【後編】存在のまぶしさ、あるいは母の気合い

 後部座席に兄妹が揃うことで、車内はかなり賑やかになった。陽射しは依然として暖かい。替え歌でひとしきり盛り上がったあと(あわてんぼうのサンタクロースがおならをしたという替え歌である)、甥っ子が一枚の写真を私に見せてきた。
 その写真には、甥っ子と姪っ子、そして彼らの従姉妹たちが写っていた。弟の奥さんの姉夫妻の子ども、すなわち甥っ子の従姉妹にあたる子どもは二人だった。
「この前ね、チェキで撮ったんだよ」
 甥っ子の言葉に私は「やるやん」と答えた。甥っ子はまんざらでもない様子である。
 そこで私は戯れに、その写真のうちのどれが甥っ子なのかを当ててみせると宣言した。「いいよ」と甥っ子が応じる。その表情は自信に満ちている。
 もちろん、私にはどれが甥っ子なのかわかっていた。写真のなかに男の子は一人しかおらず、目の前にいる甥っ子と見比べることもできるのだから間違えるはずがない。私は最初から外すつもりでその遊びを提案したのである。
「これだ」
 私は甥っ子からもっとも離れた位置にいた女の子を指さした。
「えー!ちがうよー!」
 甥っ子の反応は私が想定したよりも大きかった。しかも、まったく呆れたところのない「ちがうよー!」だった。
 以前のことである。帰省していた私に母が外食を提案した。肉が食べたかったらしく、すき焼きかステーキかの二択を迫ってくる母。私は自分の用事を済ませてから、その二択を改めて確認するふりを装いつつ、実家の近くにあるラーメン屋の名前を二つ挙げた。
「違う」
 母はため息混じりにそう言い、それから「わざとやっとる」と呆れた口調で付け加えた。母は何も間違ったことは言っていない。私はたしかにわざとやっていた。しかし、私はその態度に少し傷ついたのである。
 だから、呆れたところがないのはとてもいい。あまりによかったので、私は大人げなく舞い上がってしまったとも言えるだろう。
「わかった。もう一回当てさせて」
 甥っ子が「いいよ」と答える。私はそうだなあとひとしきり悩むふりをしてから、やはり甥っ子ではない女の子を指さした。とうぜん甥っ子は納得がいかない。
「えー!ちがうー!なんで!なんでわからないの!ほら、ぼく、ここにいるじゃん!」
 そう言って甥っ子が注目するよう促したのは、私の目の前にいる甥っ子の存在そのものだった。写真のなかの自分はこれだとは言わない。目の前の自分をちゃんと見ろ、見てから写真のなかから見つけ出せと、甥っ子は懸命に訴えていたのである。
 存在がまぶしい。甥っ子の様子はたしかにかわいかったが、それはかわいいなどという言葉には収まらない何かだった。存在そのもののまぶしさ。おそらくそれは、存在そのもののまぶしさである。
 私の存在がこれほどまぶしくなることはもうないだろう。なぜもう私の存在はまぶしくならないのか。わからない。しかし、私はその悲しみを甥っ子に気取られるわけにはいかなかった。なぜなら私は大人だからである。少なくとも甥っ子よりは大人だから、ここで私の悲しみをめいっぱい表現して、存在のまぶしさを発揮するわけにはいかない。
「ごめんごめん」
 私は大人が子どもに見せるような微笑を浮かべて謝り(きっとうまくできていただろう。こんなことばかりうまくなるから嫌になる)、写真のなかの甥っ子を指し示す。甥っ子は満足そうにからだをくねくねさせた。
 そのくねくねが一通り終わったところで、魚を模したポーチに夢中だった姪っ子が立ち上がり、後続車に注意を向ける。
「ミユちゃん、ついてきてるー」
 姪っ子が言う通り、母はちゃんとついてきていた。母は甥っ子と姪っ子に自分のことを「ミユちゃん」と呼ばせていた。「おばあちゃん」と呼ばれるのが嫌だったらしい。
「ミユちゃん、お年玉くれるかなあ」
 母の車を確認したのち、そう口にしたのは甥っ子である。母はお年玉を間違いなく用意していたが、どうやら和食屋では渡していなかったらしい。
 それから甥っ子は、従姉妹の親夫婦にもらったお年玉について話し始めた。やはりお年玉なのである。小学一年生にとっては、お年玉が人生のすべてなのだ。
 少額ではあるが、私はすでにお年玉を渡していた。思えば、そのあたりから私たちは仲良くなった気がする。ということは、もしかすると次のような仮説も成り立つかもしれない。私が弟の運転する車に乗ることができたのは、私自身が魅力的だったからではなく、お年玉をあげたからではないか。いや、このことについては考えるのをやめよう。
 こうして私は別のことを考え始めた。甥っ子はどうすれば母からお年玉をもらうことができるのか。私は甥っ子にある提案をした。
「もう一回あけましておめでとうって言えば、もらえるかもしれないよ」
「えー?」と甥っ子は首をかしげる。「同じこと二回言うの?」
 もっともな疑問である。
「そう。そうしたら、ミユちゃんなんて言うかな?」
「えー?わかんない」
「じゃあやってみよう」
 けしかけた側が言うのはおかしいが、私にもなぜそうなってしまったのかわからないまま、甥っ子は母に二回目の新年の挨拶をすることになった。

