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地球儀を自転車にのせて 第四回「ワールドターニング」
地球儀を自転車にのせて 木村太郎 第四回「ワールドターニング」 きみは、いつもいつも。時を止めようとばかりしているね。ヒトの欲。ヒトの形。ヒトの頭。遠慮なくごりごりと音をたてて回る地球。どでかい土の塊。その摩擦。噛み潰すように筆を走らせる。その摩擦。不細工な詩人たちは、時を俎にたたきつける。打刻。その摩擦。熱、水蒸気のように立ち上る幻覚。咳き込んだのは誰だ。俺じゃない。俺だったらいいのに。 ハッピー・ニュー・イヤー(そして僕にとってはおよそハッピー・バースデイでもある)!おめでとう、新しい年が新しく始まる。新しいという言葉は変わり果ててしまった。習慣も様式もさ、古くさいから意味があるんだよそんな簡単なこともわからないのかい。と、彼は笑う。 新しさは苦しみになった。新世界は窒息の世界、ちょうどあのアポロ11号の嘘めいた映像のように、きみは真っ暗な月面に、立ちつくすこともできずとんだり跳ねたり繰り返している。 もう一年も。馬鹿みたい。だけどとてもキュートだと俺は思う。 「宇宙なんぞ崩れてしまうがいい──警鐘を鳴らせ──風よ吹け!破滅よ来たれ!せめて鎧をつけて死のう」マクベスの言う通りだ、俺もそう思う。だけど俺はシェイクスピアじゃないし。「おおうみの いそもとどろに よするなみ われてくだけて さけてちるかも」こっちの方が性に合う。実朝は地元も近いし。乱暴者はすこし間抜けなくらいじゃないと。 大晦日にはいつも、なんとか間に合うように寒波がやってくる。大晦日には大体のことが間に合う。なんとかなるものは全部なんとかなる。手遅れだったいくつかを想いながら、薄めすぎた絵の具みたいな空をながめる。あれ以来ぼくは初めて、大声で歌いたいような衝動を感じた。 メモによると「ワールドターニング」という曲を書いたのは2017年のことだった。何も変わっちゃいない。ずっとヘンだったじゃん。しがみついてきた泥舟が、溶けてなくなっただけだよ。あったもんがなくなったんじゃない、最初から何もなかった。一から始めればいい。 前触れもなく時が動き出す。色や形を俺は見失う。待ちに待った日々だろう。世界は回る。その摩擦。熱、水蒸気のように立ち上る幻覚。見届けよう。世界は終わらないし、これはゲームじゃない。新しい年が新しく始まる。なめらかに、潔く柔く、心を弾ませる。
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地球儀を自転車にのせて 第三回「やさしい人」
地球儀を自転車にのせて 木村太郎 第三回「やさしい人」 そんなに熱心なファンではないけれど、サウナは好きだ。というか水風呂が好きだ。冷たい水が大好きだ。水道水だって、いつもがぶがぶ飲んでいる。 水はなんというか清潔な感じがいい。雨とか川とか、風呂を磨くときとか。漱石の何かに出てきた花瓶みたいなやつの水とか。海の良さはまた少し違うけれど、でも海もたまにそういう感じになる日がある。 そういう機微がないのがいわゆる東京砂漠というやつで、サウナは都会のオアシスということになっている。そんな立派なものだとは思わないけども、疲れもとれるし、友達とだらだら話すにもうってつけなので、なんだかんだ月に一度くらい通っている。 このあいだは時速36kmの仲川と板橋の有名なスーパー銭湯に行った。昼過ぎに待ち合わせて、気がついたら夕飯時だった。すっきりしたからね、さっぱりしたもの食べようね、なんて言いながら駅前をぐるり一周したが、ろくな店がやってない。 諦めて池袋でも行こうと決めた矢先に、黄色い暖簾の古い中華屋を見つけた。カウンターに10席くらい、常連の爺さんたちが、飯も頼まず酒を飲んでいる。これはきっといい店だ。煙草も吸えるし… 爺さんたちの負のオーラに怯む仲川を後目に、瓶ビールと餃子を頼んだ。頼んだ後で壁にかかった札を見たら、ラーメンが380円のいかれた店だった。 仲川は400円のニンニク焼きそばをうめえうめえと一瞬で平らげていた。さっぱりとは何だったのか。途中から一緒に飲み始めた店主のひどく長い人生論を、真剣に聞いていた。 彼は出会ったときから、やけに僕に懐いてくれている。とても可愛い。可愛いんだけど、たまにちょっと狂気じみている。 