戸田"軍曹"光司

2011年に福島県南相馬市に移り住み、フューチャーセンター「みんな未来センター」を開設…

戸田"軍曹"光司

2011年に福島県南相馬市に移り住み、フューチャーセンター「みんな未来センター」を開設したり、遊び場を失った子どもたちに「遊び場」を作る「みんな共和国」といった活動を行う。現在は、地域の歴史やこの地の人の生き様を書き記す「ダイアログインタビュー」を、ライフワークとして行っている。

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『人』がコンテンツ ~ もとまち朝市~

福島県南相馬市原町区にある三嶋神社で、毎月開催している「もとまち朝市」。初開催は2021年11月だったので、この記事を書いている時点(2023年12月)で、2年ちょっとということになる。 まだたったの2年しか経っていないが、その間に出店者も来場者もじわじわ増えてきた。 そこで拡大した理由を自分なりに考えてみると、この朝市を通じて学んだことがたくさんあることに気づいたのだ。 そんな話を書き記しておきたい。 始めたきっかけ ここ南相馬市もご多分に漏れず、人口減少と共に高齢化

    • ゆるゆるのススメ

      こんなこと良いな できたら良いな♪ と思うことはいくつかあれど、いかんせん行動力が鈍く、全く何も始まらない(っつーか始めない)。 よく「思い立ったか吉日」「善は急げ」とは言うし、その通りだと思うが、生来面倒くさがりなため、鈍なことこの上ない。 20年前の俺は、こんなポンコツな自分を「ダメな奴」と卑下し、もっと頑張らなきゃと思っていた。そして頑張れない自分を、ますます卑下した。 今の俺は、こんな自分をダメだとしつつ、「まぁ良いんじゃね?」と思っている。 仕方ないじゃん。

      • 移住者のダイアログインタビュー

        単なる自分語りから、地域で語り継ぐ物語へ 先日行われた飲み会の席で、ある人がこんな発言をしていた。 「震災後の南相馬に移住して、復興支援や街づくりの活動をしてきた人の経験や街に対する想いを、インタビューしてきちんと文字にしておく必要があるんじゃないか」 「それはきっと、今後災害が発生した際、被災後の地域再生に活かせるはず」 「江戸時代この地域は、『天明の大飢饉』に見舞われて壊滅的な状態になったが、その後に取り入れた報徳仕法によって、見事に地域を立て直した」「東日本大震災から

        • 東京で「つながる」

          只今、南相馬から関東に帰省している。 今回の帰省には、大きな目的があった。 南相馬で新たな取り組みを始めるにあたって、東京の人とつながり、話を聞いて、アイデアをブラッシュアップしたいのだ。 ということで、あちこちに出かけて人と会いまくっている。 人工透析は欠かせないので、実家近くの病院で透析を受けつつ、間を縫って活動している(とはいえ、そこまであくせく動いているわけではないが)。 まずはここ……ソーシャルバーPORTO ここは日替わり店長さんがカウンターの中に立ち、お客

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        • ダイアログインタビュー
          5本

        記事

          担いたいこと

          以前「みんな未来センター」を開いていたときは、震災後の南相馬を訪れた人を連れ、市内をアテンドして廻ったりしていた。最近はそのような依頼は全くなくなったし、本来は私では無く地元の方が負った方が良い役割だと思うが。 たまたま最近、この街と関わりを持ちたいというプランを持った大学生を、アテンドして市内を巡る機会が数回あった。学生さんは、それぞれ違う目的を持っていたので、案内する場所や紹介する人は全く違ったのだけど、どのケースでも、「外からやって来てここに住み着いた『茶色っぽい人(

          担いたいこと

          今月もゆる~~~く開催……もとまち朝市!

           毎月第3土曜日に、南相馬市原町区の三嶋神社参道で開催している「もとまち朝市」。今月も11月19日に開催した。もとまち朝市は、去年の11月からスタートしたので、今月でちょうど1周年ということになる。  まぁよく続いたものだ。ゆるゆるだらだらと。主催者も出店者も来場者も、楽しいと思える空間を続けてきたつもり。  1月から5月までは、出品する野菜がなくなるので休んだし、7月は新型コロナウイルスの感染拡大を受け開催を見送ったが、それ以外は開催していた。野菜、フリマ、コーヒー、似顔絵

          今月もゆる~~~く開催……もとまち朝市!

          月の呼び名に見る、地域を見直す視点

          この記事は2022年11月14日に書いているのだが、先週11月八日の夜には、皆既月食があった。今回は皆既月食中に天王星食が起こるという、大変レアな現象だとのことで、大々的にテレビ等でも取り上げられ、観測会なども全国あちこちで行われていた。 かくいう私も、これを観測するために、山の上の見晴ら出掛けていった。出掛けていった。 しかし考えてみて欲しい。月は曇っているときと新月の日以外は、毎日みられるものだ。特別な現象の時や中秋の名月の時などに見上げる気持ちはよく分かるのだが、それ

          月の呼び名に見る、地域を見直す視点

          自分の役割を見つけることが出来ると・・・・・・

          自分の役割? 私は今年で51歳だ。この年齢になるまで、自分が担っている役割なんてものは意識しないまま過ごしてきた。 社会人として働いていれば、稼いでいる給料や就いている職種によって、担う役割は決まってくる。私も南相馬に移住する前、トラックドライバーだった頃は、決まった時間内に決まった場所へ、注文通りの品物を届けるという役割を担っていた。その前の営業マン時代には、自社の商品やサービスをお客さんに販売するというを担っていた(営業成績は酷いものだったが)。 子どもを育てる親ならば

