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心から食を楽しんでいるにも関わらず、早食いで且つ、三角食べをしないことから、食に無関心なヤツだと思われる始末。『デタラメだもの』

食べるという行為は、実に楽しいものだ。その楽しみを知らぬ子供の頃は、食べることはあくまで単なる食事。サッサと済ませてゲームをしたり遊んだりしたくなったもの。しかし、大人になるにつれ、食べることが楽しみに変わっていく。

家庭で出される食事以外にも、多様な料理に触れるようになるし、何より食べたいものを食べることができる。雑誌などで見かけた店に足を運び、気になった料理を嗜む。食への興味も湧いてくるし、料理に対する造詣だって深まるだろう。

「楽しみ言うたら、食べることくらいでっせ」などと、大人として身も蓋もない会話をしてしまうほど、食べるという行為は楽しいものだ。

それほど食べることが楽しいとほざくくらいだから、さぞかし料理は味わって食べているんだろうなと想像されるかもしれないが、それが真逆なもんだから少々問題がある。

一般的に美食家とされる人たちは、一品一品の素材が持つ味を確かめながら、味付けの奥深さなどを感じ取り、じっくりゆっくり咀嚼。口の中に広がる味わいや旨味を堪能しつつ、時に所感などを述べながら、料理を召し上がるイメージがあるだろう。

それができない。それができないのだよ。食をゆっくりと堪能できないのだよ。だからといって、食に興味がないわけじゃない。これが厄介なんだ。食にはすっごく興味関心があるにも関わらず、美食家のような振る舞いが一切できないのだよ。はーん。

料理が配膳されるや否や、全力疾走で食べる。食べ切る。一切の会話を挟まないほど、誠心誠意、全力で食べる。それが好きなものへの礼儀だと言わんばかり、脇目も振らずに食べる。食べ切る。豪快さは特筆されるべき点だろうが、繊細さにおいては落第点。

炒めものなどは豪快に食すイメージがあるかもしれないが、それがたとえ会席料理であったとしても、その手は緩めない。
コース料理は平均的な食事のスピードを考慮し、次の品、次の品と配膳されるはずだが、こちらとしては、わんこそばかと見紛うほどに、次々と料理を平らげていく。給仕さんを慌ただしくさせてしまうことは、想像に易い。

それがデザートだとしても容赦ない。一般的なレディーなら、フォークを巧みに使い、4口、5口と小分けにして楽しむ類の小ぶりなデザートだとしても、多くて2口。あろうことか、ひと口で平らげてしまうことだってある。

好きなんだから仕方がない。全神経を料理に集中させ、一心不乱に食す。そのため、誰よりも早く完食する。こうして並べられる単語だけに目をやれば、到底、食に興味ある人間の所作とは思えないが、実際、食べるという行為を心から楽しんでいる。

世の中には、通称『三角食べ』と呼ばれるものがある。ご飯やパンなどといった主食と、汁物や飲料などの飲み物と、おかずとを、順序よく食べる方法だ。

健康面でメリットがあるなどと巷では噂されていたため、それに従って食べるようにはしていた。論点は少しずれるが、肉類を口内で咀嚼している間に白米を口内に詰め込めば、口内で丼が仕上がるなど、食の楽しみ方が拡張されるようで、心を躍らせていた。

しかしだ、年を重ね、食を愛するに従い、三角食べの廃止を誓うようになった。なぜなら、先に口内に放り込んだ料理の味を堪能せぬまま、次の料理を口内に放り込むため、前者の魅力が発揮されぬまま、胃の中に流し込んでしまっている気がしたからだ。

例えば、お肉と言えば白米が付き物。焼肉を食べる際などは、白米があってこそ、と盲信し、注文していた。そして、例にも漏れず、口内に肉を放り込み、数回咀嚼するや否や、即座に白米を放り込み、口内で丼を拵え、キャッキャッと舞い上がっていた。

ん? ちょっと待てよ? 仮に高級とされるお肉を召し上がる際、未だ口内にその高級なお肉が在籍しているにも関わらず、そこにプラスする形で、白米などの後続を放り込んでもよいものか? 高級なお肉の高級たる所以を満喫することなく、別の料理で口内を混沌とさせてしまっているのではないか?

例えば、行列ができるラーメン店に足を運んだとしよう。多くの人が支持するラーメンを啜り、口内で咀嚼している間に、チャーハンや餃子といったサブメニューを口内に放り込んでよいものか? その店の代名詞とされているのは、あくまでラーメンだ。それを満喫し終える前に、代名詞でもないチャーハンや餃子を口内に放り込むことは、罪深い行為なのではないだろうか?

ひと口ひと口、味わってゆっくり食べれば、たとえ三角食べをしたとしても、前者と後者が混合することはないんじゃないの? という直球極まりないツッコミは、ここではご遠慮いただきたく。何せ、食を楽しみたい欲求が勝り過ぎ、高速で食べてしまうという呪縛からは、もはや解放されることはないのだから。

と、自分と三角食べとの親和性の低さを思い知ったことから、三角食べを廃止。一品を完食するまでは、次の品に手をつけない、というルーティーンがここに形成されたわけだ。

仮にラーメンとチャーハンと餃子があったとする。まずはラーメンを完食。次にチャーハンを完食。そして最後に残った餃子を完食するというフロー。もちろん、ラーメンを食している間は、チャーハンと餃子には手をつけない。よって、ラーメンの魅力を損なうことなく堪能できる。チャーハンや餃子も同じく。

いやいや。そんな食べ方したら、手をつけていない料理が冷めてしまうでしょうが。そんなツッコミは心からお待ち申し上げております。先述した通り、高速で料理を平らげる特殊能力を持っているのだよ。手をつけていない料理が冷めてしまうほど、待たせておくわけないじゃないの。全ての品を、温かいうちに完食してしまうよ。ふふふん。

と、このようにして、食の楽しみを語っているつもりが、とてもじゃないが食を満喫しているようには思えない記述が連なってしまう。まぁ、楽しみ方など人それぞれ。食に罪はないわけだよ。

そんな平穏な日々にも暗雲が立ち込める。聞くところによると、高速で食事をすることは肥満につながるらしい。できれば体重が増加するのは抑えたいものだ。

早食いは結果的に大食いにつながるだとか、肥満ホルモンともされるインスリン分泌を促進し肥満につながるだとか、食物の消化・吸収が速くなり血糖値の上昇を招くのだとか。さまざまな理由から、高速で食事をすることは、肥満の原因になるらしいのだよ。

ううう。好きな食べ物を勢いよく食べることを封印せねばならんの? そんなことできるかしらん?

いや、速度の問題以上に、そもそもの量を減らせばいいじゃない。そう心に誓い、仮にラーメン屋に行けば、ラーメンのみ。チャーハンや餃子などは注文しないようにした。もちろん、焼肉屋に行けば、ライスは注文しない。

自分なりの食を満喫するために廃止した三角食べであったが、結果的に、食べる品が一品に限られることにより、三角食べそのものができない状態になってしまった。それに加え、大盛りを注文していた場面では、並盛に減らすようにしていった。

好きなものだから勢いよく召し上がる所作だけは封印していないが、注文する品数が減り、量も減った。結果的に、驚くほどのスピードで、料理を完食することになる。外食では、先客がまだ食を堪能しているのを横目に、サッサと平らげ、店を後にする。

その姿を客観的に見れば、食に全く興味のない人間に見えるだろうし、少量しか食べないことから、食の細い人間だと思うかもしれない。しかし、食べることが好きで、心の底から楽しんでいるんだよと、涙ながらに訴えたいと思う。

デタラメだもの。


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