神本町漱石通り「鏡子の家」A3~ラストシーン
承前
06:白熱していく議論
「金閣寺のイメージを色々と考えることにしましょうかね。マジメに考えることは抜きにして」
鹿金はそう言いながら、『人間失格』ごっごの表を取り出す。金箔の剥がれ落ちた金閣寺のような色のジャケットを着ている老紳士である。
表の左側には金閣寺、右側には銀閣寺と書かれ、その下には様々な名詞が連なっている。その表をもとに雑談が繰り広げられていった。
「人工衛星は金閣寺、宇宙船は銀閣寺なんでしたっけ? かなりカオスな議論をしていたのですね」と大学生の神薙は驚いていた。
「銀閣寺が宇宙船なのかはともかく、前にも申し上げた通り、金閣寺は独特ですよね。人間離れしたデザインだけど、建てたのは人間。そう思うと、人工衛星という表現はピッタリだと感じます」と由比子が言った。『金閣寺』の映画版である市川崑監督『炎上』を語るタイミングはなさそうだ。
しばらくの間、金閣寺の建築様式が議論の対象となった。
金閣寺の一層と二層は貴族的な(寝殿造り風の)建築様式を採用している一方、三層は禅宗の仏堂として建てられている。
町子の後輩である亀川はその統一感のなさをたびたび指摘していた。また、金閣寺は和風の建築とは程遠いが、原色がふんだんに用いられる中華的な建築とも異なる、という点を由比子が指摘している。
「それともう一つ、気になる点があります」と神薙が言った。
「金閣寺と太陽が結びつくかどうかです。
太陽神の性格を持つ天照大神は、天皇の祖となる神とされています。乱暴に言えば、太陽=天皇と言えなくもありません。
もし金閣=太陽が成り立つならば……」
「イメージとしても、金閣=天皇が成り立つということですね!」と亀川。
「亀川さんの疑問も解消できるのではないかと」
神薙はそう言いながら、懸念点も指摘した。
「ただ、日中共通で太陽を連想させる伝説上の鳥は金烏なんですよね。あくまで鳳凰ではないのです。その点はどうしてもスッキリしませんよね」
一方、町子は表を睨みながら、ずっと考え込んでいた。発言をしそうな気配はない。
「あれ……? 日本海って銀閣寺なんですね?」という鹿金の発言を機に、舞鶴の日本海にも話題が及んだ。舞鶴近辺の成生岬は、『金閣寺』の主人公である溝口の故郷である。
「別に日本海は銀閣寺ではないですが、金閣寺と対比的に描かれているように感じます。終盤で里帰りした溝口が眺める日本海の姿は印象的だと思いました」と亀川が言った。
「なるほどねぇ。
荒涼とした日本海の描写も惚れ惚れしますけど、戦前と戦後で故郷の姿が様変わりした点も注意しておきたいですね。
戦前は崖なんかもあって、自然が剥き出しの状態でしたね。故郷も自然豊かで牧歌的だったといえば聴こえはいいけど、閉鎖的でもあった。
だけど戦後はコンクリートで固められた港になってしまったでしょ。米兵も行き来しているし」
とグレーのジャケットを羽織った舞鶴が言い終わると突然、今まで何も語らかなかった町子が口を開いた。
「ああ、そうか! 沈黙は金なり、雄弁は銀なり。つまり沈黙は金閣寺」
「急にどうしたんだい?」と戸惑う鹿金に対し、
「金閣=沈黙と解釈してみるのはどうでしょう?」と町子は答えた。
ざわつきだすメンバー達と冷静に「話が見えてこないですね?」と聞き返す鹿金。町子はここから持論を語っていく。
「少々こみいった話になるかもしれません。
『沈黙は金なり』という格言の通り、沈黙は皆さんにとっては美徳かもしれません。日本において寡黙な人間は一目置かれますし。
しかし、溝口にとってはどうでしょう? 吃音ゆえに彼は沈黙せざるをえない場面が多くありました。状況によってある程度緩和するとはいえ、吃音から解放されることはありません。困難も多く抱えてきました」
町子の話に聞き入っているメンバー一同。
「その点で吃音、つまりは沈黙も、金閣の美と同様に絶対的な存在ということになります。溝口にとって『美が怨敵』だったように『沈黙も怨敵』だったのかもしれません」
「たしかに『吃音さえなければ』という瞬間はあるのかも?」と由比子。
「なんとなくは理解できそうですが……」と神薙。
「神薙さんと同じような状況だと思いますが、自分は先輩の意見をアリだと感じています。少なくとも、説得力に関しては『金閣=天皇』説と同じくらいですね」と亀川は町子に対して、一定以上の賛同を示した。
「声を出せない人の声を届ける。文学をジャーナリズムとして捉えれば、そういう意見もアリかもね。ただ、僕はメッセージとして単純で気に入らないかなぁ、と感じてしまいます。町子さんの議論だと」と鹿金は言った。
「その場合、金閣寺を燃やす合理性がありませんよね?」と言う舞鶴に対して「溝口が合理的な主体だと考えるのは厳しいのでは? 合理的な思考はクリアできたとしても、合理的な行動は期待できないでしょうに」と鹿金は返した。
07:ラストシーン
ここで神薙からのアナウンスが入る。
「そろそろ時間が迫っております。白熱した議論の最中に申し訳ないですが、小説のラストシーンについて皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。いかがでしょうか?」
