですから。


受け入れるということから終わりと始まり

人は自らを受け入れられていない時に、必死で「自分の正しさ」を主張して自らを誤魔化すための保身の言動や鎧の中に身を塞ぎ込むことを始めます。
自分を守ることは全く悪いことではありません。ただ、ありのままの自分を受け入れる事には未熟さや反省が必ずあるのですが、それが出来ない事に対して誤魔化し逃げることが、浄化しない負のカルマを増やして色濃くしてしまうのです。
様々な自己啓発に繋がる情報であっても根底の受け入れられない保身なため
「自己肯定は素晴らしい自己否定はだめ」という表面を短絡にしか捉えなくなってしまったり、ポリアンナ症候群のように「過剰ポジティブ防御」で本質的な問題や課題を見ないように避けてしまうことで、成長なく未熟なままに悪行加担をしてしまう傍観者の負のカルマの種を蒔いてしまいます。

自分や自分たちの「これは良くなかった。直していこう」というものではなく「あいつが悪い」「これが悪い」と自分たちの正当化をする思考や会話が行われている場所がそこにありますので、改心して新しい世界や時代に生きるための自分を受け入れることができる人は離れてしまうのがいいです。
ここから経済もリセットとなります。様々な組織のお取り潰しが増え続けますが、このリセットで残るもの、残らないものの違いは、金融の状況や情勢ではなく、実はこの個人単位での精神的成長が決定となります。
仕事、ビジネスという事であっても、力を発揮する優秀な人ほど、洞察力を使い、内観するので、周囲の環境や人間性をよく見てリーダーシップをとるので、消滅する企業はお金の状況よりも先に「優秀な人間から辞めていく」という現象が起こります。
優秀な方は「理念」と「情熱」があるため。立場やお金など様々な条件よりも「働きやすさ」を求めていきます。仕事とは社会や人に対する奉仕の与え合いだと知っているので、打算が過ぎてしまっている場所では自分の力が充分に発揮できないことを認識しています。
「働きやすさ」という点を見てみると。打算、保身、承認欲がある場所で人が粗末に扱われていても、ポリアンナ症候群のように「自分が傷つかない方法」が身についてしまっていれば、「辛いと感じない」という麻痺が起こります。偏った過剰ポジティブも最後は「自分は自分で他人は他人」という言葉を如何にも達観に見せるように振りかざして、傍観者である自分の正当化に入るので、集団意識の負のカルマで消滅していきます。
情報の発信や、情報そのものを「都合」と「言い訳方法」で解釈することも繰り返してしまうものです。
自分の内側に深く深く入って、受け入れることから、終わらせて、始まりを迎えますので、「これが自分」「自分軸」という思い込み概念から浄化することです。言い張る、拘るでしか守れない自分に「自分軸」は存在しません。自分軸あらばスッと受け入れ反省し変化してと次々と進化していくものです。


こうした事も、厳しく感じたり、怖く感じたりの方がいれば、「ああ、そうだな」と簡単に気づきとして、思考と意思決定に組み込み実行する方もいるものです。
何が違うのか。その答えは、根底はそれぞれの自己成長なのですが、環境を変える事や関わる人を「善い」に変えていくことで見えるものだと思います。


自分の持っている力を世のため人のために発揮しない天津罪
自分の都合と保身のために人の力を発揮させない抑圧の国津罪
これが祓戸の現象によって消滅する人が持つ罪穢れです。


清く浄化して、清々しく、穏やかに
実りを楽しみにする種を蒔きながら進んで参りましょう。

この度もお付き合い戴きありがとうございました。

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