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10年を対話で振り返る会@たまたま居合わせた有志

 この日は、以前たまたま居合わせ「ワークショップしたいね」と話をした有志(うち未来会議事務局メンバーが数名)を南相馬に招き、銘醸館一番蔵を会場に「10年を対話で振り返る会@たまたま居合わせた有志」を開催した。集まってもらった有志のうち未来会議の事務局のメンバーは、普段「対話の場を作って、集まった人たちに話をしてもらう」という事は行っているのだが、自分たちで自分の事を語るという機会はそれほど多くない。それに加え、マスコミ報道などで「10年で一区切り」と言ったニュアンスの発信がなされている事に対する、「とても区切れるものではない」といった違和感が、震災後10年の持つ意味を見えにくくしているのではという懸念もあった。そうした事から、このメンバーを中心に振り返り会を開いてみようと思い立ち、この会を開催した。
 テーマは「過去の『宝物』に気づいた未来から学ぶ」とした。このテーマは、自分達や社会が取ってきた足跡と正しく向き合い、「宝物」「学び」「教訓」「反省」を把握する事で目指す未来が変わり、そこから現在の行動が導き出せるのではという「仮定」に基づいたものだ。

◎ルール
 今回の場には3つの「ルール」をもうけた。1つ目は「『否定』を禁止しない。否定的な気持ちを表現する事も有り」というもの。相手に否定的な気持ちを抱いた時は、即座に否定するのではなく、まず質問をして真意を確かめる事とした。その時々の気持ちを大事にしつつ、不必要な対立を避けるためである。2つめは「『議論』が起こった時は、程良いところでファシリテーターが介入する」というもの。これは「議論」から「対話」への移行を促すためである。3つめは「この場で出された発言について、ここ以外の場所で話す事はしない」というもの。この場の安全を保証し、思った事を発言しやすくするためである(ちなみにこのレポートは、参加者の皆さんの同意の下で記し、発表するものであるという事を追記しておく)。
 この日の対話は、結論を導き出すものではなく「心の中の言葉を、この場に置いていくような気持ちで臨んで下さい」という事も付け加えておいた。


◎グループ対話
 前半のセッションは、グループに分かれて、グループごとに「自分語り」をしてもらった。自分語りのテーマは「この10年で感じた事、得た学び」である。参加者は総勢7人であったので、3人組と4人組の2グループに分かれた。一人あたり12分を目安に、語りと感想の共有を行っていく。それぞれが自分語りをきちんと行ったグループと、自分語りから目下の最重要問題である「処理水の海洋放出問題」へと移行したグループに、分かれた事が興味深い。「震災以降の自分の言動に同意をしてくれた人がいた一方、自分の言動で傷ついた人もいた」という話や、「移住してきた自分の地域での立ち振る舞い」について振り返った話、「震災以後一貫して『対話』に取り組んできたが、最近の問題で再び対立構造が露わになっている事にショックを受け、無力感にさいなまれている」といった話が印象的だった。
 グループ内で話が深まる事を目指したので、メンバーは入れ替えず、50分間じっくり話してもらった。


◎ダイアログ
 後半は、参加者全員で一つのサークルを作り、ファシリテーターも加わる形でダイアログを行った。ここでは、前半に出た「傷つく」「無力感」という言葉がキーワードになった。「『自分が誰かを傷つける事がある』という事実はあるものの、それを避けるあまり当たり障りのない表現しか出来なくなる事は、良い事とは言えないのではないか」「他者を傷つけないようにコミュニケーションをとる事は、どんなやり方なら可能なのだろう?」「他者に『自分事』として関わってもらうには、無力感を感じても対話や呼びかけを続けていくやり方しかないかも」「対立関係にある人同士を、同じ場で対話してもらう場をデザインする事は可能だ」というような事が話された。
発言者には「トーキングオブジェクション」という目印を持ってもらった。それを持っている人以外はきちんと聞く、発言が終わったらトーキングオブジェクションをサークルの中央に置き、次の発言者がそれを拾って発言するという方法だ。その都度「話す人」「聞く人」を明確に分けたのだが、それによって発言が遮られる事がなく、きちんと発言出来、きちんと聞く事が出来たように見受けられた。それに伴い場も深まったように思う。


◎チェックアウト
 最後に参加者全員が、この場に参加した感想をシェアした。「穏やかな雰囲気の中、深い話が出来て良かった」「とてもデリケートな話題が世に出たこのタイミングで、感情を少し表に出しつつ、じっくり話が出来た」「話しにくい事も『試しに話してみようかな』という気持ちになれた場だった」「ステークホルダーを集めて、ガチンコな対話をしてみたくなった」といった感想が出た。
 この日の場は先に書いた通り、結論を出す場ではない。「きちんとした振り返りから、目指す未来が見える」事が目的ではあるが、この日一回の対話でそこに至るものとは考えていなかった。従って、この場を体験してもらい、この場を続けていく事への同意が得られればと考えていた。それについては、参加した皆さん全員から「次も可能ならば参加したい」という感想が頂けたので、継続して対話の場を設けていく事が決まった。

◎まとめ
 この日の対話は、制約を設けず場の流れに任せた場となった。ファシリテーターは空気感の醸成に注力し、対話の深まりは参加者の皆さんが作っていった。「深まり」「広がり」も場に任せた。参加者の皆さんのご協力によって、とても良い場が出来たように思う。
 一番の収獲は「気持ちを出せる安全な場」が出来た事かも知れない。
 今後この場を続けるに当たって、不特定多数の人に参加を願うのではなく、参加人数は絞って開催する事が必要かと考え、しばらくはそうした設計で場を作る事とする。
 今回の対話では、「傷つく」という事をテーマに話がなされた。社会の中にあって人は、多くの立場、意志、主義などと相対する事になる。その中にあって、自分とは異なる立場、意志、主義などに接し、傷ついたり不利益が生じたりする事は出てくる。これは避けられない事だ。そこで「何故傷ついたのか」「何故傷つけたのか」に思いを馳せる事が、この社会においては大事なのではないか。そうして、傷ついた事をいかにケアし、リカバーしていくかを、共に考える事が必要だと、私は考える。その段階に至るには、互いに自分の意見を主張し会う「議論」も大事で、この議論の過程を経てしっかり自分の気持ちを場に出して初めて、それぞれが大事にしている事が見えてくる。そうして見えた「大事にしているもの」を尊重し合いながら、生成的な結論を目指してなされるやり取りが「対話」だと考える。
 今の社会は、非常にデリケートな問題が山積だ。それらの問題を乗り越えるには、これまでの「議論」の範疇に留まった話し合いでは、本当の意味での解決には至らないと思う。今回開いた場には、議論から対話に至るヒントがあった。これからもこうした試みは続けていきたい。


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