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物語に必要な感情のN字曲線の、右下部分の辛さが心苦しくて耐えられない場合はどうすれば……。『デタラメだもの』

たいていの物語というものは、実に心苦しい。より正確にいうと、物語中に心苦しさを多分に孕んでいる。そして、長い物語になればなるほど、それは反復する。たとえその心苦しさに耐えかねて、足をプルプルと震わせている読者や視聴者がいたとしてもだ。

物語にはN字曲線というものが欠かせないといわれている。読者や視聴者である受け手の感情がN字を描くように導くわけだ。

どういうことかというと、仮に平凡な主人公が日常生活を送る物語の序盤は、N字でいうところの左下のスタートライン。まだ、何も始まっていないし何も起こっていないため、感情の起伏がないってわけだ。

そして主人公は、ひとりの女性から告白を受ける。その女性は兼ねてから主人公が好意を寄せている女性。つまりは、恋愛が成就するというわけ。とてもハッピーだよね。みんな笑顔になるよね。ラブアンドピースな世界。だから、N字が左下から真上にピーンと跳ね上がる。

ところがこの辺りから雲行きが怪しくなる。なぜなら、Nという字はその後、右下に向かってズドーンと墜落しているからだ。そう。悪の組織に彼女が連れ去られるわけ。せっかく恋愛が成就したにも関わらず、主人公を不幸のどん底にまで突き落とす。

物語に没入した受け手の感情も、ここで一気に沈んでしまう。「なんでなん? 主人公、かわいそう過ぎるやん」と。しかしだ、Nという字を見てご覧なさい。最後は再び、頂上に向かってピーンと伸びているだろう? 安心してください。全ての読者、視聴者を引き連れて、ハッピーエンドに駆け上がりますよ。

一気に沈んだ受け手の感情は、N字が駆け上がるにつれ、快感、痛快、爽快感、余すことなく心をクリーンにしたうえで、物語のラストを迎え入れる。N字の右下、落とすところはとことん落とす。そのほうが、駆け上がる際の快感や、上りきった時の爽快感が増す。ジェットコースターと一緒だよね。誰だって、平坦なジェットコースターには魅力を感じないもんね。

と、ここでカミングアウトしなければならなことがある。普段は物語を書く立場ではあるものの、当然、本を読んだり映画を観たりする。そう。受け手になることも多々あるわけだ。実は、N字の右下が心苦しくて、たまらんわけです。できれば、N字なんて描かないで欲しいと願うくらい。「頼む。I字であってくれと。ただただ駆け上るだけの物語にしてくれ。それが無理なら、-字にしてくれ。いっそ、何も起こらないほうがいい」と願うほどに。

恋愛を背景にした物語の場合、互いの恋が実り、幸せな日々を送っている最中に、必ずといっていいほど、恋敵だったり裏切り者だったりが現れる。そして両者が結託し、幸せな日々を送る二人を引き裂こうとする。そこで思うわけ。「なんでそんな酷いことするのん?」と。「幸せに過ごさせてあげたらええやん」と。

そんなんじゃ物語にならんだろ? そんな退屈な物語、誰が読むん? というか、物語が帰結するまでの間、主人公が葛藤や苦難を乗り越えることこそが物語の醍醐味だろ? そうおっしゃられることは想像に易い。しかしだ、作者が創り出した主人公の苦難に対し、心苦しくて目を伏せてしまう読者だっているわけだ、ここに。

例えば、恋敵に邪魔され恋愛が破綻しそうになった二人が、復縁を誓い、とある場所で待ち合わせをする。彼女は既にその場所に到着している。彼氏もまたそこに向かおうとするが、正確な場所がわからない。そこにたまたま現れた裏切り者A氏が、親切を装い彼氏に場所を教えてあげる。

が、その場所は全く別の場所。彼氏は彼女のもとへ駆けつけることができない。彼氏はまだ彼女が到着していないと考える。一方、彼女は何時間も待った末、彼氏は自分との復縁を望んでいないと解釈する。そして、その場を離れようとする。所謂、すれ違いというやつだ。

そこに現れるのが恋敵。失意の彼女に対して、優しい言葉を投げかける。心に傷を負った彼女は、その優しさに甘えたくなり、恋敵の腕に包まれることになる。こんなん、どう考えても耐えられへん。だってこの時点では、その先に待つラストが、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか知らされてないのだよ。もし、このままバッドエンドに突き進んで行ったとしたら、どうするのん? だれが責任取ってくれるのん?

この瞬間、小説の場合なら、最後のページをチラ見して、主人公たちがハッピーな結末を迎えたかどうか、確かめたくなってくる。実際に、最後のページに指をかけてしまうくらいだ。

ただ、そんなことをしてしまうと、せっかくの作品が台無しになってしまうため、なんとか踏みとどまってはいるが、本音を言えば、先に安心してしまいたい。そのうえで、主人公たちの葛藤や苦難を見届けたい。朗らかな気持ちでね。

登場人物の誰かしらが死ぬストーリーなんて、あり得ない。例えば、いつもつるんでいる5人組のうちの誰かが、とある事件に巻き込まれ、命を落としてしまう物語。そんな辛いこと、誰が受け止められますでしょうか。なぜ、彼ら彼女らに対し、それほどまでに過酷な試練を与えるのでしょうか。平凡な日常を過ごさせてあげることはできなかったのでしょうか。と、訴えかけたくもなる。

その昔、漕艇部に集う7人の若者の、愛や友情や成長を描いたトレンディドラマがあった。物語は登場人物たちの紆余曲折を経て、最終的に仲間のひとりが自ら命を絶ってしまう。なんてことでしょう。こんな辛い物語を、誰が受け止めきれるというのだろうか。心苦し過ぎて、テレビ局にクレームの電話を入れてしまいそうだ。

がしかし、このドラマが秀逸だったところは、仲間たちが集いイチョウ並木を歩く最後のシーン。なんとここで、命を絶った仲間も、肩を並べ、仲良く一緒に歩いているわけだ。もちろん、登場人物たちの思い描く理想を、想像のかたちで描写したシーンなのかもしらん。だって、死んだ人って基本的には生き返らないんだもの。

でも、そんなことはどうだっていい。そんな細かい話はこの際、どうだっていいんだ。ラストのシーンで全員が集うビジュアルをプレゼントしてくれたことに称賛を与えたい。そして、死んでしまった彼は生き返ったのだという解釈の余地を与えてくれたことに、心から感謝したい。

バカヤロウ! トレンディドラマなんて日常を描いた物語、死んだ人間が生き返るわけがないだろう! と罵詈雑言を浴びようが構わない。彼は生き返ったのだ。そして、仲間が再び集えたんだ。至上のハッピーエンドだ。現実なんて知ったこっちゃない。今も尚、我が脳内では、再び集った彼ら彼女ら7人は、仲良く時を過ごしている。

もちろん、物書きとして物語を紡ぐ場合は、主人公に辛い思いをさせたり、試練を与えたりもする。実に矛盾している。ただ、自分の物語を見つめる視線は客観的なものだ。他の誰かが紡いだ物語を見る目線とは違う。だから耐えられるわけだ。

しかし、ここ最近、物語の心苦しさに疲れ切ってしまったのか、自らが紡ぐ物語の中からN字が消滅し、-字路線が色濃くなってきているのかもしれない。何も起こらない、ただただ楽しい、恋愛はすべてうまくゆく、外敵なんて存在しない。ハッピーでしかない物語。

個人的には満足しているものの、作品に需要があるか否かは、小説コンテストの落選が、両の手の指の数じゃ足らないほどに続いていることが、如実に物語っている。ぐすん。

デタラメだもの。


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