寂寞の正体
先にネタバレしてしまうが、筆者は近所の夏祭りを数時間見回った結果、後にも引きずる悲愴感に苛まれてしまった。
地域コミュニティから隔絶された自分
時刻は夜の八時半。その日は必要以上に昼寝をしてしまい、夜に眠れなくなるのが怖くなりスマホだけを持って夜の散歩に出掛けた。帰宅ラッシュの時間帯は過ぎているのに、駅前には大勢の人がいた。この周辺に住むのは子連れの家族か高齢者が殆どにも関わらず、学生と思しき集団も多い。最初はなぜか分からなかったが、駅の先にある通りに行くと小学生くらいの背丈の子達が浴衣姿で駆け回っていた。それを見て夏祭りだと確信した。あまり近所付き合いに時間と労力を掛けない主義の筆者は、地域の行事がいつどこで行われるかは当日になって知る。自分と同じ境遇の同世代は多いのではないのか。
特に行くあてもなかった筆者は大量の屋台が通りに見えたので、そっちの方に進むことにした。
時代の変化は一目瞭然
実際に夏祭りの中央部に行くと、想像以上に多くの屋台があった。それらのどの店の前にも多かれ少なかれ行列が出来上がっている。
チョコバナナ、かき氷、フランクフルトなどと書かれた手書きのポスターは学園祭の思い出を想起させてくれる。ケバブ、シューアイス、冷凍シフォンケーキなども堂々と売り出されている。十年前の夏祭りでは絶対に見られなかった商品だ。多種多様な料理がこういう土着的な行事の中でも、着実に市民権を獲得し始めている。
屋台で売られているメロンソーダは五百円だった。味噌串カツは二本五百円で、キッシュ一切れは値引きされて六百円だった。それらを販売している屋台が繁盛しているのを見ると皮肉にも滑稽に感じる。百メートル先のコンビニに行けば、これらがほぼ半額の価格で買える。しかしそんな実利的なことばかりを考えている時点で、自分は相当虚しい人間なんだなと自覚してしまう。ちなみに筆者はそもそも財布を持っていなかったので、何も買っていない。
成長してしまった自分
射的で遊んでいる子供を見ると、自分も大人になったなと思う。彼らはネット通販で探せば千円もしないで売っているようなおもちゃのために、限界の限界まで片手を伸ばす。玉が外れたら発狂して悔しがる。冷静な大人には絶対に真似できない行動。それでも彼らの真剣な姿を見ると、昔の自分を思い出す。下手をすれば彼らよりも純粋だったかもしれない。
夏祭りに行けば、すれ違う人々は皆笑っている。その中でも子供達の祭りへの本腰の入れ具合は、格が違う。間違いなくこの行事を一番楽しめているのは彼らだ。そういう天真爛漫な時期が「終わった」と捉えるのが普通だが、筆者の場合は「失った」とどうしても思ってしまう。
有名な映画のセリフを思い出した。
『あの十二歳の頃のような友達はもうできない。もう二度と…』
素晴らしいセリフだが、同時に辛い。
written by Sign