「八月は夢のなか」

老荘なんかほとんど知らないけれど荘子は割にすきで、いわゆる胡蝶の夢、蝶になった夢をみて目が覚めたけど逆にこっちが蝶のみてる夢かもしれないわってやつ、それはきっと軟弱な唯我論ではなくもっといのちのどまんなかに関わる話をしているんだろう。そしてどっちでも同じことだと言いきるダイナミズムはこれぞ諸子百家という力強さで、どうにもわけのわからない世の中を身一つで生ききろうとする切迫感が胸を打つ、願いはいつも強いほど切ない。

ともかく俺は俺が夢のなかにいるというより街が寝ぼけている、という感覚をよく覚える。街中が寝ぼけていて起きているのは自分だけみたいだと。八月は夢のなか、俺はまだ眠りを知らない。まどろみはそういうもので、たそがれはそういうものだ、何もかもが一瞬逆さまになって、太陽は燃え落ちる灰になる蘇生する、八月のどぎつい光の中で、いのちはいつでも復讐の機会を待っている。しがみついていられるだろうか、守りきれるだろうか、俺もまた身一つで。

やさしい声が遠くなる、夕日の猫が嘔吐きだす、無意識にそう書いて、最初俺はそれを幻想みたいなものだと思った。幻想の歌として完成させようとして結局ずっと何かが足りなかった。レコーディング直前、最後の最後になってわかった、これは幻想じゃない、日暮れは「暮らし」だ。それは「暗し」で、闇じゃなくて光の話だ。くらさというひかりのなかですべてがないまぜになる、逆さになる、彼岸から内側から声がする。それは人間の日常だ。誰でも知っている普通の景色、これは暮らしのうたなんだ、と気がついた。

「八月の光」は僕がいちばんにすきな小説家ウィリアム・フォークナーの長編のタイトルを拝借しました。それはもう語り出せば涙がでてくるくらいにすきで。その名前をつけるのは少し勇気のいることだった。フォークナーは人生の大半をアメリカ南部で過ごし、土地の暮らしだけをひとり描き続け、文壇ともほとんど縁がかかった。そんでノーベル受賞後にはじめて世界をまわったとき「世界中どこにでも南部があった」と言ったらしい。その言葉にずっと励まされている。憧れている。

東京パピーズ 木村太郎

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