見出し画像

「リアル山手線ゲーム」に迷いこんだ夜のこと

 8年前のとある夜、私は千葉県にある友人宅へ向かっていた。

 その翌日、私は成田空港からニューヨークへ飛び立つ予定だった。目的は約1年間の語学留学。そこで、せっかくなら成田空港に近い友人の実家に、泊めてもらおうという段取りだったのである。

 一緒にいたのは、その友人と私、もうひとり大学の同級生。3人で渋谷駅から山手線に乗り、品川駅で横須賀線に乗りかえ、千葉駅へ向かおうとしていた。

 そのとき、私は留学へ行くということもあり、たくさん荷物を持っていた。 

 まず、背中には大きなリュック。この中には、パスポートやアメリカ滞在に必要なビザ、飛行機のチケット、留学用の書類もろもろ、Mac BooK Air、事前に換金していた現金3000ドルなど。

 右手にはスーツケースだ。この中には衣類やカップ麺、インスタントのみそ汁、勉強用の参考書、スニーカーなど。

 そして左手にはボストンバッグ。この中にはたしか、「海外生活で役立ちそうなモノ一式」を詰め込んでいたと記憶している。とにかく私は、両手と背中を使って大量の荷物を運んでいた。これが、「リアル山手線ゲーム」開催のファンファーレを鳴らす契機となったのである。

***


 渋谷駅から山手線に乗り込んだ私たちは、楽しくおしゃべりしていた。

「ニューヨーク遊びいきたいな」
「いいね、俺がいるあいだに来てよ」
「案内できるように、詳しくなっとけよ」

 といった感じである。

 車内は空いており、席に座ろうと思えば座れるくらいの乗車率だった。しかし私は、両手に大量の荷物があるので、立ったままでいることを選んだ。席に座ってしまうと、荷物の置き場所にこまるからだ。

 ただし、途中でリュックだけは網棚に載せた。ずっと背負っていて肩が痛かったので、少しは楽になりたい。品川駅までの15分ほど、背中の重みから解放されようと思った。

 3人のあいだでは、相変わらず会話が弾んでいる。

「ニューヨークって、バスケのチームどこ?」
「ネッツじゃない?」
「それ、ニュージャージーだろ」

 私はこのとき、少々のさみしさを感じていた。もちろん翌日からのニューヨーク生活に向けてワクワクしていたが、この友人たちと約1年間会えなくなるのだ。期待とさみしさが混じった妙にセンチメンタルな気分で、あまり頭が正常に働いていなかったような気がする。

 しかし会話は盛り上がっているので、相槌はなんとなく打つ。

 そんな感じで気がつくと、私たちを乗せた山手線は品川駅に到着していた。扉がひらき、あわてて降りる友人たち。あとを追う私。「いつの間にか品川だったな」「乗り過ごさなくてよかったな」そんなことをピーチクパーチク話しながら、横須賀線への乗り換え階段を上がっていく。

 と、そのとき。背筋が”ヒヤリ”とした。でかいナメクジでも張り付けられたように。……ん? なんだ? なにか忘れてる? でもいったい、なにを忘れ……。

あ!!網棚のリュック!!!

 気づいた瞬間、私はダッシュで階段を駆けおりた。驚く友人ふたり。「なに、どうしたの!」「ちょっと!」背後で声がするが、振り向いている余裕などない。

 私は山手線のプラットホームへ降り立ち、さっきの電車が走り去ったほうを眺めた。もちろん、そこにはもう電車などあるはずもない。

 友人たちが追いついた。

「なに、どうしたの?」
「……リュック」
「え?」
「……リュック、電車に置き忘れた」
「え!」

 プラットホームに立ち尽くす私たち。「えー、どうするよ」「なに入ってたの?」と聞かれ、「パスポートとか、3000ドルとか」と答える私。

「やばいじゃんw」

 友人が笑うが、私はまったく笑えなかった。というのも、この時点ですでに、私の頭の中では「最悪のケース」が5段論法で進行し始めていた。

★★★最悪のケース★★★
リュックが見つからない
②明日から留学に行けない
③留学費用を借りた祖父のもとへ説明に行く
④祖父ブチ切れ
⑤留学の話自体がおじゃんになる

「ああ、終わった……もう、俺はニューヨークへは行けないんだ……」

 心の中で、そうつぶやいた。

 私の祖父は、わかりやすく言うと厳格な人である。私はこの祖父から留学費用を借りるために、指定されたTOEICのスコアをクリアし(別に大したスコアではないが)、費用の内訳と月々の消費予想額をエクセルでまとめ、留学への意気込みレポートを書き、返済計画予定表も作成した。

 つまり、それだけ下準備(いま思えば大した準備ではないが)したにもかかわらず、パスポートや3000ドルを電車に置き忘れて無くしたなんてことを報告しようものなら、典型的なカミナリ親父である九州男児の祖父の逆鱗に触れることは必須であり、おそらくサザエさん一家がみんなで飛び込んだときほどに家が揺れる怒号を飛ばされ、二度と留学の「りゅ」の字も受け付けてもらえない未来が”視えて”いたのである。

