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ASDやADHDの子供にとって学校は地獄になりうるという話

最近思っていることをつらつらと述べていこうと思います。

私は20歳ごろから勉強をやり直し始めて、10年以上かけていろいろな資格を取りました。
そして、専門職として仕事を続けながら一橋大学の院(修士)を修了しました。
今は投資家として独立していますので、ほとんどヒキニートとして毎日を過ごしています。

すでにヒキニート生活が4年以上続いているのですが、身内以外の誰とも関わらないこの生活が最も自分に適していると思っています。
今後もお金が許す限り、ヒキニートを続けていきます。

ただ、ヒキニートといっても、仕事や大学院を通じて知り合った専門家の皆さんとはまだオンラインでやり取りしていて、たまに雑談をしたりします。
全員ではないですが、彼等の何割かはASD(アスペルガー症候群または自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動症)の特徴をかなり強く有しています。
体感的には6~7割くらいの人はどちらか、または両方の特徴を多少なりとも有しています。
学生時代から偏差値がかなり高かった人たちばかりなので、ある意味当然のことです。

私自身もASDの特徴をゴリゴリに有しているタイプなので、彼等とASDやADHDトークで盛り上がることがよくあります。
みんなそれぞれ困っていることが多くあるのですが、それを受け入れて、他人様に迷惑をかけないように注意しながら、頑張って生きています。

ちなみに、私の親は私の数倍ASDでした。
知人等の両親もそれに近いものがあるので、発達障害は遺伝するという仮説はある程度正しいと思っています。
なお、これは医学的根拠があるわけではないので、あくまでも実体験と経験則を基礎としての意見です。

皆さんも御存知のとおり、ASDやADHDには様々な特徴があって、一人ひとり個性が異なりますが、うちの親の場合は暴力という形でその特徴を表してしまうタイプでした。
自分の決めたルーティンを害されたり、邪魔をされたりすると、信じられないくらい怒り狂って、子どもたちをボコボコに殴り倒すタイプです。

彼は母子家庭で育ったので、彼のこの悪癖を止める役割の人が親族にいませんでした。
その結果、彼はこの異常な特徴をコントロールできないままおっさんになり、親になりました。

その被害者は主に私でした。
私は子供の頃から馬鹿だったので、彼のルーティンをよく妨害してしまっていたのです。
彼の逆鱗に触れたときは、木刀、竹刀、バット、孫の手、ゴミ箱などで殴打される日々が続きました。
時々他の兄弟も地雷を踏むことがあったので、我々はよく体中にアザをこしらえました。

子供の頃の自分が、一つ絶望的に不幸だったと思うことは、その異常な生活を普通のことだと認識していたことです。
私の親は閉鎖的な性格だったので、家に友達を連れてくることも許さなかったですし、私自身もどちらかというと内向的だったので友達もいませんでした。
それゆえにほぼ隔離された空間で生きることになり、何一つ「普通」を知らずに大人になりました。

それから19歳ごろに家出をして、あの監獄のような家から抜け出し、関東という大都会に住むようになって早15年以上が経ちました。
私はこの15年で、やっと「普通」という水準を理解できるようになってきています。

今なら、俗に一般家庭とされている家庭の水準が、自分の想像を遥かに超えた「幸せな家庭」なのだと理解できます。
私の中の普通と、社会の普通の乖離を理解できるようになったことは、とても喜ばしいことです。


そのうえで思うことが一つあります。

それは、ASDやADHDの特徴を比較的強く持つ子供にとって、一般的な学校は地獄だということです。
特徴の強度や類型、及び学校の風土や環境によって変わってきますが、おそらく日本でASDやADHDの子たちが普通に通える学校は極々一部だと思います。
私の知る限りでは、灘・開成・駒場・渋幕あたりです。

それ以外の普通の公立校や一般的な私立校は我々には生きづらい場所だと思います。
少なくとも、私にとっては地獄そのものでした。

私はある意味有り難いことに家が貧しかった関係で、高校にも大学にも行けませんでしたので、小学校6年間と中学の3年間の合計9年間しかまともに学校に行っておりません。
それでも、その9年間はずっと苦しかった記憶しかありません。

自分が他の同級生たちと何かが違うということを感じているのに、それがどういう違いで、自分はどうすればいいのか、何もわからないままだったからです。
ただただ孤立して、嫌われ、孤独感を積み重ねただけの9年間でした。
私の住んでいた地域は、昔ながらの村社会でとても強い協調圧力があったので、尚更厳しい生活でした。

そして残念なことに、周りがおかしいのではなく、自分が変人だったのだと気づいたのは20歳を超えてからです。
もちろん周りも若干おかしいとは思うのですが、それ以上に私が変です。

そこから長い時間をかけて矯正を試みましたが、今でも変人のままです。
多少「健常者に合わせる」という技術を学んだだけで、長く関わるとボロが出ます。
それゆえに、誰にも迷惑をかけたくないと思って引きこもっています。
家が唯一安全で落ち着ける場所です。

そんな私には、運良く子供がいません。
今後も子供を持つ予定はないですし、遺伝子を残さない方が良いと強く思っています。
私が虐待親になる可能性もありますし、子供に辛い経験を繰り返させたくないので、全力でぼっちとして生きていく所存です。

それを前提としたうえで、万が一、いや億が一の確率で自分が子供を持ってしまったとしましょう。
幸いなことに私は投資家なので、子供一人くらいを養える程度の資産はあります。

