トミト

小説・本の感想・短歌を投稿していきたいと思います。よろしくお願いします

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最近の記事

カフカの日記を読む日記 6(2024年6月28日から7月5日)

2024/06/28 そもそも、列車が通過するたびに見物人たちが立ちすくむとはどういった状況なのだろう。見物人たちは何を見にきているのか。列車か、それともちがう何かか。 2024/06/29 列車だとして、どうして見にきたそれを前にして立ちすくむのだろうか。  列車なるものがあるらしいとどこかで聞いたが、じっさいにそれを見たことはなく、いざ目の当たりにして、「はっや!」と感じて立ちすくむ。そういうことなのだろうか。 2024/07/01 それとも、見物人たちは列車ではない

    • カフカの日記を読む日記 5(2024年6月21日から6月26日)

      2024/06/21 しかし、カフカの日記の冒頭の文章に「私」はいない。さらに、いちおう1910年に書かれたことはわかるが、そこに日付はない。  果たしてこれは、ほんとうに日記なのだろうか。 2024/06/22 私たちは『カフカの日記』と題された本を読んでいるので、その文章を日記として読むことはできる。  日記として。つまり、ある日カフカはその出来事を体験したのだろうと読むことができる。  しかし、日記としてでなければ、その文章はいったいどう読まれるのだろう。そこで、日

      • カフカの日記を読む日記 4(2024年6月12日から6月20日まで)

        2024/06/12 現にそういう研究は無数に存在するし、どれに焦点を絞るにせよ、カフカ好きとしてはどのアプローチも詳しく検討したいところだ。しかし、それらを差し置き、この私自身の日記のなかで私が強調したいことは、ただ一点である。 2024/06/16から6/19「カフカ的なもの」があるとすれば(いやいや、そんな大上段に構える必要なんてなくて、小説であれ何であれ、本なんてみんな好きなように読んだらいいと思うし、もちろん「好きなように読む」という読み方がいちばんいいと言うつも

        • カフカの日記を読む日記 3(2024年6月8日から6月11日まで)

          2024/06/08 しかしどうしたものか。ほんとうに「おれ」でいいのだろうか。だんだん自信がなくなってきた。その点、ドイツ語は「ich」と書くだけでいいから迷わずに済みそうだ。原文を参照すれば、カフカが日記にichと書いていたことはすぐにわかる。 2024/06/09 カフカのichを日本語にするとしたら「ぼく」だろうか「私」だろうか、それとも「おれ」だろうか。あるいは「うち」や「わし」の可能性だってある。  そもそもカフカの一人称として、ほんとうにichはふさわしいのだ

        カフカの日記を読む日記 6(2024年6月28日から7月5日)

          カフカの日記を読む日記 2(2024年5月31日から6月7日まで)

          2024/05/31 しかしいきなり困った。一人称が難しい。カフカの日記に合わせるなら「ぼく」がいいような気がするけれど、いざ使ってみると「ぼくぅ?ぷぷー」という感覚がつきまとってくる。どうしたものか。 2024/06/01 ひとまず一人称は「おれ」でいこうと思う。しかし、実を言えば一人称「おれ」に対しても、「おれぇ?ぷぷー」という違和感がある。どうしたものか。どうしようもない。よほど気になるようだったら、状況に応じて一人称を変えていけばいいだろう。いい考えだ。 2024

          カフカの日記を読む日記 2(2024年5月31日から6月7日まで)

          短歌 五月まとめ

          おれかなりやさしいですよメルカリの受取評価めっちゃ褒めるし 考えることに自分の靴の重みを負わせたくない帰り道 どこにでも非常ボタンはあっておれとっくに非常事態だけれど 別れ話をされにゆくこんな日にあたらしい靴履いちゃうもんね 唐突にフィルムの気泡目に障り指をすべらせ告げるさよなら 詩のなかの海の文字だけ塗りつぶす岸辺で君と出会いたくない

          短歌 五月まとめ

          カフカの日記を読む日記 1(2024年5月30日)

          2024/05/30  カフカの日記を読み始める。せっかくなのでカフカの日記を読む日記をつけてみたい。どれくらい続くのかはわからないが、もしすぐに終わってしまったらおれは残念な気持ちになると思う。いや、ならないかもしれない。  日記は以下の版を参照します。 『カフカの日記 1910-1923 新版』マックス・ブロート編、谷口茂訳、みすず書房、二〇二四年。

