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SNSでつながる問題関心―柳田国男と西田幾多郎の交流を調べる

 西田幾多郎と柳田国男は同時代人(西田が生れたのは1870年、柳田国男は1875年)であったので交流がありそうに感じるが、意外と接点は見つからない。西田と柳田は実際に交流があったかどうかを調べていたところ、ウェブ上で以下の記事を見つけた。

 上記のテキストから西田と柳田の間に交流があったかどうかは分からなかったが、柳田が西田の思想を意識していたことが分かった。このテキストから柳田の民俗学と西田の哲学の交点に務台理作という哲学者がいたという学びを得たので以下のような発言をTwitter上で行った。

(筆者注:該当記事は現在ブログ上に移動されているが、当時はnote上にあった。)

 この記事に対して以下のような返信があり、国民学術協会という組織で西田と柳田が理事として所属していたことを教えていただいた。さらに追加で国民学術協会が編集した『現代文化の問題』に西田と柳田の写真が掲載されており、会合に同席していた可能性があることも分かった。これだけで交流があったかどうかは分からないが、西田と柳田に接点はあったようだ。

 さらに国民学術協会という団体に関して調べても参考文献が分からなかったところに以下のように教えていただき論文があることが分かった。

 余談だが、上記のように教えていただいた『現代文化の問題』が国会図書館のデジタルアーカイブにあり、ウェブ上で閲覧できることがつい最近知った。

 これは昨年のことだが、なぜ今さらこのことを記事にしたかと言うと、最近SNSに関するネガティブな話題、バズる=SNSの有効活用・うまい使い方という考えが特に目立つ印象を受けたので、ささやかながら別の方向でうまく使えた実例として紹介したかったからだ。

 全然話は変わるが、南方熊楠は『ノーツ・エンド・クィアリーズ』というイギリスの雑誌に投稿していた。『日本民俗文化大系4 南方熊楠』鶴見和子によると、この雑誌は「文学者、芸術家、古物研究家、系譜学者その他の間の相互交通のための媒体」であったようだ。参照した鶴見和子の本によると、この雑誌の性格は以下のようであったという。

(前略)文学、芸術諸科学のすべての異なる分野で活動し研究している人々が、思いついた時に思いついたことを、書き留めておかないと、忘れてしまう。覚書のようなものでいいから、書いておこう。そして知らないことは、きいてみよう。知っていることは、分かちあおう。なるべくちがった考えをぶつけあわせよう。そして、将来論文や作品を書くときの、アイディアや知識を発酵させる場所にしよう(後略)

遠い理想かもしれないが、SNSやウェブをこのように使うことはできないだろうか?

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