このような状況下で、子供が私と同じようにASDの特徴を有していたり、またはADHDの特徴を有してしまっていたとします。

その場合、私はおそらく、一般的な学校に行かないという選択肢を子供に提示するでしょう。
いわば、自発的に不登校になるという選択肢です。

私は子供の頃、インターネットも開通していないような田舎で育ったので、有益な情報をほとんど得ることができず、学校に絶対に行かなければならないというアホみたいなルールの中で生きていました。
風邪で休んでも殴られるような家庭だったので、ただ疎外されるだけの場所に、毎日毎日通っていたのです。

その結果、私は小学生の高学年頃から20歳くらいまでの間、毎日偏頭痛と戦うことになりました。
子供ながらにストレスが限界値を超えていて、毎日頭が割れるように痛むのです。
ときには起き上がれないほどの痛みの中で、殴られたくないからという理由だけで学校に行きました。

私がもしあの頃の自分の親になれるなら、ただただ抱きしめてやりたいと思っています。
学校なんて行かなくて良いのだと、選択肢を提示してあげたいです。

今の時代、勉強なんて教科書とインターネットがあれば何とでもなります。
義務教育をすべて放棄したって何ら問題ありません。
一般的な高校なんて行かなくても、通信制高校もあるし、高卒認定試験もあります。
大学ですら通信制があります。

無理して他人と関わる必要なんてないのです。
今を生きる子どもたちには、もっと広い視野で、多くの選択肢の中から、自分にとってベストな選択をしてほしいと心から思います。

もちろん、一般的な小中高に行き、有名な大学を出て、就活に成功して、良い会社に入るという王道が一番良いのはわかっています。

でも、我々のような特徴を持ってしまっている人間にとって、そのルートは極めて大きな犠牲を伴うのです。
場合によっては心も体も壊してしまいます。
そんな代償を支払ってまで、普通の学校に行く価値はありません。
少なくとも、私にはそんな価値はなかったと断言できます。

小学生の頃の自分が、もし今と同じ情報を持っていたら、私は迷うことなく学校に行かないという選択をしました。
そして、自分で勉強して、高卒認定試験を早期に取得して、他の資格をどんどんと取っていったでしょう。
いずれにしても大学に行くお金はなかったと思うので、アルバイトなどで貯めたお金で、数年遅れで大学に行くことにすると思います。

自分の興味ある分野の勉強にすべてを捧げたでしょう。

しかし、当時の私には、何の選択肢もなく、お金もなく、勉強道具もありませんでした。
一定のレベルを超えた貧困は、すべての選択肢を塞ぐので、子供の頃の私にはどうすることもできませんでした。

だからこそ、運良く一般的な家庭に生まれた特徴を持つ子供たちには、人と違う選択肢を与えてあげてほしいなと思っています。
私達は、他の健常者の皆さんとは異なる特徴を持ってしまっています。
それゆえに、多くの場合、対人関係を良好に保つことができません。

でも、特定の分野を徹底的に伸ばすということには長けていて、分野を選び間違わなければ、それだけで十分に食っていける人間になれます。

私個人としては、それしか生き残る道がないとすら思っています。
一般的な人たちと一般的な職種で戦うには、ハンディキャップが大きすぎるのです。

だからこそ、早い段階から別の道を歩ませるべきだと思います。

特にASDの特徴を有する子は、特定の学問分野にハマると恐ろしいほどの成長を見せます。
自分の好きな分野を見つけるのが早ければ早いほど、早期に頭角を現しやすいです。
そういう意味でも、様々な学問分野の選択肢を提示してあげたいところです。

私が親なら、子供に対して、日本で学べるほぼすべての学問分野の解説をします。
その中で、最も興味のあるものを本人に選んでもらうために、池袋のジュンク堂か東京丸善につれていきます。
そこで好きな分野の本を好きなだけ見させて、ほしいと確信を持ったものを買ってあげます。

図鑑でも専門書でもPCでも何でもです。
ASDやADHDの子たちは、自分の興味に対して本当の純粋で真っ直ぐなので、心から好きだと思えることに熱中させてあげることが重要です。
子供が欲しがる学習教材の値段なんてたかが知れているので、一般的な家庭の親なら買ってあげられるはずです。

そうやって好きなことにどっぷりハマらせておけば、勝手に天才になっていきます。
少なくとも、私の知り合いたちはそれに近い育てられ方をしています。

親がASDやADHDに対する理解が深い(というか親たちも大体どちらかの特徴または両方の特徴を有している)ので、そういう子どもの育て方をよく理解しているのです。

とある東大卒の知人は、3歳くらいから、毎週のように図書館に連れて行ってもらっていたそうで、自然と本にハマっていったそうです。
京大卒の知人も書籍については自由に買って良いという環境で育っています。
他のみんなも書籍やPCの購入に関する裁量を与えられている家庭が圧倒的に多数でした。

その結果、早い段階で勉強という分野に興味を持ち、勝手に天才に育って、勝手に良い中学・高校に進学しています。
我々は、環境さえ整っていれば、ある程度の確率で才能を開花させられるのです。

ただ、基本的に特定の科目のみ天才的で、その他の科目は壊滅的ということが多いです。
でも、それで全く問題ないです。

我々は、全科目満遍なくというのがとても苦手ですから、元々特化型人材です。
稀に、勉強そのもの(学習技術そのもの)に興味を持って、すべての科目で良い成績を出すこともありますが、それは例外的な存在です。
基本的には特定の科目にだけ才能を発揮します。

そういう特化型人材の育て方を、より多くの親が知ってくれたら、もっと楽に生きられる子が増えるだろうと思っています。

夢みたいな話なんですけどね……

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