「……おい、どーするよ」

 友人の声で、ハッと我にかえる。

やだやだやだ。そんなのやだ! 絶対にあのリュックを見つけなければいけない。私は、どうにかしてリュックを取り戻す方向へと舵を切った。

「駅員さんに、聞いてみる……!」

 私は覚悟を決めた。絶対にリュックを発見する。プラットホームに設置された、駅員室へと駆け込んだ。

***


「すいません! さっき行った山手線に、忘れ物をしちゃったんですけど!」

 駅員室のドアを開けると、そこでは駅員らしき男性ふたりが楽しげに談笑していた。私が切羽詰まった顔で勢いよくドアを開けたので、「何事か」という顔で、ひとりの駅員が机の上の帽子をかぶり直して近づいてくる。

「えっと、いま行った電車ですか?」

「はい! すごい大事なものを忘れたんですけど……」

 私がそう言うと、その駅員の顔付きが変わった。なんだか、とても頼もしい顔である。彼は背後にいる駅員を振りかえり、

「おい、いま行ったやつって、戻って来んの?」

 とたずねた。

 というのも、いまさらではあるが、この時点で時刻は23時を回っていたと思う。いくら遅くまで走っている山手線といえど、途中の駅でその日は運行終了する可能性もある。この駅員はそういったケースを早くも察知し、背後の駅員に訊いたのだろう。

「えーっと……。あ、いまの、大崎止まりっすね」

 もうひとりの駅員が、ラミネート加工された時刻表のようなモノを見ながら言う。

「そうか……。うーん、そうか……」

 駅員が顎に手を当て、なにやら考えている。

「あの……どういうことですか?」

 私はおそるおそる訊いた。

大崎駅止まりだと、品川駅まで戻ってこない
出典:https://mediaroom-free.com/yamanote-anki/


 「えっと、とりあえずお客さんの忘れ物が乗った電車は、ここには戻ってこないんですよ。さっき行ったのは内回りで、大崎で止まっちゃうんです」

「ええ!」

 私の脳裏に、顔を真っ赤にして怒る祖父の顔が浮かんだ。

「だから、ここから外回りの山手線に乗って、大崎駅で降りてその電車を待っているのが一番いいとは思うんですが……」

「ええ、はい」

「ただ、それだと途中で盗られちゃう可能性もあるんで……。うーん、だから外回りで途中まで追いかけて、さっきの電車に乗り換えるっていうのもありなのかな……」

 駅員がふたたび顎に手を当て、ぶつぶつ呟いている。私にはなんだか、彼が十津川警部に見えてきた。時刻表トリックを暴くために思考する、ベテランの刑事デカに。

「で、でもですよ……。もしそれで乗り換えに失敗して、さっきの電車とすれ違っちゃったら……?」

 私は、純粋な不安を彼にぶつけてみた。

「うーん……。そのセンもありますが……。でも、大事な荷物なんでしょう?」

「はい、とても大事なものなんです!!」

「では、どうでしょう。タクシーで追いかけるっていうのは?

 十津川警部が、とんでもないアイデアを出してくる。は、走っている山手線を、タクシーで追いかけるだって!? まるで劇場版の名探偵コナンである。あのリュックに、爆弾が仕掛けられているとでも思っているのだろうか。しかし私個人にとっては、まじで爆弾並みの扱いが必要な荷物なのだ。

 ふうん……。タクシー……ですか。もう、イチかバチかやってみるか。

 私は人差し指で鼻の下をこすった。頭に包帯を巻きながら、毛利蘭と壁を挟み、背中合わせで爆弾のコードを処理する江戸川コナン a.k.a 工藤新一の気分だった。赤のコードか、青のコードか。タクシーで追いかけるか、外回りで追いかけるか。

 私は一刻も早く選択する必要にかられていた。よし、決めた。タクシーで追いかける。意を決して、口をひらいた。

「あの、やっぱりタク……」

「いや、普通に大崎駅で待ってるのが一番いいと思いますよ」

 十津川警部の部下が、冷静に言った。その場にいた全員が冷静に賛同した。そして我々3人は大崎駅へ行き、リュックが載っていることを願って電車を待った。リュックはあった。網棚の上にそのままあった。パスポートも滞在ビザも3000ドルもMac Book Airも、ぜんぶそのまま入っていた。

 あのとき冷静に止めてくれた駅員さん、本当に感謝しています。そして十津川警部。あなたはミステリーとサスペンス作品の観すぎです。反省してください。あなたの言う通りタクシーを捕まえて山手線なんて追いかけていたら、きっとリュックは見つからなかったでしょう。もちろん一緒に策を練ってくれてありがたいのですが、もう二度と警部ごっこはやめてください。冗談です。ありがとうございました。

***


 以上が、私がうっかり体験してしまった「リアル山手線ゲーム」の顛末である。

 みなさんも、もし山手線で忘れ物をしたら、その電車が1周してくるのを待つのが最善策だということを忘れないでください。くれぐれもニセ十津川警部に騙されて、タクシー捕まえて山手通りを爆走なんてしないように。

 8年ぶりに思い出したので、近々十津川警部に菓子折りでも持っていこうかと思っている。

(完)



この記事が参加している募集

熟成下書き

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?