          自分の役割を見つけることが出来ると・・・・・・

          もとまち朝市andフリマを終えて

          このひと月ほど、力を入れまくって取り組んだ「もとまち朝市andフリマ」を終えた。メチャクチャ楽しかったし、来客もそれなりにあったと思う。 けど・・・・・・成功したのかどうかはよく分からない。 出店者さんによって、相当の売り上げがあったお店もあれば、それほどでもなかったお店もある。 もちろん売り上げが異なるのは、出店者さんによって販売しているものが違うのだから、当然といえば当然。 それだけで、今回のフリマの成否を判断することは出来ないだろう。 それでは、今回のフリマをどう判断

          もとまち朝市andフリマを終えて

          こんな俺ですが……ごめんなさい&宜しくお願いします。

          ホントはね…… 俺、移住を決めたときは「こっちで普通に4tトラックのドライバーをやろう」と思ってた。 トラックに乗りながら、休みの日にちょこちょこと、街の活動に手伝い程度で参加しようと。 もしそうしていたら……「コミュニティカフェ べんりDaDo」も「みんな未来センター」も「みんな共和国」もやらず、ファシリテーションに出会うこともなく、もちろん「もとまち朝市」も「まなびあい南相馬」も参加しなかっただろう。 そう考えることがたまにある。 きっと金はもう少し残っただろうな

          こんな俺ですが……ごめんなさい&宜しくお願いします。

          【雑記「もとまち朝市」を開いて感じたこと】

           8月20日、南相馬市原町区本町の「三嶋神社」で、「もとまち朝市」を開催した。いつもなら9時のスタート時間と共に、ご近所からたくさんのお客さんが来てくれるのだが、夏の甲子園大会の準決勝「聖光学院ys仙台育英」戦が行われる時間と開催時間が被ってしまったこともあり(この2校の活躍は喜ばしいことだけど)、客足はいまいち。  でも、いつも通りゆるゆると、心地良い場を開くことは出来たんじゃ無いかな。 「もとまち朝市」って?楽しい「日常」を取り戻す  「もとまち朝市」を開催している原

          【雑記「もとまち朝市」を開いて感じたこと】

          風の人?土の人? 我が南相馬暮らし

          南相馬で暮らすとは 私が南相馬に通い始めたのは、2011年の4月、完全移住をしたのが2011年の10月だ。関わり始めて11年ちょっとになる。元々私は埼玉でトラックドライバーをしていて、物事を深く考えることなく刹那的に生きていた。そんな私が、今や南相馬で街づくりの活動を行っている。何とも不思議なことだが、そうするに至るには色々な出来事があった。  全てを書くと壮大な話になるので、今回は「そうするに至った『想い』」について記したい。 移住のきっかけ  2011年4月3日、私

          風の人?土の人? 我が南相馬暮らし

          予防接種の通知が来た今、思う事

          昨日俺の手元に居住する街から、「新型コロナウイルスワクチン接種のご案内」という封書が届いた。 日本国内で感染者が出たのが2020年1月。そこから数えても、もうじき1年半になる。その後一気に広がったコロナ禍。これはなかなかキツかった。 社会全体で「自粛」と「行動変容」が求められるようになった。旅行や行楽、会食、酒宴など、遠慮するように求められ、飲食店や娯楽施設などは大変な苦境に立たされた。 ただ俺個人的にはそうした「自粛禍」よりも、感染そのものをいかに防ぐかの方がキツかった

          予防接種の通知が来た今、思う事

          ダイアログインタビュー ~市井の人~ 梅田守さん「この街で暮らす『芯』とは」5(最終回)

          ◎これから地域とどう関わっていくか ――気のせいかもしれないですけど、この街ではよその地域と比べて、ホンダ車をたくさん見かけるんですよ。今は軽自動車が多いみたいですけど。 梅田 この地域はね、全国的に見ても、ホンダ車のシェアが指折りに高い地域なんです。ホンダ車のシェアって、全国平均で大体十三~十四パーセントくらいなんだけど、この地域は二五パーセントを超えている。これ、新車の販売シェアでね。四十%パーセントを超えている時代もあったんです。この地域ではトヨタより高いシェアでね

          ダイアログインタビュー ~市井の人~ 梅田守さん「この街で暮らす『芯』とは」5(最終回)

          ダイアログインタビュー ~市井の人~ 梅田守さん「この街で暮らす『芯』とは」4

          ◎震災を経て ――今のお話を伺って、震災後の梅田さんの行動が腑に落ちるというか……「あ! そういう意味があったのね」と思える点が色々ありました。例えば、いち早く市外からの支援の受け入れの受け皿になったりされてましたよね。その大元には、エゴというごみを落としたことによる、人や地域への想いなんかもあったんだろうなという気がしました。そこで伺いますが、震災をきっかけに、転換した視点ってありましたか? 梅田 大いにありましたね! 人生をもう一度見つめなおすきっかけになったし。「い

          ダイアログインタビュー ~市井の人~ 梅田守さん「この街で暮らす『芯』とは」4

          10年を対話で振り返る会@たまたま居合わせた有志

           この日は、以前たまたま居合わせ「ワークショップしたいね」と話をした有志(うち未来会議事務局メンバーが数名)を南相馬に招き、銘醸館一番蔵を会場に「10年を対話で振り返る会@たまたま居合わせた有志」を開催した。集まってもらった有志のうち未来会議の事務局のメンバーは、普段「対話の場を作って、集まった人たちに話をしてもらう」という事は行っているのだが、自分たちで自分の事を語るという機会はそれほど多くない。それに加え、マスコミ報道などで「10年で一区切り」と言ったニュアンスの発信

          10年を対話で振り返る会@たまたま居合わせた有志