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もとまち朝市andフリマを終えて

このひと月ほど、力を入れまくって取り組んだ「もとまち朝市andフリマ」を終えた。メチャクチャ楽しかったし、来客もそれなりにあったと思う。
けど・・・・・・成功したのかどうかはよく分からない。
出店者さんによって、相当の売り上げがあったお店もあれば、それほどでもなかったお店もある。
もちろん売り上げが異なるのは、出店者さんによって販売しているものが違うのだから、当然といえば当然。
それだけで、今回のフリマの成否を判断することは出来ないだろう。

それでは、今回のフリマをどう判断すれば良いのだろうか?

自分は満足したのか

私の行動の自己評価は、「自己満足度」に拠るところが大きい。自分が「やって良かった」と思えたら、それは高く評価して良いのではなかろうか。
その視点で見ると・・・・・・

お客さんであり、手伝ってくれた皆さん


地元の若き売り子さん

大成功だったのではなかろうか。
私自身は「やり切った感」があるし、出店者さんもお客さんもみんな笑顔で過ごしてた。
手伝いに来てくれた人ですら笑顔。
これって凄いのでは。

「もとまち朝市andフリマ」を開いた理由

いつもは「もとまち朝市」として、農家さんが自分の畑で獲った野菜を、軽トラの荷台に載せて販売するというスタイルで開催している。
今回は「季節の変わり目で、旬の野菜がない」時期で、販売出来る野菜が少なかった。ならば「フリマと同時に開催すれば良いかも」と思い立ったわけだが、それと共に同時開催の「良い点」が見えてくる。

「もとまち朝市」を開催している地区は、高齢化率が高く、独居のお年寄りも多い地域。街の中で、若者や小さな子どもの姿を見かけることがない。ここに住む人から「子どもが全然いねえんだよ」という声を聞くことも多い。

その一方で、南相馬には子育てに悩む若いお母さんがたくさんいるのだということを、お母さん本人から聞かされた。

そこで思う。
「あれれ?一方では『子どもが居ない』という話を聞くし、他方では『一人で子育てに悩むお母さんが居る』という話を聞くぞ。こりゃどういう事だ?」
と。高齢化も核家族化によるワンオペ育児も、もしかしたらマッチング次第で、解決までは出来ないにせよ、かなり解消出来るのではないか・・・・・・。
まずは両世代が「混ざる」場を作ってみてはどうだろう?

ならば、「もとまち朝市」をその「混ざる」場に出来ないだろうか。
「野菜の軽トラ市」と「フリマ」を同時開催することで、どちらの世代も買物に来るのではないだろうか。
そうすれば、高齢者はちびっ子を構おうとするし、お母さんは子どもを守る大人の目がある中で買物を楽しめる。

こりゃWin-Winじゃないか!

開催してみると・・・・・・

「もとまち朝市」は、販売することより、買物の場で生まれるコミュニケーションを楽しんでもらうことを大事にしている。売り手と買い手、買い物客同士の間で生まれる、ゆるゆるとした雰囲気を堪能してもらおうというのだ。

フリマと同時開催とした今回は、これまで以上にゆるゆるとした雰囲気が生まれたいた。

色んな世代の人が混ざって買物に来ています

神社の参道で開催しているので、車通りを気にする必要も無くちびっ子が歩き回り、その間で大人達が、ゆるゆると買物を楽しんでいる。
ちびっ子向けの商品を用意してくれた出店者さんもいて、大いに盛り上がっていた。
出店者さんもちびっ子を連れて出店したりしていて、会場には常にちびっ子がいる。出店者さんも、安心してちびっ子を遊ばせられるようだ。

野菜を買いに来た人

今回、とても申し訳なかったのが、販売出来る野菜を十分に用意出来なかったことだ。「野菜を買いに来た」という近所のお年寄りもいらしたのだが、いつもより野菜が少なかったので、買物を楽しんでもらうには至らなかったと思う。
当然、お年寄りの来場者は少なく、当初の目的であった「世代関係なく色々な人が『混ざる』」ということは、十分に出来なかった。
もしかしたら、「フリマ」を行うということで、近所のお年寄りは来場をためらったのかも知れない。
これは改善点だろう。

けれどもこの問題に対する明確な対策は、
「販売する野菜の種類と数を揃える」
「続けて野菜を販売し続ける」
以外には無いのではないか。
地元の良質な野菜を販売し続けていれば、だんだんお客さんは増えてくる。
現に今回まで、順調に来場客数や売り上げは伸びていた。
今後は野菜販売に限定せず、今回のように野菜販売とフリマを同時に出店することを、続けていくつもりだ。
そして、お年寄りのお客さんの、買物のお手伝いなども行っていこうと思う。そこに地域の高校生などが関わってくれたら良いな。そのための仕組み作りもしていきたい。そのための作戦を立てねば。
そうすれば、お年寄りの買い物客も今回以上に増えて、徐々に「混ざる」状態が出来るに違いない。
何か特別な客寄せ企画によって、人為的に「混ぜる」ことはやりたくない。

自然と「混ざる」場を作りたいのだ。

お客さん同士で、自然発生的にコミュニティが生まれれば良いが、この場限定のコミュニティでも良いと思う。

「ここに来れば誰かと会える」

そう思ってもらえれば、それで良い。

コミュニティは自然と生まれる

こうして生まれるコミュニティは、例えるなら
「道ですれ違った人同士、挨拶を交わす」
程度の軽いコミュニティだ。ガッチリと関係性を深めるものではない。
だけど、それで良いのではないだろうか。
近頃の、ちょっと殺伐とさえ感じられる世の中は、人と人の距離が空いてしまったがために出来たように思う。
個人を尊重し過ぎるあまり、隣の人のことさえ知らないという世の中。常に警戒を怠らず、自分の周りに壁を築かざるを得ない世の中。
これでは気が抜けないではないか。
困りごとを誰かに相談することも出来ない。
常に孤独。

これで良いとはとても思えない。

コミュニティ(人とのつながり)は、もっと温かいものだし、頼れるものだし、更なるパワーを秘めている。

そのパワーは、失われた街の元気を取り戻すカギだと思うのだ。

街のチカラ

外から何かを持ち込んで街に活気を起こそうとすることは、カンフル剤のようなもの。
カンフル剤もとても大事だが、街に住む人の関係性を見直し、街の中でコミュニティを作れば、じわじわと効果は広がっていくはず。
まるで漢方薬のように。
カンフル剤は打ち続ける必要があるが、漢方で体質改善をすれば、後は自然と効果が上がる。
そんな風に思うのだ。
私が「もとまち朝市」を開いている南相馬市は、東日本大震災で甚大な被害を被り、原発事故によって街のコミュニティが破壊された場所。

けれども震災前は、都会では失われてしまったコミュニティを、連綿と受け継いできた地域だ。
都会にない魅力を、この街から感じるのだ。
まだ可能性はある。この街はチカラを秘めている。

「もとまち朝市」の役割

そんな街にあって、「もとまち朝市」という小さな小さな場が持つ可能性は、とんでもなく大きいと私は思う。
南相馬という街は、実にたくさんの「宝物」が埋まっている場所だ。まだまだ力の無い「もとまち朝市」という場を、諦めずにじっくり育てることが出来れば、停滞気味の街の風景を変えることが出来るのでは無いか。

そんなことを、私は夢見ている。

最後に出店してくれたみんなで「もとまち朝市andフリマ」を開かせてくれた三嶋神社にお詣り

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