僕が、正直つらいわ〜みたいな、いい加減な弱音を吐いてみると、彼は「いや。太郎さんはそういうこと言わないんです。かっこいい人なので。僕の中では。」などと真面目な顔で諌めてくる。 ええ…そんなぁ…って思う。そんなのありかよ。でも、まあ、確かに、そういうもんか。そっちの方が本当のことかもしれないね。 「やさしい人」はどこにいるんだろう。僕はクソ、世界はクソ、君はやさしいから好き、みたいな気分でずっといられたら楽だけれど。 困ったことに、誰かにとって自分はとっくに「やさしい人」だったりする。その眼差しを、まっすぐ見つめ返せたことが一度でもあるだろうか。 今の自分をやさしいと言う人を前にして、もっとやさしくなりたいと願うのは、正しいことなんだろうか。僕がもっとやさしくなれば全部うまくいく、そんな単純な話じゃないよな、と思った。思い知った。そういうときに作った。 こんな難問に満点の答えは出せないので、足りない分はワーッと叫んでギターを弾いて、なんとかするしかない。結構なんとかできたと思う。大切な曲です。 この曲を作ったときの気持ちは、あんまりにも悲しいものなので、話せることはあんまりない。中華屋の話でお茶を濁しました。 やさしい人はどこにいるんだろう。なんとなく岸辺にいるんだろうと思った僕は、やっぱり田舎者で、古臭い東京砂漠の一員だ。 乾きと水、雨と街、昼と夜、この切望と怨念は、僕をずっと引き摺り回す衝動だ。これからも付き合っていくことになると思う。 そんな打ち合わせは一つもなかったけれど、監督の谷中さんはそういうのにピンとくるすごい人だった。 昼間からずっと、彼は思い描く雨を待っていて、夜になってやっと、これだ、と撮影を開始したのでした。このMVの雨は、けっこうすごい雨なのです。
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地球儀を自転車にのせて 第二回「火星の暮らし」
地球儀を自転車にのせて 木村太郎 第二回「火星の暮らし」 ピカデリーだったか、バルト9だったか忘れたけど『ボヘミアン・ラプソディ』はペドラザの足立と観に行った。 映画は好きだけど、シネコンなんて年に一度も行かないものだから妙に気合いが入ってしまう。デートだねえなんて笑いながら、コーラを買ったり、ポスターの前で写真を撮ったり、浮かれていた。 暗くなって、おしゃべりを止める。正直ちょっとなめてたんだけど、冒頭から泣けてしまって、それじゃあちょっとださいので困った。 ステージに向かうフレディの背中に自分を重ねる。誰もがそうしたように。彼と僕の人生に、似たような場面などきっと一瞬もないのだけれど。 共感は、時間を距離を無視するスピードだ。年齢も性も人種も越える。それを信じる権利は誰にでもある。おこがましいなんて思う必要はひとつもない。 丸坊主の中学生だった僕は、剣道具を背負って、誰もいない畑の畝を歩きながら、遠い昔の外国のロックンロールに思いを馳せた。鼻歌まじりに転がるスイカを蹴飛ばして。 なかでも、デヴィッド・ボウイは特別な人だった。例えようもなく美しい音楽。美しい顔立ち。それでいてどこか隙のある、可愛いらしい人。やさしい人。いちばん好きな曲は、"Life on Mars?"。 両親と喧嘩して家をとびだした少女が、夢想の中を歩いて、気づけば映画館にやってくる。映画はどうにも退屈で、期待外れに白けてしまって、要するに、少し大人になる、そんな短い時間がドラマチックに歌い上げられる。 「見て、保安官が悪人を殴り倒してる。ああ、彼もいつか気づくのかな、自分が一番売れてる映画に出てるってことに。」 そして唐突に思う、「火星にいのちはあるんだろうか」 そんな夢想に応えるように、次のアルバムで彼は「ジギー・スターダスト」火星からやってきたロックスターを演じることになる。 たしかな繋がり。自分はこの人に守られていると思った。遠い世界を見せつけられているんじゃなく、同じ夢を見ている気がした。少なくとも彼はそれを望んでいたと思う。 そして今から四年前、2016年の1月10日にボウイは亡くなった。半年くらい考えつづけて、少し整理がついたところで「火星の暮らし」を作った。手遅れのファンレターを送る気持ちで書いた。きっと読んでくれたと思う。 「きみ」とは、ボウイのことでした〜!なんてつまんない話じゃないから安心してほしい。そんなつまんない話が多いですね、近頃。 これからきっと、人が人と共有できる本当のことはどんどん少なくなっていくと思う。そんな世の中です。 つらいつらい、わかるわかる、俺も俺も、そんなつまんない同情じゃ人間の壁は越えられない。あと一歩だけ踏み込んでみよう。人の心は難しいのだから。 火星人になるしかなかったボウイの気持ちが丸坊主の僕にはちゃんとわかったし、火星の暮らしは喉が焼けそうなことくらい、きっと誰にでもわかることだと信じています。信じていいのかしら。あとは皆さんに、お任せしますね。
