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「放射線とまちかど」

2014は2014年に書いた。2014年のことを書き残さなきゃいけないと思った。それは大きなできごとがあったからじゃなくて、あまりにとりとめのない、揺蕩うような時代だったから。いずれ消えてなくなるような脆いものたちの悲鳴が、街中から聞こえていた。

大きな地震があった。それからゆっくりと何年もかけて、このまちは少しずつへんになっていった。何が起きているのか。何も起きていないような気もした。誰もが口をつぐんで、口元から泡を吹くみたいに暴力があふれた。それは誰のことばでもなかった。誰の祈りでもなかった。異様な光景だった。とてもへんに見えた。そして今それはありふれた、正常な日常になってしまった。とどめを刺したのは誰だったんだろう。

自分ひとりだけでも変わらずにいられる自信なんて少しもなかった。せめて何か違うと思ったこと、それだけでも書き留めておきたい。そしてできればいくつかの、確かだと感じたものたちを。取り憑かれたように音楽を作った。ほとんどろくにうたえないような難しい曲だった。やっと一人前にうたえるようになった今更、俺はこの曲を何度でもうたう。

ライブハウスに来てくれる10代の子たち。僕が2014をつくったときには小学生だったことになる。狂いはじめたまちはどんなふうに見えただろうか。それはたとえば「思春期」とつながってひとつの物語になっただろうか。あるいはもっと大人なら「時代」の一言で済ませただろうか。子供でも大人でもない弱っちい化け物だった俺はただ呻いた。それは「東京」としか言いようのない景色だった。

ジョイスは『ダブリン市民』を書いたとき、「ダブリンの街が燃えてなくなっても俺がぜんぶ思い出して作り直せる」みたいなことを言っていたらしい。放射線とまちかど、その百分の一の力でいいから、この曲がそういうものだったらいいと思う。

東京パピーズ 木村太郎

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