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もしも私が学校を作るなら〜今子供達に必要な学び


  1、言葉の世界が大きすぎる


現代において

日々インターネットに触れる機会が

どんどん増えていってます。


読者の皆さんが

このブログを見ているように

私たちは何かしらの情報を

ネットから得ています。


学校でしか学べなかったことすらも

今はそのほとんど全てが

ネット上に存在しています。


そして会社の情報も同じです。


会社は自分たちの情報を

たくさん発信しないと

経営が成り立ちませんので

私たちの好き嫌いに関係なく

自然と目に入ってきます。



つまり、これは

どういうことかというと

言葉を通して理解できる

「情報の世界」が私たちの生活を

取り巻いている状況なのです。



そこで、この状況下で

どんなことが起きているかというと

「言語化する大切さ」がやたらとアチコチで

言われるようになりました。



自分の思いを言語化する。


状況を言語化する。


グルメレポーターのように

おおよそ言語化など不可能な

「味覚」に関することまでも

「濃厚な味わい」「奥深い味」などと言って

それっぽく表現をすることが

モテはやされるようになりました。


そして、あらゆるものを言語化することで

次に何が起きたかというと

「言葉にできないものや情報にできないものは

意味がないのでは?」という流れになっているのです。


つまり、ある言葉を使ったら

ある言葉が連動して出てきて

まるで枕詞のような

ある一定の言葉のつながりを生み出し

その言葉の連なりにの中に

何らかの意味を見出してます。


例えば「心が折れる」という表現は

心が物理的に折れるわけがないのだけれど

気持ちが挫けることを示すことだと

意味づけしていますし


「母の愛は海より深い」という表現も

母親の愛情を言語化して意味づけしています。


「心」という言葉がきたら

「折れる」が来て

「母の愛」という言葉が来たら

「海より深い」という具合に


よく考えると

ちょっと意味が分からないような言葉のつながりにも

当たり前のものとして受け入れています。


つまり

言葉の方程式みたいなものに

私たちは慣れています。


特に数字という言葉になると算数や数学では

必ず方程式がありますから

「ああすれば、こうなる」

という思考が顕著になります。


こういった思考は

学校や日常の暮らしの中で

知らぬ間に身についており、

多くの場面で「この次は、これが来る」

「この言葉の後には、この言葉が来る」

「ああすれば、こうなる」

という感覚で物事を見ています。


実は、言葉の世界が大きくなりすぎると

方程式のように物事を見るようになり

それ以外の感覚が無視されがちです。


この傾向は注意しなければなりません。



  2、小さくなった世界


言葉の世界が大きくなった今、

それとは反対に小さくなった世界があります。


それは「物を体で感じる世界」と「心を見る世界」が

小さくなったことです。


例えば、子供たちを虫取りに連れていったとします。


すると今の子供たちは

「どこでクワガタが取れる?」

「どうやったらカブトムシを見つけられる?」

と質問してくるでしょう。


たとえ虫取りの名人でも

「どこで取れる」か「どうすれば取れるか」を

100%分かっているわけではなく

虫の習性やこれまでの虫取りの経験から

おおよそのことしか分からないのです。


自分の足で森に入り

自分の目で確かめながら

どの辺にいるのだろうかと

草木をかき分ける体験をして

ようやくカブトムシを見つけられるのが実情なのです。


そうやって体を使って「物」を感じ取るのが

当たり前ですが

言葉の世界で生きてきた子供たちは

「ああすれば、こうなるはず」

だと考えて、カブトムシが

容易に手に入るはずだと

勘違いするケースが多いのです。


もう一つ例を挙げると

人の気持ちも

言葉で説明できると錯覚しているところです。


単純な話、私は男なので

陣痛がどれほどのものか分からないですし、

出産した時の女性の気持ちも分かりません。


ですが、「ああすれば、こうなる」という思考でいると

陣痛も出産した時の気持ちも

言葉で説明できると勘違いしている人が出てくるのです。