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地球儀を自転車にのせて 第一回「オレンジ」
地球儀を自転車にのせて 木村太郎 第一回 「オレンジ」 このあいだ、マイアミパーティのさくらい君と神宮辺りを散歩した。 病的に真っ白な本屋の地下で、彼が読みたがったサリンジャーと、俺が好きなジョイスの短編集を買ってあげた。彼は川上未映子と森絵都をくれた。蛍の光が流れるレジで、今日もいちにち暇だった学生風の店員は、存外愉しそうに4冊分のカバーを付けてくれた。1冊は端が折れていた。 さくらいは、ありがたいことに昔から東京パピーズを大好きでいてくれて、最近は「オレンジ」が特に好きらしい。春に弾き語りが流行ったときにはカバーもしてくれた。らしい。 「ともだちのうただよね」と彼は言う。きっとそうだと思った。ある人は失恋、ある人は失った家族だと言った。どれもそのとおりだと思う。感じ方はひとそれぞれ、なんて、安っぽい話はいらないのです。 この曲を作った時の気分は覚えている。二年くらい前だと思う。俺は、どうにもぜんぶが悲しかった。25にもなると一通り失うものは失い、残るものが残った。 当たり前が悲しかった。卑しい自分が悲しかった。当たり前の街で、当たり前に誰もが悲しそうな顔をしていることにやっと気づいた。そういうときだった。 ぜんぶ丸ごと、なんとかできないか。悲しみの一つ一つと向き合うことには疲れていた。きっとみんなそうだろうし。だから、ぜんぶ丸ごとじゃなきゃ、だめだ。 火のついたような夕景に半べそをかきながら、ふと思いついた。そうだ、この馬鹿でかい街を、丸ごと棺桶にしてしまおう。「虚空に愛を 街に花束を敷き詰めて」夕空の火の中で、丸ごとぜんぶ弔ってしまえたら。そんな空想をした。 そして数分で書き終えた曲の仮題は「フューネラル」。葬礼、それじゃちょっと物騒なので、後に「オレンジ」と改題することになる。 テーマを決めて、それについて書く、なんてのはきっと馬鹿げた行為で、ときに表現のだいじな力を骨抜きにしてしまう。もっと、ただ書かされるままに書けばいいはずだ。少なくとも僕らは音楽家だから、その特別な数分を、やっぱり大事にしなきゃいけない。 たとえば失恋が苦しいときに無心で書いたものは、それがハワイ旅行の曲でも、プロ野球の曲でも、ちゃんと失恋のうたになるんだろう。あのとき俺は色んなことが悲しくて、ぜんぶ丸ごと、えいっと書いたから、色々に寄り添える曲になってくれたんじゃないかなあと思う。うれしい。 親バカでしょうか。でもね、自分の曲はやっぱり、出来のいい子もわるい子も、かわいいものです。あなたも親になればわかるわよ。 だけど、産んだのは自分でも、一度手を離れてしまえば、作品は勝手に生きていく。いつまでも自分の所有物ではいてくれない。現に「オレンジ」は僕の手を離れ、監督の谷中さんのもとで、海辺に居場所を見つけた。完成したビデオをみて、なるほど、と思った。 渚は生命のうまれた場所だ。生と死、存在と不在の境界線は、きっちり引かれてなどいなくて、満ち干きする波打ち際のように曖昧にたゆたうものだと思う。人間のオレンジがめくれるのは、きっとそういう場所、そういう瞬間だ。 たまに、めくれたあっち側から声が聞こえたら、「そっちはどうだい」と話しかけてあげてください。ちゃんと繋がってるからね、と。 そして涙があふれても、心をぎゅっと確かめて、あっち側に飛び込んでしまいたくなる気持ちを堪えて、ちゃんと生きていけば、大人になってまた会える。たまには。ね。 まあ俺もいつもそんな強くあれるでもなし、今年はとくに困ったもんなのだけど、テレビ電話とテレワークのテレ時代に、テレパシーとテレポーテーションがだいじだよって、誰かが言ってた。そういうことをやっていこうと思います。こつこつと、だけど、丸ごとぜんぶ、です。