カフカの日記を読む日記 5(2024年6月21日から6月26日)

2024/06/21

 しかし、カフカの日記の冒頭の文章に「私」はいない。さらに、いちおう1910年に書かれたことはわかるが、そこに日付はない。

 列車が通りすぎるたびに、見物人たちが立ちすくむ。(2)

カフカの日記 、みすず書房、2024年

 果たしてこれは、ほんとうに日記なのだろうか。


2024/06/22

 私たちは『カフカの日記』と題された本を読んでいるので、その文章を日記として読むことはできる。
 日記として。つまり、ある日カフカはその出来事を体験したのだろうと読むことができる。
 しかし、日記としてでなければ、その文章はいったいどう読まれるのだろう。そこで、日記という文脈を外して、先に引用したカフカの文章を読んでみたい。


2024/06/26

 日記として読むのでなければ、カフカはその文章をどのような意図で書いたのか、決定できないだろう。
 つまりその文章は、どのように読んでもいいのでどんな文章より読みやすいと言えるが、どのようにも読めるため究極的には読解不可能だとも言える。
 誰にでも読まれうるがゆえに、その読みが決定されえない文章。

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