「もうそんな時間ですか?」と腕時計を確認する鹿金。
「それで、お伺いしたいポイントをライングループにまとめました。そちらをご覧になったうえで、ご意見をお願いします」
鹿金から切り出す。
「いやあ、ありがとうね。まとめてくれて。
とりあえず、問題は2番目かなぁ。
僕は想像と現実の金閣を切り分ける必要性はあまり感じないですね。これは金閣寺を何の象徴だと見なしてもね。なんと言えばいいのでしょうかね……。六条御息所の生霊を退治するために、本人を討伐したという感覚に近いのかなあ。
だからその点では溝口自身もスッキリしただろうし、生き残ろうとする結末についても納得はしていますね。昔はいろいろ考えてみたけど、今はこれに落ち着いたかなあ」
次に語り始めたのは由比子だ。
「わたしは鹿金さんの意見に反対ですかね。
生霊の本体を倒したところで、今度は死霊になりかねませんし。その点、溝口は金閣を倒しきれてないと感じますね。だから選択としては失敗です。
溝口の安否に関してはどちらでもかまわない、というのが正直な感想でしょうか。映画版を観てしまった影響があるのかもしれませんが」
今度は舞鶴である。
「2番目について、鹿金さんとは違うかなあ……。
〈想像の金閣〉と〈現実の金閣〉は、瓜二つの双子として捉えていますかねぇ。それで溝口は間違えて現実の金閣を始末してしまった、という所でしょうかね。
折角だから『金閣=天皇』説での解釈も述べておきます。自分の場合、〈想像の天皇〉=戦前の天皇崇拝、〈現実の天皇〉=象徴天皇制、が前提となります。
そして、金閣寺を燃やすことで戦前の思想を清算しようと思ったら、間違って今の象徴天皇制を斬ってしまった。戦前の思想はのうのうと生き延びていて、かえって現実を抹殺せねばならなくなった。結局、三島が自決に向かったのもそのせいじゃないかしら、と思っていますね」
「それは自決の原因が『金閣寺』から生じていたということでしょうか?」と亀川が尋ねた。
「直接的な原因ではないでしょうね、もちろん。遠因ですらないかもしれない。予兆と呼ぶべきかな? そういったものですね」と舞鶴は答えた。
今度は町子が「溝口が生き残った件についてはどう思いますか?」と訊いた。
「全く根拠はないけど、執筆当時は溝口と同じように生きようとしたんじゃないかしら? 心の片隅に死の予感はありつつも」と答えた。
舞鶴の後、積極的にコメントしようとする人がいなかった。町子は神薙に意見を求められたので、渋りながらも答えた。
「完全に意見がまとまっているわけではないですが……。
アイディアとしては舞鶴さんの双子理論に近いですね。
ただ違うのは、溝口は故意に〈現実の金閣〉を始末したのではないか、という部分でしょうか。柏木は『認識によって世界は変貌する』などと言っていましたが、その意見を組み入れたのかも?」
「というと?」と舞鶴。
「『抹殺すべきは〈想像の金閣〉であり〈現実の金閣〉ではない』という認識を、『抹殺すべきは〈現実の金閣〉であり〈想像の金閣〉ではない』という認識に、みずからすり替えてしまったのではないか?、と感じるのです」
「あなたがお話ししている間に、本文を探してみました。きっと、この箇所ではないでしょうか?」と由比子は該当ページを出してきた。
「多分そこです!
それで3番目の論点ですけど。溝口は自滅を故意に選択したのではないかと考えています。だから、最後の場面では生き残っていますけど、実質的には死亡したのと変わらないと感じますね」
今度は亀川に番が来た。
「うーん。正直なところ、全く整理できていません。
ただ先輩の『金閣=沈黙』理論が印象に残っていますね。
そうすると最適解は柏木の言う通りなのかもしれません。金閣寺を燃やしても、吃音などの問題は解決しませんし。別に溝口は何もしなくてよかった、というのが結論です。提示していただいた3つのポイントを完全に無視してしまうことになりますが……」
「大丈夫ですよ。では最後に私から。
〈現実の金閣〉には何もせずに、溝口だけが消えるのがベストだったのかと感じます。最も過酷な意見かもしれません。しかし〈想像の金閣〉に対しては何も手出しできなくなった以上、それしかないでしょうね。矛盾を解消するために溝口自身の生存をあきらめるしかなかった。
そういう意味では、溝口の行動は完全に裏目だと思います。もちろん、そうもいかないのが人間でしょうけど」
と神薙はまとめた。
「皆さん、意見は出そろったようですね。読書会はいったんここで終了としましょう。が、まだ語り尽していない部分も多いでしょうから、また別の場所で2次会といきますかね! ご参加の方は?」
と言う鹿金に賛成する舞鶴と由比子。
町子も参加するようだが亀川は帰るらしい。
「試験があるならやめときなさい。資料作成も大変だったでしょ」と舞鶴に促され、参加を迷っていた神薙は帰らされた。
【完】
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