心の中にあることは

その人にしか分かりません。


人の気持ちは「多分こんな感じなのかな」

と察することしかできず、

完全に理解できないとしても

人の言動の細かく観察し

その気持ちを理解しようと

努めることしかできないのです。


言葉では到底理解できない世界の方が

圧倒的に多いはずなのに

その認識が薄くなっているというのが

今の世の中なのです。


  3、世の中の価値観が一気に変わる時


結論を言ってしまえば

「ああすれば、こうなる」という思考は

人間の浅知恵で、

さして役に立たないものです。


むしろ、間違っていることの方が多いのです。


一つの例をあげてみましょう。


例えば、「大災害」が起きた時

その間違いに気づきます。


あと20〜30年もすれば

首都圏直下型の大地震が来ることは

おおよそ予想がついています。


「ああすれば、こうなる」

という思考が身についている人は

これから来るであろう大地震について

必ずこういう質問をするでしょう。



「大地震が来た時、どうすればいいんですか?」


その答えは「分からない」です。


その時の状況になってみないと

なんとも言えないのが大災害です。


首都の機能が麻痺することぐらいは

予想できたとしても

個別のことになると全く予想できません。


言葉では到底説明がつかないのです。


ですから、本当に地震が来たら

臨機応変に対応するしかないのです。


過去の大地震の歴史を見ても

ご先祖さまたちは臨機応変にどうにかしてきただけで

予め決めていたことをやったわけではありません。


そして社会の様子も価値観も

大地震が起きた後に

大きく変わったということも

歴史を勉強すると分かります。


つまり、今私たちが

「これがいい!」と思っているものが

全く役に立たなくなる瞬間が

突然訪れる可能性があるのです。


言葉すらも

いざというときに一切役に立たないことも

分かるわけです。


  4、今、理想とする教育


以上のことを踏まえると

今の子供たちが学ばなければならないことが

見えてくると思います。


1、五感を鍛えること

言葉の世界が大きくなりすぎないように

五感を養うことが大切です。


具体的には体験授業を増やし

座学を減らすことです。


その場でアイデアを出して

臨機応変さを養うことを目的とすべきです。


2、学習計画は自分で作る

子供自身が学習計画を作るのは

イエナプラン教育でも行われています。


将来を生き抜くためには

興味のある勉強を深く掘り下げたり

自分にとって必要な知識が何かを

考える力を養うことが大切です。


3、ディスカッションを増やす

色々な意見があって良いということを

ディスカッションを通して

認識することが大切です。


これは話し合う能力だけではなく

相手の気持ちを察知する能力も

同時に養うことができます。


もちろん、みんなの意見をまとめたり

まとめ意見をプレゼントしたりと

大切な情報を相手に伝える力もついてきます。


そして、具体的に。どういう環境で学ぶのが

理想的かというと・・・


・自然がすぐ側にある環境

・好きな場所、教室で勉強できる

・学年に関係なく、学習を進められる

(ゆっくり学習してもいいし、先に進んでも良い)

・地域住民も参加できる授業を増やす

・受験にも対応

・AIを最大限に活用した学習

・いじめに関する専門職員がいる

(コーチング、アンガーマネジメント)


自然と隣り合わせの環境だと

災害時のサバイバルにも強くなりますし

学年の壁を取り払うことで

お兄ちゃんお姉ちゃんが

年下の面倒を見ることを覚え

なおかつ

地域住民の方々との交流から

「生活の知恵」も学び取れてます。


受験勉強はもちろんですが

AIを最大限活用することで

効率よく学習することができます。


いじめに対応する専門の先生を置くことで

子供たちの感情のコントロールも

学ぶことができます。


現在主流になっている5教科中心の

学歴偏重の学習はすでに古く、

子供たちがこれからの時代を

サバイバルするには全く物足りません。


もしも私が学校を作るなら

このような学歴に偏らない

バランスよく学べる学校を作ります。


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