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子供の教育における最上位の目的は?


  1、カリキュラム優先


私が駆け出しの頃

生徒たちの成績を上げるために

学習計画を一生懸命練っていました。


現在の学校や予備校のカリキュラムのように

いつまでに何を習わせるべきか

目標を立てたわけです。


ですが、その結果はというと

全員が計画通りに進まないのです。


目標に到達できるのは

ほんのひと握りの子供たちだけで

ほとんどの子供たちは

未達成で終わってしまいました。


そこでなんとか目標を達成させようと

強引に勉強させるのですが

ある程度はマシになっても

その反動で子供たちの心が病んでいくのです。


計画通りに勉強してくれない。


やればやっただけ

子供たちの表情はどんどん暗くなる。


そこで私は気づきました。


これは本当の教育ではない。


そう思ったのが

今から30年ぐらい前の話です。


カリキュラム優先の学習は

子供を育てているのではなくて

ある意味「大人に従順な子供」

を育てるためにやっているのであって

子供をロボット化しているのだと

途中で気がつきました。


  2、平均という「間違った」考え方


カリキュラムというのは

子供のためというよりも

「教える側の都合」が

存分に含まれているものです。


その内容も万人に適しているものではありません。


当てはまる子もいれば

全く当てはまらない子もいて

教育の「最適化」には程遠いものです。


塾や予備校でカリキュラムを作る際には

「〇〇高校に合格するなら

これぐらいの学習は必要だろう」

と過去のデータを見てながら

作っているはずですが


では、その「これぐらい(平均)」とは

一体誰のデータかというと

よく考えると

誰のデータでもないんですね。


主に偏差値や科目別の得点などのデータですから

一見、誰にでも当てはまる基準を

満たしているような内容に仕上げていると思えるのですが

厳密に言えば、数字(合格点・偏差値)を

追いかけているだけで

誰にも当てはまらない「架空の人物」のデータを

見ているのです。


例えば、

部活動で忙しい時の勉強方法、

病気で勉強が遅れた時の対処方法、

暗記が苦手な生徒のための学習方法・・・

という個別の問題に関しては

カリキュラムの中には入っていません。


ですから

多くの学校、塾、予備校でおこなれている

一斉授業のカリキュラムは

「あなたのお子さんのために

わざわざ作ったわけでもない

子供の個性を無視した学習計画」

だということを知っておかなければなりません。


  

3、ああすれば、こうなる?


前回の記事でも書きましたが↓


「もしも私が学校を作るなら〜今子供たちに必要な学び」https://note.com/tokushin_academy/n/n725a10789c7f

全ての人と言っていいくらい

私たちのほとんどが

何の疑問も感じていないことがあります。


それは「ああすれば、こうなるはずだ」

という考え方に依存しすぎていることです。


今の世の中は経済活動が中心になっていますから

「ああすれば、きっと儲かるはず」

「ああすれば、人気が出るはず」

「ああすれば、もっと売れるはず」

という、いわゆるマーケティング的な思考が

私たちの生活の中にどっぷり浸透しています。


行政における計画や企業の営業戦略に関しては

その考え方で効果はあるのですが

私の経験上、教育においては

その考え方はほとんど通用しないです。


その良い例が

宿題をやらせようと思っても全くやらなかったり

良かれと思って与えた教材もすぐに飽きてしまうことが

ありますよね。


大人は「ああすれば、きっと勉強するはず」

と思ってやっているのですが

それが実は的外れな考え方であることが多いのです。


つまり、先ほどのカリキュラムの話も同様で

ああすれば、こうなるはずだと

と頭の中で思い描いて作るのですが

子供を相手にする場合は

物事はそう上手く運ばないのが実情です。


  4、当事者意識を持たせる


子育ての目的は何でしょうか。

最上位の目的は、子供を自立(自律)させることです。


自立させるための手段として勉強があり、

そして学校での集団生活があるわけです。


ですが、いつの間にか

カリキュラムをこなすことが自体が目的となり

テストで良い点数を競うことが目的となり

ただ学校に通うことが目的になっていないでしょうか?


今の教育の主流は

大人(主に先生)が課題を与えて

大人が意図ように子供が答え

望んだ通りの答え方をした子供に

高い評価をつけているわけですから

おおよそ自立(自律)とは真逆のことを教えています。


以前の記事も書きましたが

与えられることが当たり前になっている子供たちは

自分の問題であっても

「他人のせい」にする傾向が強くなります。


教えられることが当たり前になっていると

自分の無知を棚に置いて

「分かるように教えてもらえないと困ります!」

と言い出すのも無理はありませんね。


この発言からも分かるように

生徒の中には自分が無知であるという

「当事者意識」を持っておらず

自分の課題は自分で解決する大切さを知らずにいます。


このまま育っていくと

いつまで経っても自立心が芽生えず

ねじ曲がった考え方を持ったまま

大人になっていくのだと思います。


ですから、子供自身が

自分の課題は何だろうと考える習慣を身につけることが

最上位の目標なのです。


この目標を持たずに

どんなに学校の成績が良くても

スポーツが上手くても

芸術的な才能に溢れていても

人間性は養われないと思います。


普段の生活の中におけるどんな問題に対しても

当事者意識を持つこと。


食事、掃除、部屋の片付け

どんなに小さなことでも良いので「自分事」として捉えて

「自分だったら、どうするか」と意識する大切さを

子供たちに教えるべきなのです。


これまで手段として使っていたものが

(学校、受験、カリキュラム、教材・・・etc)

目的になってしまっていないか?


与えられたものだけを

やりこなすことが目的になってないか?


本当に子供の個性に寄り添った教育を

やっているのか?


これらのことを今一度、

多くの方々に考えてもらいたいです。


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