 私たちは喫茶店に着いた。おみやげがもらえるという話題の喫茶店である。食パン二斤や卵などおみやげの種類は豊富で、帰り際にそのうちの一つを選んでいくというのがその喫茶店のルールだった。もちろんおみやげをもらわずに帰ることもできる。
 すでにモーニングが終わったというのに、店内はなかなかの賑わいを見せていた。私たちは子ども連れということもあり、奥まったところにある大きなソファ席に案内された。
 タッチパネルを操作してメニューに目を通し、それぞれ好きなものを注文する。私はホットコーヒーを頼んだ。
 注文した品を待つあいだ、さきに口を開いたのは母だった。甥っ子と姪っ子に職場の同僚が作ったというキーホルダーをプレゼントする。私が見た限り、そのキーホルダーはデザインされたただの棒だった。
「鬼滅のキーホルダーみたいだよ」
 母は甥っ子にキーホルダーの説明をする。たしかにそのキーホルダーの棒の部分は、市松模様のデザインだった。
 その言葉を聞いて甥っ子は頷いたが、いまひとつ興味を惹かないようだ。前に会ったとき、たしかに甥っ子は鬼滅の刃に夢中だった。そのことは私も覚えている。しかし、もういまはそれほど熱中していないのだろう。
 いや、もしかすると、鬼滅の刃に興味を失ってしまったというだけではないのかもしれない。甥っ子には、そのキーホルダーよりも気がかりなことがあるのだ。現に、そのキーホルダーを触りながらも、甥っ子は私のほうをやたらと気にしてくる。
 もちろん私はすぐにピンときた。甥っ子は新年の挨拶(二回目)のタイミングを見計らっているのである。私は甥っ子に頷いてみせた。早ければ早いほどいい。躊躇してしまうとどんどんやりづらくなる。私はみずからの首肯にそのような意味を込めた。
 驚くことに、私たちは視線を交わすだけで、コミュニケーションができるほど仲良くなっていたのである。私の存在意義はお年玉にしかない。そんなことはもう誰にも言わせない。
 しかし、甥っ子はなかなか言い出せないでいた。私の意図を汲み取れている様子もない。甥っ子の表情がどんどんニヤニヤしてくる。やはり恥ずかしいのだろう。ここから無理に促してもいい結果を招かないことは、経験からよく理解していた。それに、新年の挨拶を二回することのいったい何が面白いのか、私にもわからなくなっていた。私たちはなぜそんなことをしようとしていたのか。
「もうやめよう」
 私は甥っ子に言う。甥っ子は相変わらずニヤニヤしていたが、私にはその表情がどこかホッとしているように見えた。
「どうしたの?」
 私と甥っ子の様子を見て母が尋ねた。私は事の経緯を母に説明する。甥っ子はやはりニヤニヤしながら、私と母のやりとりを見ている。一通り説明を終えたところで、もし甥っ子が二回目の挨拶をしていたらどう受けたかと私は母に訊いた。
「さっき言うたやーん!」
 母はそう答えたという。母は関西人ではない。「さっき言うたやーん」と言ったときの声量も小さかったから、果たしてほんとうにそう受けていたかどうかも怪しい。しかし、この日の母は間違いなく気合いが入っていた。気合いが入ってるなあと私は思った。もしかしたら、母の存在もまぶしいのかもしれない。
 注文していた飲み物が届く。その後、甥っ子と姪っ子は無事に母からお年玉をもらうことができた。

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