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こういう私が私なんだと腑に落ちる事②~バランスをとる~



私にとって、色々考える事は、幼い頃から身に着いた事だったと思います。
特に、幼少期から児童期の生育環境での体験は、通常の感覚で感じると辛く苦しかった為に、感覚を閉じて生きなければ、その環境で生きられなかった気がします。
感じる、という事をやめた為、必然的に思考優位になっていき、物事を自分流に考える事や、考え過ぎてしまう癖が付いたのかもしれません。
持って生まれた気質に、育った環境からの影響が加わった事で、
特に感覚を閉じる前の体験を、私は強く印象づけて感じとり、その事から強く思い込みをして、極端に偏りやすい傾向だったのかもしれません。


自分との向き合いをしていく事は、過去に未完了にして来た感情を、今の私が感じる(感じきる)事でした。
(ご縁ありゲシュタルト療法に出会いました。)
未完了の感情を感じきって、気づきを得て、乗り越えると、その都度心が楽になっていく実感があったので、向き合う事が進むに連れて、心で感覚や感情を感じる事は怖くない、と思えるようになりました。
遠い過去、児童期に閉じた感覚は、もう閉じておかなくても大丈夫なんだと思えるようになりました。


何度も何度も気づく事を繰り返して、今回の気づきで、どんな私も私だから、これでいいんだと、特性ある自分が腑に落ちて、気持ちはとても自然で、すっきりして、楽でした。
そういう私なんだから、そのまま受け入れる。
複雑そうに見える自分を、単純に受け入れる。
そう単純に、そのまま受け入れる。
何事も単純がいい。(矛盾に聞こえますが...)
私、自分を全部受け入れてシンプルに生きたい。
そう、シンプルに、自分の心、本音本心に正直に、素直に生きたいと。そう思いました。


そもそも人は誰もみんな、1人1人が違う。
その特性は素晴らしい個性。その人らしさ。
1人1人みんながそう。
1人1人違う性格、気質、特性、個性、価値観、好みなどを持ってる。私もその中の1人。
1人1人違っていて、それぞれみんながそれぞれ素晴らしいんだから。私は私のままでいい。そう思いました。


最初から出来ないと諦める事とは違っていて、
やってみて、どうしても出来なかった事は、出来ない事なのかもしれません。
私は、考えないように、とやってみて、出来なかったので、頑張っても出来ない事があるんだと気づきました。
そして逆に、きっと誰もが、それぞれ頑張らなくても出来る事があるんだとも気づきました。
ほかの人にとっては大変な事でも、自分にとっては比較的楽に出来るような事。
人によって違う色々な特性、個性の中の1つ。
得手・不得手、向き・不向きがあるという事。適材適所という言葉もありますね。
私は私に出来る事を伸ばしていけばいい、と思いました。
出来る事を続ける事と、出来ない事にいい塩梅でトライしてみる事。
考える事、考えない事、感じる事、そういうバランスをとっていきたいと思いました。

夜、自分で自分に寄り添い優しくハグして包み込むイメージをしました。
今、私は、私に出来る事を、私に出来るやり方でやればいいよ。そう優しく伝えました。
そして出来ない事は、これから出来るようになるかもしれない楽しみだから、日々わくわくした気持ちでいられるね。
色々考えてしまってもいいよ。ただ、考え過ぎないようにしようね。
なるべく考え過ぎないで、心地よく心を緩めて、感覚を感じよう。心の感覚に従おうね。


出来ない事は、何でも、人に聞いたり、頼ったりして教わっていけばいい。聞く事も教わる事も、恥ずかしい事でも何でもないよ。
誰かに頼る事は喜ばれるかもしれないし、私は教わった事を、今度は誰かに教えてあげられるかもしれない。感謝して、相手を信じる自分を信じようね。
そう伝えました。
出来ない事や、知らない事がたくさんある私。出来る事や知っている事も少しはある私。
もしも必要があるのなら、知らない事を知り、出来ない事が出来るようになるのかもしれない。
その、どちらでもいい。どちらでも、きっと、幸せだし、楽しいと思う。
私が私でよかった...と、等身大の自分をニュートラルに肯定出来た夜でした。


螺旋階段のようにゆっくり、まわりながら。
半返し縫いのように、半分下がって前へ縫うように。ラグビーのボールの動きは後ろへパスされながら、前へ前へ進むように。
向き合いをして、本来の心に戻って行こうとする自分の心は、1度下がって前へ、1度後戻りして進んで行く。陰を体験して陽へ転ずる。
それを繰り返して、何度も気づき直して、心が元に戻って行くように思います。
ほかの誰でもなく、何者でもない私。
ただただこういう自分。私が私であるだけ。
この時、何の不足も感じず、心の充足感、心がずいぶん修復されて傷が埋まっていく感覚、満ち足りて行く感覚を感じました。


振り返ってみると、昨年末~1月中の気づきがあり、2月中の日常の中で自然に起こった出来事からの体験、流れ、通過を経て、この気づきに繋がったと思いました。
全て自然に起こる事や体験する事に、無駄な事なんてひとつもないんだ...と、再度感じました。
そして、体験する事、気づく事、きっと個々に最適で最善な流れがあるんだ...と思いました。
どんな自分でもいいと、腑に落ちていたから、
どんな自分でも愛して、自分を全肯定して全受容出来るようになっていたから、自分で自分を承認する事が出来たと思いました。

色々な感情を体験出来る、その事に感謝しようと思いました。
ネガティブだと感じる出来事や、そういう気持ちになった時は辛く苦しいけれど、気持ちに寄り添って、自分に優しくして、本心から素直に感じきる事で、視点や捉え方が変化して、大切な事に気づき直すチャンスでした。
ネガティブは次に繋がるチャンス。
ピンチはチャンス。





最後までお読み頂き、ありがとうございました。







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