          カフカの日記を読む日記 1(2024年5月30日)

          こどもの日の短い午後

           こどもの日にゲームを買ってもらってほくほくな甥っ子だったが、シュリンク包装を破れずに困っていた。  となるとおれは、「ほんとうは秘密にしておきたかったけど、ちょっと久しぶりに使ってみるか」と口を挟まざるを得ない。さっそく指先に気のような何かを集め始める。最初こそ甥っ子も「何を言ってるんだこのひとは?」と言わんばかりの冷静な態度で応じていたが、おれがなかなか集中をやめないでいると、「え?ほんとに?」と口にしたりしてワクワクを隠しきれない様子で、そうなれば当然おれのほうもだんだ

          こどもの日の短い午後

          短歌 四月まとめ

          四月馬鹿自己紹介のでたらめなタップダンスで膝はじけ飛ぶ 君が死んだら僕も死ぬなんて言わずにおれとポケセン行こうぜっ! 教えてよ恋の how to 脳天に突き刺す手刀 heart to you クソデカいサングラスかけて走った砂浜でプロポーズするなよ やわらかく口ずさんでるロビンソンきょう彼は友だちを殴った これをこう!いやちがうってこれをこう!こうしてからのこう!これをこう! 好きピの「ピ」ピョピピョピポーのピ今日から君はピョピピョピポー「ピョピョピポー」 もし

          短歌 四月まとめ

          安部公房『密会』を読んで――聞いてほしくないものは聞いて、聞いてほしいものは聞かない

          1. 問題の所在    二人の人間が秘密裏に会うこと。いくぶん大雑把なことは承知で、「密会」をそのように定義しよう。  するとその言葉の要件の一つは、会っていることが誰かに知られてはならないこと、となるだろう。つまり「秘密」である。しかし秘密には、会う二人のほかにそれを知ろうとする者が必要である。ゆえに二人は会っていることを隠そうとして、それが秘密になる。知ろうとするひとがいなければ、それは秘密ではない。そのような秘密を含むことで、「密会」はどこか性的な匂いをまとい、その二

          安部公房『密会』を読んで――聞いてほしくないものは聞いて、聞いてほしいものは聞かない

          遠ざかる背中に先まわりすることの難しさ

           その階段をいまでもときおり夢に見る。そのとき、私はいつも階段のいちばん上から飛び降りる。その階段は十三段だったので、縁起が悪いという理由からいちばん下の段より下のところには板が敷かれていた。それで十四段ということらしい。私は生まれてから高校を卒業するまでその家に住んでいた。  その階段をいまでもときおり夢に見る。そのとき、私はいつも階段のいちばん上から飛び降りる。その階段の両側は壁だった。手すりはなく、どこか詰まったような感じがしていた。上るときも下りるときも壁に手を添え

          遠ざかる背中に先まわりすることの難しさ

          【後編】存在のまぶしさ、あるいは母の気合い

           後部座席に兄妹が揃うことで、車内はかなり賑やかになった。陽射しは依然として暖かい。替え歌でひとしきり盛り上がったあと(あわてんぼうのサンタクロースがおならをしたという替え歌である)、甥っ子が一枚の写真を私に見せてきた。  その写真には、甥っ子と姪っ子、そして彼らの従姉妹たちが写っていた。弟の奥さんの姉夫妻の子ども、すなわち甥っ子の従姉妹にあたる子どもは二人だった。 「この前ね、チェキで撮ったんだよ」  甥っ子の言葉に私は「やるやん」と答えた。甥っ子はまんざらでもない様子であ

          【後編】存在のまぶしさ、あるいは母の気合い

          【前編】存在のまぶしさ、あるいは母の気合い

           弟の車に乗り込んだ私の顔を見るなり、甥っ子と姪っ子が妙に緊張感のある様子で口を開いた。 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」  どうやら二人は新年の挨拶を何度も練習していたらしい。緊張感から解放された甥っ子が晴れやかな笑顔を向け、私の名前を呼び捨てにする。なぜ自分の名前が呼ばれたのかわからなかったが、私はそれに「ういっす」と応じた。  弟がある和食屋の名前を口にする。私たちはその和食屋で母と待ち合わせをしていた。私と弟から見れば母だが、甥っ子たちか

          【前編】存在のまぶしさ、あるいは母の気合い