見出し画像

#952 シェークスピアには、どんな霊妙の神秘力があるのか?

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

況んや、外國にもシェークスピア研究會の設けありて、佛蘭西にも、獨逸にも、英才の批評家輩出し、就中[ナカンズク]、獨逸に於ては、近くウルリチー、ゲルヰナス、クレイジッグ、エルデルの如き、烱眼卓識の學者、多年経営の思を潜めて、此の小造化を闡發するに其の力を致しゝをや。

ウルリチー、ゲルヰナス、エルデルに関しては#664でちょっとだけ紹介しています。「クレイジッグ」が一体誰なのか、さっぱりわからないんですよねぇ。

況んや、アボット、クレイクの輩[トモガラ]、むねと彼れが辭學を修めて、文典を編み、作文規を論じ、ダイス、シュミットいでゝ、字彙を著し、クラーク、ファル子ッス、子アースの徒[ト]、はた此の部門に力を添へ、彼れが用ひし機械をさへに、分析解剖して剩[アマ]す所なきをや。

「アボット」は、イギリスの神学者のエドウィン・アボット・アボット(1838-1926)のことです。アボットは1870年に『シェイクスピア文法』を出版し、英語文献学に多大な貢献をします。次の「クレイク」が誰なのかも、よくわからないんですよねぇ。

「ダイス」は、スコットランドの文学史家のアレクサンダー・ダイス(1798-1869)のことかと思われます。ダイスは、1857年に『The works of William Shakespeare』を出版します。「シュミット」は、シェークスピアの語彙について研究した、ドイツの言語学者のアレクサンダー・シュミット(1816-1887)のことかと思われます。

「クラーク」が誰なのかも、はっきりしなくて、シェークスピアを専門に研究したイギリスの古典学者のウィリアム・ジョージ・クラーク(1821-1878)のことなのか、夫婦でともにシェークスピアの研究者であったチャールズ・カウデン・クラーク(1787-1877)とメアリー・カウデン・クラーク(1809-1898)のことなのか、はっきりしないんですよね。

「ファル子ッス」は、#951で紹介したホレス・ハワード・ファルネス(1833-1912)のことでしょうか。でも、その際、逍遥は「ファルネス」と表記してるんですよねぇ。ってことは別人なのでしょうか。「子アース」についても、誰なのかまったくわからないんですよねぇ。

苟も讀書の眼[マナコ]ありて、前人が著を讀むに堪へたらんもの、誰れか今の時に當りて、シェークスピアが詩美を解するに苦しまんや。かくいふだにも、「純金に鍼金し、百合の花に彩色を施す」むだごとなり。われ浅學寡聞なれば、ハムレット文學ばかりだに、力車[チカラ]に幾車[クルマ]積みあまるといふ、シェークスピア文學の九年の一毛をも、尚え讀まざるや勿論なり、しかはあれど、廿三年の年の暮、ふと感ずる所ありて、シェークスピアを底知らずの沼に喩へてより、少しく心を此の方に傾け、斯道の先覚が、近ごろ論じたる所を讀み、わが當初の空想の、未だ全く後れたる考にあらで、少くとも當世紀の、未定の問題の一部分たることを知りて、いさゝか慰むる所ありき。蓋し、シェークスピアといふ小造化の現象界(即ち彼れが作の外面)を掩ひたりし幾帯の雲霧[クモギリ]は、今や、實験理學の前なる謬信の如くに、日に月に薄れゆきて、尠くとも其の現象界にのみ関する因果の理法は、殆ど将に争議すべからざるに至らんとす、此に於てや、シェークスピア研究の歩武は、百尺竿頭に一轉して、批評家の烱眼は、萃然として此の小造化の形而上に及び、英拔の士、競うて彼れが為人及びそが美術的総合の由来を探らまくし、或ひは帰納の法により、或ひは演繹の式によりて、その本相を知らまくす。假にわが言葉をもて、これら批評家の心事を釋するときは、おほむね下のごとし。彼等はみづから問うていはく、キリアム、シェークスピアは如何なる霊妙の神秘力ありてか、第二の造化論たることを得し。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?